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ハラユク

乾燥肌だと言われたので、薬局に行ってボディークリームを買ってきた。
まるいプラスチック容器に入ったそれは、青い蓋を開けてみればどぷんとたっぷり入っていて、私はそれを、お風呂上がりに、遠慮なくごそっと掬い取っては全身にべたべたと、がしがしと、塗りたくる。お腹、腰、デコルテ、太もも、両腕、永遠にも無くならなさそうな量のクリームを、贅沢に掬い取っては塗りたくる。
べたべたと、がしがしと、無心で。



8年前、オーストリアの片隅の街に住んでいた私は、春のイースター休みを利用して立て続けに友達との、そして両親との旅行を済ませ、それからほどなくして、理由のわからない痒みに悩まされることになった。

始めはちょうどジーンズの腰回りが肌に当たる、骨盤少し上のあたりから始まって、そこをなんとなく、その時は特段何も思わず掻いているうちにみるみるそれは酷くなり、腰回りに発疹ができた。なんだろう、旅行先で何か変なものでも食べただろうかと思い返してもウィンナーシュニッツェルとワインとパフェくらいしか記憶がない。なんだろう気持ち悪いな、とりあえずなるべくそっとしておこうと、痒みのことは、なるべく考えないようにしようと、そうしたらそのうち勝手に引いていくだろうと、そのときは呑気にそう考えていた。

けれど発疹はそのうち腰から脚へ、それから胸へどんどん広がっていき、一ヶ月もしないうちに両腕の指の先、両足のつま先にまで届いてしまった。腰回りだけで済んでいた痒みはもはや全身のものになって、耐え難く痒いのと、何より、耐え難く怖かった。自分の体に何が起こっているのか全くわからなかった。母に連絡して、日本の薬局で売られている痒み止め成分の入ったボディークリームを送ってもらったけれど、何の効果もなかった。


ああ困った。本当に困ったと、陰鬱としながら腑抜けた顔で歯を磨いていると、同居人のユリアがちょうど洗面所に入ってきた。
Wie geht's dir?(これは英語で言うところのhow are you?にあたる)顔を合わせた時の決まり文句としてユリアは屈託無く私に声をかけた。それから「最近、あまり顔を見ないね」とも。
私は彼女が看護学科の学生だったことをふと思い出した。かなり躊躇ったけれど、勇気を出して打ち明けることにした。「最近、ちょっと体が痒いんだ」と。

するとユリアは怪訝な顔をして、「痒いの?」と聞き返してくる。私は頷いて、なんか発疹みたいなものがさ、ということを拙いドイツ語で説明した。ユリアは顔をしかめて、見てもいい? と言ってきた。私はまた頷いて、歯磨きの手を止めて、腕の長袖を捲った。その頃にはかなりひどい発疹が腕を埋め尽くしていた。ユリアは私の腕を一目見るなり「うわあ」と声を上げたけれど、これが一体なんなのか、見極めようとするかのようにじっと私の発疹を見つめた。

「病院とか、薬とかは?」
「まだ何もしてないんだけど」

そっか、ユリアはひとまず引き下がった。「何かあったら、いつでも言ってね」と、じっと私の目を見て言った。ありがとう、私は答える。美しいユリアの青い目に見つめられると緊張する。



数日後、私は勇気を出して、皮膚科へ予約の電話を入れていた。病院へ電話をかけるのは初めてだった。予約が取れたのは一週間後くらいの日で、それまでに今よりもっと酷くならなければいいけど、と、受診日までの時間を思ってため息をついた。

部屋を出て居間に下りると、また別の同居人イレーネがコーヒー片手にソファに座っていた。イレーネは私を見るなり、同じようにWie geht's dir?と尋ねてきた。その言い方で、私の発疹のことを言っているのだと気づいた。ユリアが彼女に伝えたのだろう。

「あんまり良くはないんだけど、でも一応病院には予約入れたよ」
「いつ?」
「来週なんだけど」

イレーネは壁にかけられたカレンダーを見た。そして、「一緒に行こうか?」と言ってきたのだった。驚いて遠慮しようとする私に、「でも一人で診察受けても、チヒロはここの人じゃないんだから、言われてわからないことだってあるでしょ」とイレーネは言った。それから彼女はもう一度カレンダーを見て、日付と時間を呟いた。もし都合がついたら私が一緒に行くわねと、イレーネはじっと私の目を見て言った。イレーネの茶色の大きな目も見つめられると緊張する。



