テレビもYoutubeもブログもつまんない

僕の家にはテレビがない。
テレビなしの生活になって約4年くらいになるだろうか。
これはひとえに生産性をあげるためである。
テレビという箱に僕の人生を1秒でも与えてなるものか。

というのは真っ赤な嘘である。
僕が住む地域はケーブルテレビのためテレビを視聴するのに毎月3000円払う必要がある。
それが僕にはなんとなくもったいなく感じていた。
引っ越しをするタイミングをいい機会だと思いケーブルテレビを引くのをやめた。

思い返せば小学生〜高校時代は居間にはテレビが常についていた。
小学生時代は姉や親とチャンネル争いをよくしていたのを覚えている。
しかし、学年があがるごとにそんなことはしないようになっていった。
つまり、争いをしてまでテレビを見たいと思わないようになっていったのだ。

だから、テレビがない生活になっても何も不便に思うことはなかった。
芸能人の話には全くついていけなくなったが。
(画面の向こう側にいる人に興味関心などもともとないので、テレビがあっても同じことか)

結論を言うと夢中になれないのだ。
もっと端的に言うとつまんないのだ。

そんなテレビなし生活の僕は何を見ているかというと。
Youtubeをみている。
ブログを読んでいる。

スマートフォンのアプリの使用状況をみていると結構な時間を割いている。
でもその割いた時間の中で夢中になったコンテンツは・・・?
覚えていない。
つまり夢中になっていないのである。

Youtubeだと更新の日時が決まっているYouTubeチャンネルがたくさんある。
しかし思い返してみると僕は更新を楽しみにしているYoutubeチャンネルは1つもない。
夢中になれるような面白いコンテンツがないからだ。
ブログも更新を楽しみにしているブログは本当に少ない。

僕はここでテレビもYoutubeもブログもおもんねーぞ、ちくしょーが!と言いたいのではない。
なぜ夢中になれるようなコンテンツがないのだろうか?
これを考えて文章にしたいのだ。
もしかしたら共感してくれる方がいらっしゃるかもしれない。
共感する人が集まれば何かが変わるかもしれない。
(この状況を変えてやる!ようなおこがましいことは1mmも考えてないのではあるが)

夢中になれるようなコンテンツがない原因。
それは製作者の下心が見え隠れするからだと僕は思う。

テレビだと・・・スポンサーがもっとつくように視聴率をあげたい
Youtubeだと・・・再生回数と視聴時間を稼ぎたい
ブログだと・・・広告をクリックさせたい

とどのつまり「お金を稼ぎたい」という下心がなんとなく見えてしまうのである。
もちろんこの資本主義の社会ではお金を稼ぐというのは悪ではない。
お金は必要なものだ。

だが、視聴者の立場からするとそれが見えてしまうと非常にげんなりしてしまうのが正直なところだ。

某小学生Youtuberは「人生は冒険や!」という言葉をキャッチコピーにYoutubeで発信活動をしている。
はたしてYoutubeで著名な人とコラボしたり、視聴者から受けそうなことをしたりして、Youtubeで再生回数を稼ぐことが冒険なのだろうか。
冒険したいのであれば、山や砂漠にでも行けばいいのでは?と思ってしまう。

下心を目の当たりにし続けているためか、心の何かが削れていっているような気がしてならない。
どうにかこれから逃げられないことか。
ここまできたら下心を見せつけられる側ではなく、見せる側に行ってみようか。

受動的でいるのは少し疲れる。
何故なら与えられるものをコントロールすることができないからだ。
人間はコントロールできないものに対してストレスを感じる。

それなら能動的に。
つまんないものを見せつけられ続けるより、つまんないものを作っていくほうが幾分かマシだ。

だから「つまんないもの」を僕は今ここで書いているのである。

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