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御国を来らせたまえ(礼拝説教要約)

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#説教

申命記5章12〜15節 御国を来らせたまえ③「休み方改革」 2022.7.3 守谷キリスト教会礼拝説教

安息日は、
恵みの手段として
私たちのために設けられた日です。

恵みの手段とは、
神がすでに注いでくださっている恵みの数々を
受け取るために
私たちが用意する器のことです。

恵みの手段として、
例えば
礼拝出席や
聖書を読むこと
などがあげられますが、
安息日を守ることも、
とても大切な恵みの手段です。

安息日は、
「私たちがどこから救われたのか」を
私たちが思い起こすための日です。

申命

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マタイの福音書13章24〜30節 御国を来らせたまえ⑤「恵みに根を張っていますか?」 2022.7.17 守谷キリスト教会礼拝説教

今日の箇所は、

私たちを動揺させる悪について、
神がどのようにご覧になっているかを示す譬えです。

敵が来て毒麦を蒔いたため、
畑には麦と毒麦とが混在しています。

イエス様によれば、畑は世界のことです(38)。

この畑が、
「すでに」麦が蒔かれ、
「やがて」くる収穫を待っているように、

私たちの世界も
「すでに」十字架の救いが完成し、
「やがて」神の国が完成することを待つ、
「すでに」と「

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マルコの福音書5章21〜23,35〜43節 御国を来らせたまえ⑥「祈りが聞かれる日」 2022.7.24 守谷キリスト教会礼拝説教

イエス様のもとには
たくさんの人々が押し寄せてきました。

それはイエス様を通して現される
神の国が魅力的で、
人々の心が渇いていたからです。

心の渇きから、祈りという行為は始まります。

祈りは、
ヤイロが問題や痛みのある場所へ
イエス様と共に歩いたことに似ています。

イエス様は今日も、
私たちの祈っている物事を共にご覧になり、
手を置いてくださる方です。

しかし
私たちの思う通りに前に進

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