自分のためにも文章を書いてもいい

ノロノロと書いているこのnote。
最初の記事で書いたが自分のために書いている。
誰のためでもない。自分のために書いている。

これにはちょっとした反動的な側面がある。
人のために(という名目の上で)文章を書き続けた結果・・・。
めっちゃしんどくなった。

例えば一時期収益をあげようと頑張っていたブログ。
ブログは「自分の書きたいことを書いてはいけない」。
これが正しいかはわからないが、少なくとも僕がお手本にしたトップブロガーの教えはこうだった。

ブログを検索する人がどんな情報を求めているか、どんなキーワードを使って検索をかけてくるか。
それを意識しながらブログを書く。
すぐしんどくなった。
それでも頑張って1ヶ月間毎日連続更新した。
最後らへんはもはやgoogleに向かって記事を書いてたな〜。

その先にあったもの。
「日記やん」という評価だった。
全部の記事を読み返してみた。
「日記やん」
僕もそう思った。
アホらしくなってやめた。

その後は暗闇にひたすら落ちていった。
文字を書くのはもちろん、見るのもしんどくなっていった。
それに引っ張られるように大好きだった音楽も聴きたくなくなった。
ギターも弾きたくなり、愛機のグレッチはホコリを被り白くなった。

それでも人に会ったときの自己紹介では
「モジヲ、カクノガ、スキデ〜」
「オンガクガ、スキデ〜」
ニッコリ笑顔でそんなことを言う自分がとても嫌になった。

もともと文章を書くのはとても好きだった。
その魅力にとりつかれたのは小学生のとき。
もともと本を読むのは好きだった。
自分で書いてみたい!と思った。
どうやらブログというものが世の中にはあるらしい。
面白そうだな、やってみようか。
内容は本当に日記。
でも自分の思いや感情が文字になって視覚化されるのは楽しかった。

どんどん落ちていった自分。
その感情がある日、トンっと底をつくような感覚を覚えた。
心理学で「底打ち」っていうのがあるみたい。
もうこれ以上は落ちませんよ、っていう。

どこまでも落ちていくんかなー。
そう思っていた中での着地。
足が地面についたので、ちょっと安心感を覚えた。

それで冷静になってみる。
そして、思い出した。
あ、俺って文字を書くのが好きやったな〜。

「もっかい書いてみるか。」
素直にそう思った。

それでnoteを始めてみた。
自分のために久しぶりに文章を書いてみた。

自分の思考、感情が文字になり視覚化されていく。
あ、俺ってこんなこと思っていたんだな。
その発見が素直に面白かった。

始めてnoteの公開ボタンを押した時。
小学生のときに始めてブログ記事を投稿したときの感覚を思い出した。

自分のために文章を書くのもいいなって思った。
1円にもならんけどね。(これはブログをやっているときに姉に実際に言われた言葉)

そもそも始まりは評価されたいとか、お金を稼ぎたいとか、そんなところにはなかった。
「やりたいから、やる。」
それだけだったはず。

「やりたいから、やる」っていうのはちょっとかっこいい表現に映るかもしれないけど、そんな大層なものじゃない。うんこみたいな感じ。出したいから出す的な。

だからこそ、評価されたいとかお金を稼ぎたいとかそこだけにフォーカスするとしんどくなる。
僕は実際それでめっちゃしんどくなった。

僕がこの記事で伝えたいこと。
それは自分のためにも書いてもいいんじゃない?ということ。
何も文字を書くだけでなくてもいい。

バンドマンだったら、バンドのためではなく、自分のためだけに楽器を弾いてもいいと思う。
ダンサーだったら、自分のためだけに踊ってもいいと思う。

そこに何かがあるかもしれない。

売れたい。評価されたい。
もちろん、それはそれでいい。
お金も大切。評価だって大切。

でもその根底にあるものは「好き」っていう感情でもいいのでは?
自分のためだけに何かをやってみると見えてくるものがきっとあるはず。

そして自分のためにこの文章を書き終えた今。
不思議と誰かのために文章を書きたいなって素直に思っている。

きっと、そんなもん。

少なくとも今の僕はそう思っている。

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