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自分を好きになる方法

というタイトルの、本谷有希子による小説があったなとこれを書いていてふと思う。本谷有希子の小説を最後に読んだのはいつだろう。『静かに、ねえ、静かに』のあと、新刊って出たんだっけ。
読んでも読んでも、全てを覚えていることはできない。それがたまに、私を少しだけ悲しませる。makes me sad.



年末に、自分の持ち物と部屋を整理した。
従妹たちに譲る服を選別し、あとは衣装ケースをひっくり返してゴミ袋二つ分の服を捨てた。中学生から着ていた服がケースの奥に紛れ込んでいたり、クローゼットの隅に放置したままにしていた就職活動に使っていたシャツたちは揃って平等に黄ばんでいたり、シミがついてしまって着なくなったボトムスを押し込んでそのまま忘れていたり、私の服たちは全然管理が行き届いていなかった。
けれどそれぞれに、これを着ていた日々の思い出があって、ゴミ袋に入れる前にひとつひとつにお礼を言う。ありがとうね、あの時助けてくれて、ありがとうね。きっと忘れていくけれど、愛していたよ。
服を捨てる行為にはいつも悲しみに満ちた痛みが伴う。それでもいつかは別れが来る。人と別れるように、私は服と別れていく。

それからシーツを新調して、新しい毛布を買った。ルームシューズとルームソックスも買った。マスクを嵌めて駅ビルに出かけて、足を冷やさないためのレッグウォーマーとタイツを買った。ニット帽も買った。これらの買い物が積み残されて、カードの引き落としがもうすぐやってくるのを今は恐れているけれど、とにかく私は、冬から自分を守るために、あれこれと、物を買った。

普段はシャワーで済ませるところをちゃんとお風呂に入った。ボディクリームも湯上りに欠かさず塗るようになった。



自分を守る、ということが、よくわからないままにここまで生きてきてしまったなと思う。
未だに自分の体や健康については、あまり興味を持てない。電気代も水道代ももったいないから暖房もできるだけつけたくないしお風呂もあまり気が進まない。そして何より、食べたくない。
自分に厳しいことばかりを何年も言いつけて、ここまで生きてきたのだと思う。お金もったいないでしょ、太るでしょ、運動もろくにしないくせに食べるなんて我儘でしょ。
そんな声ばかりに囲まれて生きてきた。カロリーをいちいち気にするようになったのは大学生になってからで、そこから食べることへの選別が始まって、それから私は転がるうちに小さく軽くなっていく石みたいに、静かに静かに、痩せていった。

社会人になって少し持ち直して、学生時代よりは多めの体重で毎日を過ごした。
けれど今度は、何があっても学生時代の自分のことを忘れるものかと足掻く自分と毎日をこなしていかなくてはならない自分との間で板挟みになって、落ちていくのを自覚しながら薬に頼ってまで小説を書き、本を読み、映画を観ていた。
それは自分を守るようでいて、自ら壊していく行為だった。
壊して、壊して、壊し尽くされた私は半年間機能停止に陥った。仕事を休み、ただ無感情な海の中を漂っていた。何を見ても、聴いても、読んでも、心はしんと静まりかえり、何を思うこともなかった。そんな日々があった。



無感情な海から上がり、仕事の世界に戻ってきて4年が経った。
さすがに、薬を飲んでまで長い小説を書く自分には戻れていないし、戻れるかどうかもわからない。
ただこの4年間を生きてきて、最近になってようやく、「もう無理はできないのだ」ということが少しずつわかってきた。無理がきかない心身に、私自身が作り変えてしまったのだ。一度、自ら壊し尽くしたことによって。



作り変わった私がいて、その私をどう扱えば良いのか、私もまた、今でも考えあぐねている。
変わらず、料理も食事も好きじゃない。全てが錠剤の形になって、それで一日の栄養が丸ごと摂取できるならどんなに良いだろうと思っている。そんな日がいつか来てくれないだろうかと半ば本気で思っている。
何かが起こるとすぐに何も喉を通らなくなるし、仕事が忙しくなれば夕食は会社の売店で買う130円のバウムクーヘンで1ヶ月を過ごすこともある。そしてそれは、私にとって全く平気なことでもある。だから結局するすると痩せていく。痩せていくこともまた、私にとって全く平気なことだ。

