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あなたは永遠に美しい、だって未完成のままだから〜This is a Story about You.

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一年前のいま頃、私は沖縄のとある場所にいた。太平洋戦争中にアメリカと日本が激しい地上戦を繰り広げ、多数の犠牲者を出したと言われる浦添の前田高地である。

メル・ギブソン監督の映画『ハクソー・リッジ』に出てくる断崖絶壁での戦闘シーンはすべてこの場所で起きたことを元に再現されている。雨が降っていたせいもあり、人っ子ひとりいない場所で映画に出てくるゲリラ戦のシーンを思い出しながら、私はブルブル肌寒さと怖さで震えていた。

私には霊感というものがない。死というものが身近になかったわけではないが、霊感というものがまったくない。しかし、死者と対話することで生きる力をもらっている。一年の間に沖縄には5回足を運んだ。戦争関連の施設を何カ所か見学し、パワースポットと呼ばれている場所にも行った。

初めて沖縄に行ったとき、私は那覇の辻という昼夜を通してあまり人の気配を感じないエリアに滞在していた。滞在初日の夜、付近を散歩していて私はなんとなく“感じる”ものがあった。五感を通じて頭に浮かんだイメージは、私の住む横浜のとある街を思い出させた。

後日調べてみると、やはりそうだった。昔、那覇のそのエリアには遊郭があったのだ。私は、首里王朝時代にここへ連れてこられた遊女たちの、声にならない声を聴いたのかもしれない。

“実現しなかったことは、ただ虚しく実現しなかったわけではない。美しさとして、本当はすでに実現しているんだよ”

『世界の中心で、愛をさけぶ』片山恭一(小学館/2001年)

私はよく、本棚に置いてあるこの本のページをパラパラと暇を見つけてはめくっている。特に終盤の、恋人を亡くした主人公の男子高校生と祖父の対話が秀逸である。この本は、どのページから読み始めてもストーリーが成り立つ。まさに新約聖書と同じだ。

人は思い込みの中でしか生きられない。なぜなら、自我というものがあるからだ。みんな、その思い込みの正当性をなんとか証明しようとする。そしてもがき苦しむ。

目に見えるようで目に見えない、手に取れるようで触れることができないものによって、人の心はいつも動かされている。

あなたが嬉しそうにしているれば、私も嬉しくなる。あなたが哀しそうにしていれば、私も哀しくなる。

異なる“自我”を持っているもの同士でも共感してしまうのは、我々が宇宙と名付けられた広大な空間を共有するために生まれてきたからだと私は思うのだ。

誰かの幸せのために生きようと思えば、それは自分の幸せのために生きることになる。誰かの幸せを願えば、それは自分の幸せを実現させる近道ともなる。幸せは「気」と同じ、つまり巡るのだ。

動物や花が好きでも、愛し合い、憎しみ合う相手はなぜか人間である。それはこの世が、生きている者にしか興味を持てない人間ばかりである証拠だと思う。だからといって、この世を否定する気はまったくない。現世の幸せを諦める来世思考はもっと危険だ。

今日も私はもがき苦しむ。だって、まだまだ分からないことばかりだから。けれども、すべての解決を時間に任せるくらいなら、私は愛のある世界だけを目指して生きていこうと考える。

あなたはどうだろうか?
Live your life!

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