そのまた数日後、私は結局自分で取った皮膚科の診察を待たずに、街の総合病院の待合席に座り込んでいた。

案の定発疹は酷くなり、いよいよ首元から顎へ、違和感がじわじわと上がってくるのを感じ、顔にまで発疹が出たらもう外に出られなくなると、ほとんど119番にかけるかのように、街に住んでいた日本人の先生に相談したのだった。私の話を聞いた先生は、じゃあ総合病院に行ってみたらと言った。「予約がないから待たされるとは思うけど、dringend(「緊急」のことだ)って言ったら受け付けてはもらえるはずよ」

私は鞄に数冊の本を入れ、医者にすぐ肌を見せられるようにTシャツにカーディガン、そして足元は雑なパッチワークのような変形スカートを履いて、部屋を飛び出した。

受付で事情を説明したら待合席に通してもらえた。病院はまあまあ混んでいて、待合室に並べられた長椅子にもほとんど空きはなかった。その中で、一人分座れるスペースを見つけ、私はじっと本を読んでいた。周りが次々放送で名前を呼ばれ、立ち上がっていく中で、私は一時間ほどをその待合室で過ごした。読書は随分と捗った。

何十回目かの放送のあとで、いかにも何と発音していいのかわかっていなさそうな医者の声が私を呼んだ。私はすぐに本を閉じて立ち上がる。周りにいた人も顔を上げて私を見る。こんな公共の空間で名前を呼ばれるのは緊張する。日本人です、どうも。

診察室に入ると、年配の男性医師がデスクチェアに座り、その傍に、女性看護師が立っていた。医者は、いかにも物珍しそうな目と笑顔で私を見ていた。差し出された丸椅子に腰掛けて、実際に現状を見てもらうのが一番手っ取り早いだろうと、全身が痒くてこんな感じなんです、と、私はカーディガンの裾を捲って腕を医者に差し出した。
医者は「ああ」という、嘆息なのか、ひらめきなのか、わからない声を上げて、私の腕を優しく取った。ボールペンの先で私の発疹を優しく撫でて、くまなく、じっと、私の腕を見た。何度か頷いたようにも見えた。

「これはいつから?」
「春……4月くらいから」
「夜は眠れている?」
「あまり良くは眠れてないです」

ふんふん、医者は私の話を聞き、ざくざくとカルテに書き込んでいく。そしてこの発疹が一体全体何なのかは一切説明することなしに、「薬を2種類出しますね」と言った。

「小さい器のと、大きい器のふたつを出します。これを毎日全身に塗ってください。まずは小さい方から使って、それから大きい方を使ってください」

結局なんだったんだろう、でもそれで治るならまあいいかと私は頷いて、席を立ちかけたところに、医者が唐突に「そのスカート」と、私の雑なパッチワーク変形スカートを指差した。

「日本にそういう服がたくさん売っている街がありますよね、東京の」
「えっ?」私は椅子に座り直す。「どこだろう……渋谷ですか?」
「うーん」
「青山? 表参道? ……あっ、原宿? ですか?」

原宿、という単語を聞いた途端医者の目は輝いた。そして「ハラユク!」と声を上げた。いや、ハラジュクですと正そうとして、そういえばこの国では「ju」の発音は「ジュ」ではなくて「ユ」であることを思い出した。(だからユリアもJuliaであって、ジュリアではないのだ)
このスカートは原宿で買ったものではなかったけれど、医者があまりに嬉しそうに「ハラユク」と繰り返すので、原宿で買ったということでいいやと思った。

「処方箋は受付で受け取ってくださいね。薬局は街のどこに行ってもらってもいいです」
「わかりました。ありがとうございました」

そして今度こそ席を立とうとした私に、医者は今度は右手を差し出してきた。物珍しそうなで私のことを見ていた医者は、最後に何かの記念のように、嬉しそうに、握手を求めてきたのだった。
ああ、私は思わず笑ってしまって、発疹だらけの手を差し出した。「ありがとうございました」私はもう一度お礼を言った。「お大事にね」医者は言った。彼の後ろで、看護師さんが楽しげに微笑んでいた。


