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日記

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今起こったこと、そのときたまたま思い出した過去のこと
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Still 2023

Still 2023

「あなたに会えて本当に楽しかった。生きていてよかった」
 届いたDMの控えめな結びに涙が滲んでいた。私の存在をして「生きていてよかった」とこの人に言わしめたことに、私は私の存在の、不確かさしか感じたことのなかったこの存在の、どこかに息をひそめていたのかも知れない煌めきのことを思った。私は私にわからなくても、いや、そろそろ「わからない」と言ってしまうことにも歳を取り過ぎている、けれどやっぱり、普段は

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Schneeeinsamkeit

Schneeeinsamkeit

通学路の途中には花屋があって、ギムナジウムがあって、郵便局があって、大きな公園があって、いくつもの喫茶店があって、そのすべてを、雪が覆っていく、うすい琥珀がまざったような色をして、足をのせるとキュッと音を立てて、すべすべと、すこしざらざらと、だけどすべすべとした雪が、世界の音をすべて消して、降ってくる、何も聞こえない街に、誰も歩いていない街に、傘を差して、白い息を見る、赤い指先を見る、ぼとぼとと落

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thin

thin

祖母が退院した。

朝、ベッドから落ちて首を痛めた祖母を病院に連れて行くと首の骨が折れていたことがわかり、そのまま彼女は3ヶ月入院になった。3ヶ月の間にいろんな器具を取り付けられたり、手術があったり、大きな出来事も多かったけれど、たまに着替えを持って病院に行くと、コロナで面会こそ叶わなかったものの看護師さんからは「いつも笑顔で、発話も問題ないですよ」と言われ安心していた。そうして秋から冬になり、雪

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Lily 2022

Lily 2022

 ちょっとゆうちゃん、なんでこんな変な動画ずっと流してるの? こんなの変えちゃってくださいよお姉さん!
 二軒目に訪れたのはカウンターだけの、真新しい中華の店だった。先客であり店長の友人、端の席に陣取って甲高い声でのべつ幕無し喋り続けていた杏奈が、もう片方の端に座った私とゆりに声をかける。ゆりは苦笑しながらリモコンを手に取り、テレビに映っていた画面を止める。動画をザッピングするゆりが見つけたのは宇

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Coccoの日 / 20221111

Coccoの日 / 20221111

Cocco25周年ベストツアー2022大阪公演の日のことを残しておこうと思う。公演そのものの感想はすでに書いたので、その周りのことを。もうあの公演から1週間が経つから驚いてしまう。今はほんの昨日のように思い出せるけれど、そのうち忘れていってしまうだろうことが惜しいので、ここに。

朝は普段通りに起きたので、だいたい5:00くらい。それから居間のソファで二度寝したりぼんやりしたりしてだらだらと支度を

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Lily

Lily

「あなたの文章はどうしてそんなにも内側に向かおうとするのかな。私だったら小説に形を変えてしまうところだけど」
 私がオレンジワインを片手に尋ねると、彼女は両手で髪を押さえるようにして、うん、そう、そうしていることは分かっていると俯きがちに、数回頷いた。それから彼女は視線を斜め下に逸らして考えて、一つ一つ言葉を選ぶように、答えを出していく。
「多分、自分の内側を見つめて、向かって、それを書き出すこと

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冬が光るとき

冬が光るとき

冬が光るとき、世界に降ったあらゆる白が反射して、目を開けていられない。冬が光るとき、閃光のようにこの目を貫くあらゆる白に、水に琥珀を溶かしたような色をした光が満ちているのを見る。冬が光るとき、世界の眩しさに細めた私の目に淡く、暖かさが差し込んでくるのを感じる。冬が光るとき、それは洗礼のようで、あらゆる淀みの浄化のようで、冷たく冴えて、ぴんと張った糸のような空気はまるで澄んだ地下水の中を浸っているか

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supernova (summer of 21)

supernova (summer of 21)

