『等身大でいられる場所を創りたい』 放課後NPOアフタースクール 藤原 潤子 さん
"人が等身大でいられる場所を創りたい"たくさんの人に囲まれて生きてきた藤原潤子さんが、そう思うようになった背景には何があったのでしょうか。気さくに笑いを交えながら話してくれる、彼女の今に繋がる経験や気づきに迫りました。
プロフィール
出身地:広島県
活動地域:神奈川県、東京都
経歴:早稲田大学第一文学部卒業後、現(株)リクルートジョブズに入社。5年後、放課後NPOアフタースクールと出会う。現在は、SDGsをツールに子どもたちと大人を繋げて、様々な関係性を構築していくことに奮闘中。
座右の銘:沢山笑って沢山泣いて、顔上げて
記者 本日はよろしくお願いいたします。
藤原 潤子(以下 藤原 敬称略) よろしくお願いします。
「みんなが等身大でいられる居場所を創りたい」
Q. まず最初に藤原さんの夢を教えていただいてよろしいですか?
藤原 私は、みんなが等身大で生きられるようになってもらいたいと思っています。そのために、いろいろな人との関係性があって居場所と思える場所を創ること、これが私の目指していることであり、人生かけてやっていきたいと思っていることです。場所というのは、PLACEという意味の場所でもいいし、人と人の関係性の中にいるという意味の場所でもいい。大人も子どももみんなが等身大でいられる居場所、これを創りたいと思っています。
記者 なるほど。藤原さんにとって等身大とは何なのでしょうか?
藤原 無理しなくていい仲間や、ありのままを受け入れてくれる仲間、相手に対してプラスのことをしなくても大切にしてもらえる関係性です。
友達関係や家族関係であると思いますが、何かしてくれるから友達というわけではないし、幼い頃に何かができるから親に褒められるというわけでもないと思います。例えば、子どもが何かができたとして、それに対して親がすごいねと褒めたとします。でも逆に、その何かができないとすごくないのかと言えば、そうではありません。ところが、世の中ではそういうことがありがちではないでしょうか。だから、ただいるだけで周りがその人の良いところを見つけてくれたり、気づかせてくれたり、自分自身でも気づけるような周りとの関係性があったら、もっと楽に生きられると思います。
記者 なるほど、そういう仲間との関係性が等身大の自分をつくってくれるのですね!素敵な関係性ですね!
「小学生から中高生、大人の居場所まで」
Q. その夢に向かってどんな計画を立てられていますか?
藤原 みんなが等身大でいられる居場所を創りたいと思っても、生計は立てていく必要があります。私がしようとしている居場所創りは、富裕層の子ども達向けではなく、全ての層の人に向けたものなので、事業化は難しくお金にはなりにくいのです。だから夢は夢で実現して、別のところで生計を立てようと考えているのですが、そのためにまずは自分の力をつけようと思っています。そしてそれがどんな力かというと、大学や研究者含め、社会的に意見を聞いてもらえるような自分自身のステイタスや、客観的な視点で誰にでもわかりやすく話ができる力などです。そのような力をつけるために、私はこの9月からフィンランドの大学院に2年間進学しようと考えています。そしてその先は、アカデミックなバックグラウンドを身につけて日本に戻ってきたなら、居場所創りをする一方で、住んでいる市や県、国の教育施策を打ち出すための委員会などに役職を持って、仕事をしていきたいと思っています。
記者 なるほど、大きなチャレンジですね。その等身大でいられる居場所の方は、どんな形でしようと考えられていますか?
