マルコの福音書5章21〜23,35〜43節 御国を来らせたまえ⑥「祈りが聞かれる日」 2022.7.24 守谷キリスト教会礼拝説教

イエス様のもとには
たくさんの人々が押し寄せてきました。

それはイエス様を通して現される
神の国が魅力的で、
人々の心が渇いていたからです。

心の渇きから、祈りという行為は始まります。


祈りは、
ヤイロが問題や痛みのある場所へ
イエス様と共に歩いたことに似ています。


イエス様は今日も、
私たちの祈っている物事を共にご覧になり、
手を置いてくださる方です。


しかし
私たちの思う通りに前に進まないことは、
日々たくさんあります。

その中で、
あの人の祈りは聞かれた。

でも私の祈りは??

ということにも直面します。


死は、
この地上に悪の支配が未だ残っていることを示す、
圧倒的な現実です。

死の現実は、
私たちに
「あなたの祈りは聞かれなかった」
と言ってくるようです。

しかしイエス様は、
私たちに「恐れないで、ただ信じていなさい」
と言われます。


「御国を来らせたまえ」という祈りを通して、

私たちはやがて
イエス様が再びこの地に来られることを
待ち望んでいます。

死は、
私たちが到達する最終的な結果ではありません。

私たちは死という眠りについた後、
イエス様が来られる時によみがえるのです。


マルコの福音書は、

歴史に刻まれる程に大きな迫害の中にあった
ローマのクリスチャンたちに向けて書かれた

とも言われています。

彼らは死が目前に迫る中で、
「イエス様おいでください」と
祈っていました。


彼らの目にも、
私たちの目にも、
絶望させるような現実がある時、

主が来られるのが
遅いように思えることがあります。


しかし私たちの望みは、
初穂としてよみがえられた主イエスにあるのです(Ⅰコリ15:20)。

私たちは今日もその日を待ち望みます。

悲しみに打ちひしがれる
私たちの目の涙も拭われる
その日が来ます。

だからイエス様が再び来られる日は、

私たちの人生の最良の日であり、

私たちの祈りの全てが聞かれる日です。

この信仰に立たせてくださる聖霊に信頼して、
今週も歩みましょう。

【本日の説教を振り返るために】

① 今、あなたが継続して祈っていることはありますか?

② イエス様が再び来られることを待ち望むために、
   励ましあうことのできる仲間はいますか?


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