7月の終わりにはアスファルトにこぼれ落ちるくらい咲いていたノウゼンカズラが、今では数えられるほどの花だけを残して静かに夏の終わりを見つめている。9月を過ぎて残った花は私の手には届かない高いところで、太陽を向いて、じっと静かに。
ノウゼンカズラは凌霄花と書く。あの橙色と桃色が混じったやわかい色の花と、咲いたそばからアスファルトにこぼれ落ち、そしてなお蔓いっぱいに咲き続ける生命力と、太陽を見つめる眼差

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彼女は夢を追いかけている

彼女は夢を追いかけている

「わたし、彼女のこと大好きなんですよ。こういう、夢を追いかけている子が大好きなんです」

多分秋で、ケーキがおいしい店だった。というか、ケーキ屋に併設されていたカフェだった。
同期のシンガーソングライターのライブの前座として一人芝居をすることになったからと、空席を出すわけにはいかないからと、土下座ばりの蝶子の頼みを聞き入れて私は神戸元町の坂をのらくらと上がり、会場になったカフェの隅の席に腰を下ろし

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破片

破片

買ったばかりのスニーカーは紐の締め付けがきついのかなかなか足が入らなくて、歩き出してもすぐにアキレス腱にできた靴擦れが鬱陶しげに文句を言う。スニーカーであっても靴擦れが起きてしまうことに驚きながらも、これまで数多の靴擦れを制圧し屈服させてきた私はアキレス腱に絆創膏を貼る、以上のことは何もしない。
玄関の引き戸を開け、一歩踏み出すとすぐに冷たい風が両耳から入り込んで頭がぎゅっと締め付けられる。イヤホ

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開いてワームホール この花束を渡して、彼女に

開いてワームホール この花束を渡して、彼女に

日が沈んでいる。何も考えていない、考えられない、何も喉を通らないうちに、部屋から一歩も出ないうちに、今日は夜になっている。ほとんど訪れないこの自分のnoteに、随分久しぶりに、文字を打ち込んでいる。宇多田ヒカルを聴きながら、両手がしばしば止まる。書かなくてはならないことはたくさんある、けれど、私は一体ほんとうに、何てことをしてしまったのだろうと、また両手が止まって呆然とする。呆然とする他ないことが

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「さびしさはめぐる」

「さびしさはめぐる」

最近は仕事がたくさんあり、会社を出る頃には帰路の飲食店は軒並み電気を消してシャッターを下ろし、マンションとコンビニの明かりだけが煌々と、それから、これからどこにも寄り道をしないであろう人たちがぼんやりと、赤信号の横断歩道の前に立つ。私はその人々に溶けるように、するすると隙間を見つけて誰かの斜め後ろ、他の誰かには斜め前に立つ。交差点にいた車が止まり、音もなく青色に変わる信号を合図に、疲れた体をふらふ

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自分を好きになる方法

自分を好きになる方法

というタイトルの、本谷有希子による小説があったなとこれを書いていてふと思う。本谷有希子の小説を最後に読んだのはいつだろう。『静かに、ねえ、静かに』のあと、新刊って出たんだっけ。
読んでも読んでも、全てを覚えていることはできない。それがたまに、私を少しだけ悲しませる。makes me sad.

年末に、自分の持ち物と部屋を整理した。
従妹たちに譲る服を選別し、あとは衣装ケースをひっくり返してゴミ袋

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ハラユク

ハラユク

乾燥肌だと言われたので、薬局に行ってボディークリームを買ってきた。
まるいプラスチック容器に入ったそれは、青い蓋を開けてみればどぷんとたっぷり入っていて、私はそれを、お風呂上がりに、遠慮なくごそっと掬い取っては全身にべたべたと、がしがしと、塗りたくる。お腹、腰、デコルテ、太もも、両腕、永遠にも無くならなさそうな量のクリームを、贅沢に掬い取っては塗りたくる。
べたべたと、がしがしと、無心で。

8年

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