見出し画像

マインドフルネス瞑想についての誤解と間違い、正しい理解とは?

【マインドフルネス】は、数年前から医療やビジネスの分野で注目され、近頃再び、人々の関心を引くようになってきたように感じられますが、「マインドフルネス瞑想」やその効果については、「怪しい」「危険」「宗教」「病気が治る」など多くの誤解や先入観があるように思います。

実は私自身も、マインドフルネスについて正しく認識しようと努めるまで、「なるべくリラックスを心がける」など、間違って理解していたところがありました。

したがって今回noteでは、マインドフルネス(mindfulness)を正しく毎日の生活にとりいれてみるために、マインドフルネス瞑想についての誤解と間違いについて述べていきたいと思います。


では、まず、「マインドフルネス」とは何か、ということについてですが、例えば、『「今、ここ」に意識を集中する練習』(高橋由紀子 訳 日本実業出版社)という一冊の著者であるジャン・チョーズン・ベイズ氏は、

「マインドフルネスとは、自分の体や頭や心のなか、さらに身の回りに起きていることに意識を完全に向けること。批判や判断の加わらない「気づき」」

であると述べています。

そして、マインドフルネスについての誤解として、

1、「何かを一生懸命に考えること」
2、「すべての動作を非常にゆっくりすること」
3、「時間が限られた練習」

を挙げています。


「マインドフルネスは思考を手放し、気づきの状態に入ること」

1、「何かを一生懸命に考えること」に関して、マインドフルネスは思考を手放し、気づきの状態に入ることだとしています。

このことはつまり、マインドフルネス瞑想を行っている間は、普段の生活のなかで行っている思考はもちろんのこと、姿勢を意識する、呼吸を意識するといった思考をも手放し、いまの状態にただ気づくようにすることが大切だということです。

また、2、「すべての動作を非常にゆっくりすること」については、「ゆっくり行動しても、意識がお留守になっていることはあります」とし、「動作をどのくらいの速さでするかは問題ではありません」と述べています。

すなわち、マインドフルネスの練習のために、意図的に動作をゆっくりとすることがあったとしても、「ゆっくりすること」が目的ではなく、やはり大切なのは、意識を<いま>のありのままの状態に向けることなのです。


最後に、3のマインドフルネスは「時間が限られた練習」であるということに関しては、

「朝起きること、歯を磨くこと、ドアを通ること、電話に出ること、人の話を聞くことなど、日常の当たり前の行動のなかに、深い気づき、好奇心、発見の感覚を見出せるようになると、効果が現れます」

とジャン・チョーズン・ベイズ氏は述べています。

つまり、「さあ、~分間のあいだ、マインドフルネス瞑想をするぞ」と意気込んで、終わったら、様々なことに対する気づきをすぐに忘れて、「良い/悪い」といった価値判断やいつもの思考パターンに戻ってしまうよりも、1日中、様々なことに気づくよう観察を続けるほうが、より生活に役立つということなのです。


マインドフルネスの間違いとは?

また、私自身が、マインドフルネス瞑想やヴィッパサナー瞑想を実践していくなかで、知ることとなった、マインドフルネスについての間違いとしては、

◎マインドフルネス瞑想はリラクセーション法の一種である。

◎マインドフルネスは催眠やトランス状態である。

◎マインドフルネス瞑想を続ければただちに病気が治ったり、勝手に心の問題が解決したりする。

といったことが挙げられます。


マインドフルネスはリラクセーションやリラックス法ではない。

しかし、マインドフルネス瞑想は現在の瞬間に対する気づき(awareness)が重要であるため、いわゆる、心身の緊張をほぐす「リラクセーション法」ではありません。

マインドフルネス瞑想を実践し、呼吸を観察することによって、結果的にストレスが緩和されたり、気分的にリラックスしたと感じられることは十分考えられますが、「ストレス」に対する「リラクセーション」として、リラックスすることが目的ではないのです。

