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母の短歌

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母が生前に作った短歌をまとめたものです。
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#短歌

夕焼け小焼けの短歌

夕焼け小焼けの短歌

毎日、夕方の5時半に「夕焼け小焼け」の曲が防災放送で流れる。柏市に住んでいたときも流れていた。どこかに出かけたときに、気をつけて聞いていると、たまに、「ふるさと」(うさぎおいしかのやま)のこともあるが、やはり「夕焼け小焼け」が多いようだ。

今や童謡が廃れ、学校教育でも歌謡曲が使われる時代だが、それでも「夕焼け小焼け」の曲が流れると悠久の過去からの変わらない人びとの営みを感じる。

「夕焼け小焼け

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母の短歌 あと追うも出来ずに生きいる今日の道

母の短歌 あと追うも出来ずに生きいる今日の道

 あと追うも出来ずに生きいる今日の道
 草の芽萌えてたんぽぽの咲く

母が60代で父に先立たれた。急に寂しい生活に変わった。道を歩けば、父と来たことが思い出されたようだ。「ここもお父さんと歩いたな。ずいぶんいろいろなところに行ったな」と言っていた。父が春彼岸に亡くなってから、何年目の春だろうか。ひとりで歩く道ばたに草は芽を出して、たんぽぽの花が咲いていた。

ひとりの人のことを思い、何度も歌に詠む

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母の短歌 抱きたる赤児と共に頭下げ

母の短歌 抱きたる赤児と共に頭下げ

 抱きたる赤児と共に頭下げ
 初めましてと亡父に告げぬ

まだ首のすわらない子を連れて、母のところに行った。母は、孫を抱いて早速、仏壇前に行き、父の前に座った。その時のことをこう歌に詠んで残してくれた。

「お父さんが生きていたら喜んだね」と母が言っていた。姉の子が生まれたときに、ひと際、喜んでいた父。もともと子ども好きだった。甥が生まれてから姉夫婦と奥多摩の渓谷に行ったときに、父がすごく喜んでい

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母の短歌 戦時食のイメージ湧きしさつまいも

母の短歌 戦時食のイメージ湧きしさつまいも

 戦時食のイメージ湧きしさつまいも
 老いの昼餉に快く食む

これまでにさつまいも程に実力とイメージに差があり、軽視されてきた食べ物はないだろう。高温でも乾燥地でも育ち、青木昆陽の時代から飢饉のときの非常食と考えられ、日本人の生命を救ってきた。デンプンやビタミンが豊富で栄養化の高い食べ物である。そういう役割からか、さつまいもにはマイナスのイメージがついてまわり、母の世代では、戦時食とされ、沖縄に出

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母の短歌 一瞬に人ざわめきて席は埋まり

母の短歌 一瞬に人ざわめきて席は埋まり

 一瞬に人ざわめきて席は埋まり
 常の如くに電車動きぬ

母は、朝早く出かけることがあったのだろう。柏駅の朝の光景をこう歌った。駅始発の電車に乗り込む乗客たちは皆こんなだったな。都心まで50分程だったが、車内はすし詰め状態で、それを回避するには座るしかない。始発の電車を待って座って行きたい。ドアが開くと脱兎の如く走った自分のことが思い出される。

満員電車と言えば、昔、日比谷線の竹ノ塚に住むAくん

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母の短歌 つやめきて紅く熟せる柿の実を

母の短歌 つやめきて紅く熟せる柿の実を

 つやめきて紅く熟せる柿の実を
 期待を持ちて皮をむきいる

柿の木が小岩の家の庭に植わっていて、毎年、秋になると橙色の実を生らした。榊󠄀の生垣に沿って椎の木の間に3本の柿の木があり、外を歩く人からは気づきやすかった。たまに近所の人が、赤くなった柿の実を見て、「お宅の柿は甘柿?」と聞く。母が「甘柿と渋柿が毎年交互なんですよ」と言うと近所の人は納得したような顔をしていた。事実、隔年で甘柿と渋柿を繰

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母の短歌 庭の山茶花次々と咲く

母の短歌 庭の山茶花次々と咲く

 身に沁みる冬を厭いて夫と見る
 庭の山茶花次々と咲く

小さな庭には、梅や沈丁花や私の知らない木々が植えられていた。そんな中で冬に赤い花をつける山茶花がひときわ目をひいた。ずっと椿だと思っていたが、母のこの短歌を読むとそれが山茶花だったのかと知った。