藤原 居場所創りは私1人では無理があるので、素敵な仲間を見つけようと思っています。私自身は、小学生の放課後に特化するつもりですが、色々な年代に対してのプロである仲間と、小学生以外にも乳児から高齢者まで幅広く関われるような場所にしたいと思います。
小学生に絞って話をするなら、最初は小学生の居場所として始めるのですが、その子ども達はいづれ卒業して中学生・高校生へとなっていきます。そうなった時に、小学生だけでなく、その中高生の居場所というように範囲を広げていこうと考えています。後、夜はスナックや小料理屋など、大人の居場所にしたり、そもそもシェアハウスなど全く違う切り口にしてもいいと思います。今のところ、詳細はフィンランドに行って、どんな形にするのか模索する予定です。
記者 フィンランドの大学院に行くと環境もだいぶ変わりそうですし、違う考えが浮かぶかもしれませんね。
「SDGsをツールに様々な人との関係性を育む中で、自己理解を深め、違う価値観の他者を受け入れられるように」
「放課後に活用できる取り組みの事例を紹介する"放課後ずかん"」
Q. 今現在はどんな実践行動をされていますか?
藤原 今は子ども達とSDGsに取り組んでいます。私はSDGsを広めたいわけではないのですが、SDGsをツールとして使うことで、社会で子ども達を育てるというところに、直に繋がっていくのです。例えば産業廃棄物の業者さんは、今までだとゴミ捨て場のゴミを回収するために学校を出入りしている人であって、子ども達との接点はありません。ところが、そこにSDGsという言葉を重ねた時に接点のなかった人が、捨てられたゴミがどこに行って、その後どうなるのかを話してくれる先生になるのです。SDGsをツールとして、子ども達が興味を持っていることに関わっている大人を探しては、一緒にやりませんかと声をかけさせていただいて、大人との関係性を創っています。このようにして、多くの大人との関係性をつくることができたら、自己理解も深まり、自分と違う価値観の他者のことも受け入れられるようになるのだと思います。
記者 なるほど、SDGsをツールにするといきなり先生になるのですね。とてもいい考えだと思います。さらにたくさんの人との関わりができたら、やがて居場所が生まれてくるというのも納得します。
藤原 そうなんです、ただそこにいた人がいきなり関係者になるんです。見方を変えれば全部繋がっていて、様々な人との関係性の中で、ありのままの自分と周りの人を受け入れる、そのような環境の中で育ち合うこと。これが私のやりたい夢でもあります。
記者 そのようにして藤原さんの夢と繋がっていくのですね。納得します。
藤原 またそれと同時進行で、放課後に活用できる取り組みの事例を紹介する"放課後ずかん"というサイトを作っています。この放課後ずかんは世界各国で実施されている素晴らしい放課後の取り組みを、SDGsの視点から編集、お届けしています。
欧米諸国では、放課後は子どもたちの成長にとって大切な時間と認識され、多様な選択肢のもとに豊かな時間が創出されています。なぜそのように認識されているかかというと、放課後は学校教育とは異なる社会教育の場としての理解があるからです。遊びを通じた主体性の醸成や人間関係の構築、異なる世代との交流、地域や社会とのつながりの体感など、放課後における学びの可能性は無限に広がっているのです。ところがその一方で、日本における子どもたちの放課後は、社会教育の場として豊かな環境とは言えない現状があります。その要因の1つとして、欧米のように放課後や余暇活動は、子どもたちの成長に欠かせない大切な時間であり学びである、という理解が広がらないことが挙げられます。そしてそんな中、2020年の教育改革に向けて"主体的・対話的で深い学び"の実践や、アクティブラーニングなどに注目が集まっています。また、国連が定める持続可能な開発目標"SDGs"などに代表される社会課題の解決に、全世代で取組む活動なども教育現場に求められています。
このような日本の教育の現状を受けて、私は、社会教育の場でもある放課後から、子どもたちと一緒に未来を切り拓くことが大切だと考えています。 だから、学校と家庭の間に位置する放課後における、国内外の多様な事例を共有し、学び合う場を創りたいと思い"放課後ずかん"を立ち上げました。
