いらない何も捨ててしまおう(断捨離中)
断捨離をしている。
毎日、何かしらモノを捨てている。
何故、断捨離をしようと思ったか?
これは感覚的に脱皮に近いような気がする。
もちろん脱皮は未経験。
説明はできない。
なんとなくむずかゆくて、したくてたまらない、せざるを得ない。
そんな感じ。
何はともあれモノで溢れかえっていた部屋が少しずつ片付いてきている。
それと同時に今まで僕はなんてたくさんのモノに囲まれていたんだなーってやっと気づくことができた。
断捨離はモノに対しての感情をフラットにして冷静にさせてくれる。
逆説的に言うと、モノを所有すると、人間はそのモノに対して良くも悪くも感情を抱く。
それが良い感情でも悪い感情であっても、積み重なっていくと執着になってくる。
執着が積み重なると、冷静さを失ってしまう。
冷静さを失うと、またモノが増える。また執着が増える。
そんな負のループに僕はいつの間にか入っていた。
断捨離を本格的に初めて約1週間。
いろんなモノを捨てた。
その中には5年ほど大事にメンテナンスをしながら履いてきたブーツ、布団全セットなどが含まれる。
人生にとってこれは明らかに必要だろうな、と思っていたもの。
でも捨ててみて「そう思っていただけ」と気付かされた。
冷静さを失い執着していただけだったのだ。
モノがなくても生きていくことができる。
これを知ることができたのは非常に大きい。
心にゆとりが生まれていっているような気がする。
冷静さを取り戻してみると・・・。
お気に入りの靴は踵のソールがすり減って歩きにくくなってしまっていた。
布団を全セット捨てたところでキャンプで使うマットと寝袋を使えば充分に快眠できる。
モノがなくても十二分に生きていくことができるのだ。
そして冷静さを取り戻した状態で、手元に残しておきたいモノ。
それが人生にとって必要なモノ。
僕にとってそれは音楽だった。
レコード。
ギター。
思えば人生の辛い時期を助けてくれたのが音楽だった。
モノがなくなり、少し片付いた部屋でレコードに針を落とす。
モノの反響などが影響しているのだろうか、少しだけ音のまわっていく感覚が違う。
捨てるということは大事にしたいものを更に大事にしていく行為なのかもしれない。
菅原翔一
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