けれど少しは、自分に何か良いものを与えてやるのも悪くないんじゃないかとここ数年で思うようになった。
使い古したシーツにくるまって眠るのも、どうでもいいからで、毎日をバウムクーヘンで過ごすのも、どうでもいいからで、電気代や水道代を優先して部屋を寒いままにするのも、湯船に浸からないのも、自分の体がどうでもいいからだった。
けれどそうやって自分をどうでもよく扱っては、体が痛んだり、冷えたり、結局不快なものを抱えたままで仕事に向かわなくてはならなくなってしまう。私の毎日には否応なく仕事という時間が組み込まれていて、それが平日の大半を占める。その大半を占める時間を、痛みや凍えの中で過ごすのは、何だかあまりに馬鹿らしい。
馬鹿らしいのだ、どうでもいい体にどうでもいいことで日々の足を引っ張られるのが。


ほとんど好奇心に動かされているようなものだけれど、フェイシャルリフレクソロジーを試してみたり、そこでセラピストの方から受けたアドバイスや、紹介してもらった商品を少しずつ買ってみている。
買うことにも本当は抵抗がある。洋服や化粧品にお金をつぎ込むのは厭わないのに、自分の心身に作用する日用品を買うのはとても苦手だ。けれど、とりあえず勉強代と思って、少しずつ買って、試してみている。
年末に部屋の整理をして色んなものを買い換えたのは、その勉強代と思う気持ちが少しずつ大きくなってきたからのことだったのかなと、ふと思う。
新しいシーツはさらさらした触り心地で、新しい毛布はしっかりした厚さで、新しいレッグウォーマーはごく自然に肌に馴染んで柔らかくて暖かくて、私は毎日すこんと眠る。



子供の頃、自分は絶対に40歳で死ぬだろうと思っていた。
今は、40歳で自分ひとりのための小さな部屋を買うのが目標だ。
もちろん、これから感染症に罹ったり、どうしようもない病気が見つかったり、不慮の事故に遭ったり、精神の方が先に白旗を上げたりして40歳で死ぬ可能性は残っているし、40歳を待たずに死ぬことだって考えられる。
けれど、子供の頃に漠然と感じていた「自分は絶対に長くは生きない」という予感は年を追うごとに薄められ、かつてきっぱり決めていた40歳という年齢まであと10年、というところまで来てみて、いや、案外、生き延びているような気がするのだ。
私の人生は、思うほど短くはないのかもしれない。短くないのなら、予感を超えて生きる分だけ、私はひとつしかない自分の体をもう一度壊してしまうことのないように、注意深く、扱ってやらなければならないのだろう。
自分の面倒を自分で見ることの責任の重さがやっと今、感じられる。30年経って、やっと。


自分を好きになる方法は、正直わからない。
今、好きなのかどうかもわからない。
ただ、私は私以外にはなれないという事実だけは、一分一秒ここにあって絶対に揺るがない。
病の手前で揺らぎ続ける精神と、名前がつく手前の拒食と、痩せた体を持ち物にして、残りの10年とそれ以上の年月を生きていく。できれば怒りや悲しみは持たされても早々と土に埋めて、喜びと幸福は記録して、何度でも思い出して、忘れないように。
それだけなのだろう。どうせ一人しかいない私ができることなんて、それだけのことに過ぎないのだろう。


朝が来る。休日はいつも午前中はベッドから出られないような私が、今日は7時半には起きて、洗濯をして、これを書いている。これから昼食の準備をして、午後になったらマスクを嵌めて買い物に行って映画を観て帰る。
透き通った空が見える美しい冬の日だ。これもまた、私だけの年月の一部なのだ。





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