放課後からはじめるSDGsの事例や諸外国の事例などを紹介し、それぞれのフィールドで新しいチャレンジをする工夫や勇気を提供できる場の創出を目指しています。
記者 丁寧な説明をありがとうございます。おもしろそうなチャレンジですね。
「子ども達の聞いて欲しい、側にいて欲しい、居場所を必要とする人のため」
Q. では、等身大でいられる居場所を創りたいと思うようになったキッカケは、何だったのでしょうか?
藤原 キッカケは2つあると思います。1つは大学時代にしていた学童保育のアルバイトでの経験です。例えば、小学1年生の男の子が私に、お母さんを喜ばせるために今からダイエット体操の練習をするから付き合ってほしいとお願いをしてきたことがありました。また他にも、お母さんやお父さんには言えないけど、藤(藤原さん)聞いてよと相談をしてくる子どももいました。このようなことを見ていると、子どもにも話せる関係性が普段から身近にあることは大事なことだと思ったし、もし私に話せなかったらそのまま悩み続けるかもしれない。子ども達にも、ただ聞いて欲しいとか、ただそばにいて欲しいということがあるんだと思ったのです。だからそのような居場所を創りたいと思うようになりました。
そしてキッカケの2つ目は、それと同時期の私自身の話になります。実はその時、私は大学生になったばかりで、あまりの大きな環境の変化に親しい友達ができなかったのです。というのは、大学に入る前までは、中高一貫の学校でしたので中学生時代から一緒だった友達が常にいましたし、クラスがあったので毎日同じ友達に会っていました。そしてさらにその時は、クラスでも部活でも職員室でも、常にみんなの中心にいましたし、4つ下の妹の周りの人からも注目されていました。ところが、期待に胸を膨らませながら受験勉強を頑張って入った大学では、クラスがなくて友達できなかったし、友達ってどうやってつくるんだっけとわからなくなってしまったのです。みんなはサークルに入って楽しそうにしている一方で私はというと、誰も私のことは知らないし、名前を呼んでくれない。お昼に1人でパンを食べながら泣いているといった状況だったのです。だから私自身が、様々な人と関わりを持てる居場所が欲しかったし、ただ誰かに話を聞いてもらって、存在を認めて欲しかったのです。その後、私以外の人でも、あの時のように居場所を求めてる人はいるだろうと思うようになったと思います。
記者 大学入学当初、そのような辛い経験があったのですね。話してくださってありがとうございます。人のパターンは幼い頃に育った環境によってつくられますが、その認めて欲しい、注目されたいと思うようになった背景には、どんなことがあったのでしょうか?
藤原 もともと様々な人に見て欲しいという思いは強かったのですが、それに拍車をかけていたのは父の存在だと思います。父は銀行員だったのですが、夜中まで働いて帰るのが遅かったり、海外出張に行って家にいなかったりと会わないことが多かったのです。だから私は父に見て欲しかったし褒めて欲しかったのだと、大人になって気づきました。
記者 なるほど、お父さんとの関係性からきているのですね。家族のお話までありがとうございます。こうしてみると、藤原さんの夢と家庭環境は繋がっているのですね。本日は積極的なチャレンジのお話をありがとうございました。
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藤原さんに関する情報はこちら
↓↓
●放課後NPOアフタースクール
https://npoafterschool.org
●Facebook
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●放課後ずかん
https://houkagozukan.com/
https://www.facebook.com/放課後ずかん-2078228412468709/
■編集後記
取材をさせていただいた岸本と西尾です。藤原さんはとても人に関心のある方で、インタビューを始める前に、先に私たちのインタビューをするかのように質問をしてくださいました(笑)。興味を持って聞かれると嬉しいもので、ついつい話してしまいましたが、逆にそれが場が和む良い交流になったと思います。藤原さんがお話されるときも、とても気さくに笑いも交えながら話してくださり、取材とともに楽しい交流をさせていただきました。たくさんの仲間と交流されているだけあって、自然な会話のキャッチボールができたと思います。
人は支え合って生きると言いますが、彼女の雰囲気から、彼女自身がたくさんの仲間に囲まれて、また彼女も仲間や周りの人に別の形で還元する、そんな関係性を築かれているのだろうなと感じることができました。
これから新たなチャレンジをされるということですが、さらに良い仲間と関係性をつくれるようお祈りしたいと思います。
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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36
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