それゆえ、冒頭でもふれましたが、「マインドフルネスの間は、リラックスしよう」とすることは、間違いなのです。


マインドフルネスは催眠やトランス状態ではない。

また、「瞑想」というと、宗教的なものをイメージし、「催眠」や「トランス状態」に誘導されるのでないかと、警戒している方も多くいらっしゃるのかもしれませんが、科学的手法ともいえる「マインドフルネス」は、<いま・ここ>に細かく注意を向け、観察することが目的ですので、いわゆる「催眠」や「トランス状態」とは違います。

もしマインドフルネスを長時間行い続けることで、いまに対する注意がおそろかになり、眠気におそわれたり、ふとした拍子に何らかのイメージが浮かんできたりすることがあるかもしれませんが、マインドフルネスは決して、無意識の世界に自分を委ねたり、対象物に没入したりすることではありません。


その反対で、マインドフルに生きるとは、「あるがままをあるがままに観察する」といったように、意識的に今の自分のあり方に取り組み、あるがままの現実を受容することで、自分自身や自分以外の存在の、これまで気づかなかった部分に、気づけるようになるということなのです。


マインドフルネスを実践すれば病気が治るわけではないし、勝手に心の悩みが解決するわけではない。

最後に述べたいのは、気づきのトレーニングとしてマインドフルネスを実践することによって、病気の治癒や心の悩みの解決がもたらされるわけではないということについてです。

マインドフルネスは医療やビジネスの分野で注目されており、ここ数年の間は、マスメディアの働きによって「流行」になっていますが、マインドフルネス瞑想を続けることによって、これまで気づかなかったことに気づく機会が多くなったとしても、そのことで長年患っている病気がただちに治ったり、勝手に心の悩み苦しみが消えたりするわけではないのです(このことは「ダイエット」や「アンチエイジング」などでも同様です)。


むしろ、マインドフルネスを続けていくと、これまで目をそらしていた自分の心の性質や、逃避して先送りにしていた自分のなかの大事な問題が、現れてきて、思わず困惑してしまうことがあるかもしれません。

たとえば、自分のなかに、他人を憎んだり妬んだりする気持ちがあることにに気づいたとしたら、その心の性質を否定したり、排除しようとしたりするのではなく、最終的に自分の心の一部として受容することが必要になってきます。


大切なのは自分で主体的に取り組むこと。

自分という存在や、病気や人間関係など、自分が直面している問題にどう向き合い、どのように取り組むかは、自分次第なのであり、少なくとも、誰かに依存することではないのです。

つまり、マインドフルネス瞑想は、人生の様々な難問の解決や、健康や幸福の実現をサポートすることはあっても、自分の人生や心の性質にどのように向き合い、いかに解決していくかを決めるのは、最終的には自分の「主体」なのです。


すなわち、はじめのうちは、講師やインストラクターなどの専門家の指導に従ったり、本についている付録CDの音声に誘導されたり、AIやアプリやVRの助けを借りたりすることはあっても、最後は他人任せではなく、自分自身で主体的に取り組もうとする意志が、マインドフルネスを実践するうえで大切になってくるのですね。


以上今回のnoteでは、マインドフルネス瞑想についての誤解と間違いについて述べてみました。


「マインドフルネス」を正確に定義することは難しいですが、

1、マインドフルネスはリラクセーションやリラックス法ではない。

2、マインドフルネスは催眠やトランス状態ではない。

3、マインドフルネスを実践すればただちに病気が治るわけではないし、心の悩みが勝手に解決するわけではない。

ということは確かであると考えられます。


そしてマインドフルネス瞑想の実践において重要なのは、いきなり長時間取り組もうとしたり、過大な効果を期待したりはせず、毎日少しずつ、小さな習慣やセルフケアとして続けていくことだと考えられます。


長くなりましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


もしサポートしていただいた場合は、令和の時代の真の幸福のための、より充実したコンテンツ作りに必ず役立てます。