加川良の教訓の思い出-演奏後に聞こえてきたすすり泣き-

「いのちはひとつ 人生は1回 だから命を捨てないようにね」

こんな印象的な歌詞で始まる曲がある。加川良の教訓Ⅰだ。

8月が近づいてくるとこの曲が心に刺さる。今から77年前の1945年の8月15日、日本は戦争に負けた。アメリカに負けたのと同時に当時の日本人が信じてきたものが180度ひっくり返った日でもある。

77年前。人類の歴史を全体でみると、これは遠い昔の話ではない。
つい最近まで確かに命が使い捨てにされていた時代があったのだ。

加川良さんが亡くなられたのは2017年の4月5日。僕は幸運なことに加川さんが亡くなる1年前に生で加川さんの音楽に触れることができた。加川さんは有山じゅんじさんと一緒に僕の住んでいる町にやってきた。

ライブの第一部をつとめた加川さん。演奏もさることながらMCがとても軽やかでおかしくてとても楽しかった。最後はやっぱりこれですかね、みたいに少し自嘲気味なMCで演奏された教訓。

生で聞く教訓。すっかり惹き込まれた。
時代を乗り越える普遍的なエネルギーを感じた。

しかし鮮烈な体験をしたのは演奏後だった。聞こえてきたのはすすり泣きだった。後ろを振り返ると、観客の女性たちが泣いていた。恐らくその大部分のひとたちにとって初めて聞く曲だったのではないだろうか?(旦那さんの付添いできているような感じだった)

反対に男の中に泣いている人は1人もいなかった。(僕も含めて)
本能的に戦争って男が始めるんやなって思った。

僕が女の人たちの涙に感じたのは母性だった。どこに死ににいく息子たちを送り出したい母親がいるのだろうか。それでも母親たちはバンザイと叫び、息子たちを送らなければならなかった。そうせざるを得ない時代だった。そんな時代に生きた母親たち、彼女たちはひとしれないところですすり泣いていたのではないだろうか。声にならない声、いや声にできなかった感情をすすり泣きに託していたのではないだろうか。

特攻隊員は敵艦に突っ込むときに叫んだのは「天皇陛下」ではなく「お母さん」だったそう。僕は特攻隊員の魂は靖国神社ではなく、母親のお腹の中に帰っていったのだと信じている。

加川良の教訓を聞く度に僕は女の人達のすすり泣く声を思い出す。

「青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい」
逃げることが許されなかった時代が77年前の日本にはあったのだ。
命を大切に。

菅原翔一

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