知り合いが自殺しました

タイトル通りのお話。知り合いが自殺した。海に身を投げたらしい。僕が顔を見知った人で自殺した人は始めてである。

知り合いといってもそんなに親しくはない間柄であった。(本当に知り合いっていう感じ)

だからその人の死を聞いても僕は悲しいという気持ちは思わなかった。むしろゴシップ記事を読み進めるような感覚が先行した。

その人は何故死んだの?その人はどんな方法で死んだの?そのときの家族の反応は?いろんな興味が僕の頭を渦巻いた。(もちろんその興味を表面に出すようなことはしなかったが)最低と言われようが、これが正直な僕の気持ちである。

これを読んでいるあなたも興味本位でこの文章を読んでいるのではないだろうか。そして僕はそれを悪いこととは思わない。人間って多分、そういう風にプログラムされているのだ。おそらく。

あまり詳しく書くとその知人が特定される可能性があるので書かないが、癌で余命数ヶ月でそれを苦に自殺したそうだ。(もちろん本当のことは当人しか分からない、他にもいろんなことが複雑に絡み合っていたのかもしれない)

その人の自殺に関する顛末を聞き終わり、僕の不謹慎極まりない好奇心はひとしきり満たされた。その後、その好奇心の気持ちは徐々にグラデーションを帯びながらゆっくり変化していく。曖昧で見えにくいグラデーションは「なんとなく嫌な気持ち」に変化していった。

嫌な気持ちの原因はなんだろう?自分の心を内観してみた。そして僕は気づいた。

今思うとその知人は僕にSOSのサインを送っていたなぁ・・・。

ある日その人から急にLINEがきていた。内容は現在の職場への愚痴、辛すぎてYoutubeで自殺の方法を見てしまっているということ、何か良い仕事があったら紹介して欲しいということ。

「甘えんな。」僕の正直な感想である。愚痴を言ったって始まらなくない?給料を払ってくれているのは誰?良い仕事って何?

僕はテキトーな返事をした。返事をしたというより文字を入力したという感じ。「辛いんですね。いい仕事あったら紹介しますね。」要約するとこんな感じだ。

その約半年後、まさかその人が実際に自殺するとは思ってもみなかった。

後悔しているかと問われると全く後悔していない。恐らくその人は僕が仮にSOSを受け取ってその場を助けたとしても結局は自殺していたような気がする。ただ、もう少し優しい言葉を投げかけてあげたかったなとは思う。

日本では年間約3万5千人が自殺しているそうだ。(最近は減少傾向にあるそうだ)その3万5千人のうちの一人に知人が入ったことで、今まで遠かった自殺という言葉が身近になった。

死んだら六道輪廻から外れる、死んだ魂は自殺を繰り返す、など自殺後の世界についてあれやこれや聞く。私は死後の世界に行ったことはないので、本当のことは分からない。しかし、その知人の自殺による訃報を聞き、胃の下を引っ張られるような嫌な気持ちになった。これは事実だ。

私は自殺を否定も肯定もしない。死にたくて死ぬ人はあまりいない。(いない、とは敢えて言い切りたくない)自殺をする、死を選ぶというのは、苦しみから逃れるためではないだろうか。

果たしてその知人は死ぬことによって心の平穏を得たのだろうか。

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