言われた通りに街の薬局に行き、カウンターの女性に処方箋を渡した。女性は処方箋を一瞥し、慣れた様子でずらりと並ぶ棚の向こうに引っ込んで行った。しばらくして戻ってきた女性の手には、医者が言っていた通り、小さい丸い器と大きい丸い器のふたつが握られていた。
薬をカウンターに置き、女性は小さい方を指差して、こっちが先ねと医者と同じことを言った。私は頷いた。お金を払って薬局を出た。この国に来て薬局に入ったのも、初めてのことだった。


部屋に帰ってきて、その日から早速薬を使い始めた。丸い器を開けてみると、ボディークリームのような白い塗り薬がどぷんとたっぷり入っていた。私は言われた通りに小さい方から、ごそっと指で掬い取って全身に塗りたくった。そしてはたと気づいた。小さい方を使い切るまで大きい方は塗らなくていいのか、小さい方を先に塗り、大きい方もその上から塗ればいいのか。はて、考えてみればどっちのパターンにも取れる言い方だったな。少し考えて、私は小さい方を先に塗り、大きい方もその上から塗ることにした。べたべたと、がしがしと、それはもう、長く続いたこの発疹への積年の恨みに今こそ報いてやると、一心不乱に、毎日毎日、べたべたと、がしがしと、塗りたくった。



二週間ほどが経っていた。小さい器の方の薬はなくなりつつあった。そして、私の全身の発疹もまた、綺麗に消えつつあった。もちろん痒みも、あるにはあるが全く無視できるほどに落ち着いていた。結局何が原因で、私はこの二週間何を塗っていたのか自分でもわからないまま過ごしてきたが、私の発疹は確実に、薬によって息も絶え絶えになっていた。

もう二ヶ月ほど、発疹だらけの自分の体しか見ていなかった。嬉しかった。綺麗に、元どおりの肌が戻ってきつつあったのは、素直に、心から、嬉しかった。安心した。どうにか、どうにか、私は治っていったのだ。


居間で再びイレーネと顔を合わせた。一緒に病院に行ってあげると言ってくれたイレーネは、私を見てもう一度Wie geht's dir?と尋ねた。私は笑顔で長袖を捲り、綺麗になった腕を彼女に見せた。ああ! Gott sei Dank! イレーネは腹の底から言った。Gott sei dankはちょうど私たちが「ああよかったー!」と、しみじみ言う時に使う言葉だ。

よかったねチヒロ、よかったね。イレーネは何度も言った。私も頷いた。よかった、ありがとうイレーネ。一緒に病院行ってあげるって、言ってくれたのに結局一人で行っちゃってごめん、でもありがとう。心配してくれて、気にかけていてくれて、本当に、ありがとう。




お風呂上がりに、べたべたと、がしがしと、無心でボディークリームを塗りたくるとき、そういえば以前にも似たような容器を、この白いクリームの量を、見たような気がしたなと、そして、ああそうだったと、いろんな人が私を助けてくれたあのときの、あの薬に似ているんだと気づく。

留学していた10ヶ月間、嬉しいこともあれば嫌な目に遭うことも少なくなかった。下着泥棒やら、銀行口座の不正出金やら、道ゆく人の心無いからかいやら差別やら、傷ついたことはたくさんあった。

けれど8年が経って、あの日々のことを思い出すとき、浮かんでくるのは何よりも、優しかった人たちの笑顔や、親切や、言葉なのだった。この発疹騒動だけじゃない。例えば重いスーツケースを持って電車に乗ろうとしたとき、ごく自然に手伝ってくれた通りすがりの男の人。オペラの当日券の列に並んでいたとき、学生チケットが一枚余ったから君にあげるよ、お金は要らないと私にチケットを差し出し、私がきちんとお礼を言う間も無く去っていったおじいさん。毎日のように通っていたカフェで本を読んでいたとき、おまけだよと言って、オレンジの載ったチョコレートマフィンを出してくれた店長さん。近所のスーパーのレジでいつも顔を合わせて、どこから来たのと私に尋ね、日本だと答えるとワオと声をあげて「コンニチハ」と笑ってくれた店員さん。

そして、部屋に引きこもりがちだった私にも優しかった同居人たち。美しいユリア、明るいイレーネ。

結局この心に残るのは、人から受けた親切であり、向けられた優しさであり、温かい眼差しなのだった。それこそが、私の中に長く長く残り、息づいて、そして私が今、生きているのだと思うのだった。


私は今夜も、お風呂上がりにボディークリームを塗りたくる。






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