父は心臓に持病があり、特に冬の寒気は体に堪えた。春が来るのが待ち遠しくて、温かくなると「また一年だよ」と言っていた。また一年、生きられるというこ

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母の短歌 老い先の事など互いに触れずして

母の短歌 老い先の事など互いに触れずして

 老い先の事など互いに触れずして
 笑顔で語る息子らの招きに

母がまだ元気な頃の短歌だと思う。友人たちと楽しく交わっていながらも、先のことを思うと不安になることがあったのだろう。気丈な母は、口に出すことはなかったが、短歌を読むと本当の気持ちが感じられて、辛くなる。

母が介護施設で息をひきとったときには、ああすればよかった、こうすればよかったと思った。最後の数年は、歩いて数分の娘夫婦の近くに住ん

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母の短歌 廃棄せんと決めし自転車のペダルにも

母の短歌 廃棄せんと決めし自転車のペダルにも

 廃棄せんと決めし自転車のペダルにも
 深く染みいむ夫の足あと

休みの日によく父子して、自転車のペダルをこいで出かけた。手賀沼辺りのこともあったし、さらに利根川岸まで遠出したこともあった。ある時、父は、漕ぐだけ漕いだら、自転車を倒して草むらにバタッと寝ころんだ。父の心臓がバクバクと踊り出したのだろう。

また松戸の小金原へのこともあった。小金原の先は、昔住んでいた千駄堀が近く、そこには私の生まれ

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母の短歌 唇の熱きも忘れ

母の短歌 唇の熱きも忘れ

 唇の熱きも忘れ六十路来て 
 肩をふれつつバスの旅行く

「唇の熱きも忘れ」に与謝野晶子の「柔肌の熱き血潮に」の歌を連想するが、母にもそのような情熱が隠れていたのかと感じている。そう言えば、母の普段の理路整然とした落ち着いた語りぶりとは打って変わって時に豊かな感情が表れることがあった。

母の60歳の頃は、退職した父と静かな生活を楽しむことができるようになっていた。短歌会や絵画のサークル等でたく

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母の短歌 川原にて友と語りし江戸川は遥かに遠く流れゆくなり

母の短歌 川原にて友と語りし江戸川は遥かに遠く流れゆくなり

 川原にて 
 友と語りし江戸川は
 遥かに遠く流れゆくなり

 緑の野に 
 身をよこたえれば想い出す
 江戸川堤の草の香りを

私たち家族は、昭和50年まで南小岩というところにいた。柏に来てから母は、「小岩は川があってよかったな」と言ったことがある。小岩を東西から挟むように東に江戸川、西に新中川が北から流れている。いずれも容易に歩いていける距離にある。江戸川の川原は広く、土手に登れば、善養寺の

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母の短歌 年を重ね日々思ひゐるこの足でしかと踏みたきまだ知らぬ地を

母の短歌 年を重ね日々思ひゐるこの足でしかと踏みたきまだ知らぬ地を

東日本大震災のあの日、高齢の母がいないというので、家の前で近所の人が心配していると、向こうから母が歩いてやってくるのが見えた。「電車が止まってしまったので、柏駅から歩いてきました」と言う母の言葉を聞いて、近所の人たちは、ほっとするやら、驚くやらだったそうだ。足が達者で、歩くことを苦にすることがなかった。友人と山にも行っていたようだ。私と尾瀬に行ったときも、一度も疲れたと言うことはなかった。30キロ

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母の短歌 啄木の如きになるは遠けれど 

母の短歌 啄木の如きになるは遠けれど 

 啄木の如きになるは遠けれど
 母さんの短歌(うた)も解るよと
 息子(こ)の言う

母が入っていた「郷土」という短歌の同人会では、会員は、作者名が伏せてある短歌の中から選をして、次の短歌会に持ち寄っていた。

ある日、母は、短歌の書いてある用紙をわたしに見せて、その感想を聞いた。わたしには選をする力はないが、母の歌がどれか何となく分かった。その後も同じようなことがあった。そして、何故かいつも母の

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母の短歌 柏の斎藤牧場

母の短歌 柏の斎藤牧場

 住宅の迫れる中の牧場で
 牛はのどかに今日も生きゐる

柏市加賀の西側に、かつて斎藤牧場という牧場があった。遊びに行くと柵越しに牛が顔を出し、道端に生えている草をあげると食べていた。畑には大きなトウモロコシが実った。牛の飼料にするという。牧場のあちこちで、かつて田園地帯に必ずあった肥溜めの匂いがした。秋に西風が吹くようになると住宅の方にその匂いが伝わって来た。

どういういきさつがあったのか、牧

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