申命記5章12〜15節 御国を来らせたまえ③「休み方改革」 2022.7.3 守谷キリスト教会礼拝説教

安息日は、
恵みの手段として
私たちのために設けられた日です。

恵みの手段とは、
神がすでに注いでくださっている恵みの数々を
受け取るために
私たちが用意する器のことです。


恵みの手段として、
例えば
礼拝出席や
聖書を読むこと
などがあげられますが、
安息日を守ることも、
とても大切な恵みの手段です。

安息日は、
「私たちがどこから救われたのか」を
私たちが思い起こすための日です。

申命記5章で

イスラエルの民は、

「あなたがエジプトの地で奴隷であったこと、
主が…そこから導き出したことを覚え」るために、

この日を守りなさいと命じられました。


週に一度巡ってくる安息日に

「休む」という
具体的な行為を通して、
救われた事実を思い起こすために、
彼らは招かれたのです。

私たちにとっても、
安息日は
「自分は一方的な恵みによって
救われた神の子である」ことを味わう日です。


安息日によって
私たちが抜け出すべき価値観とは、

「人間は誰でも、
何を成し遂げるか、
どんな仕事をするかで価値が決まる」
という生産性が
神の位置にまで高められている価値観です。


神にとって大切なのは、

あなたが何をしたかではなく、

あなたが誰であるかです。


生産的なことをあえて止めて、
休むことは
難しいです。

「6日間ですべての仕事をする」ための知恵が
一方では求められます。

生産的に仕事をすることも、
神が創造の初めから人に求められ、
与えられた能力です。


しかし罪が入ってきたことによって、
生産的で効率的であることもまた、
偶像になり得のです。


完全に良い方は神お一人です。

休むという恵みの手段を使っていくならば、

私たちは神が良いお方であることを
ますます豊かに知ることができます。


そしてあなたが休むことは、
結果的に、
周りの人も「あなたと同じように休むことができる(5:14)」という
祝福になることが約束されています。

今一度、
安息日についての理解を問い直し、

互いに励ましあい、

安息日を通して与えられる恵みを受け取りましょう。

【本日の説教を振り返るために】

① あなたが働き続けることによって、
  あえて目を逸らし続けている課題はあるでしょうか?

② あなたが休むことで、その結果として祝福を受ける周りの人は、誰ですか?


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