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母の短歌 川原にて友と語りし江戸川は遥かに遠く流れゆくなり

 川原にて 
 友と語りし江戸川は
 遥かに遠く流れゆくなり

 緑の野に 
 身をよこたえれば想い出す
 江戸川堤の草の香りを

私たち家族は、昭和50年まで南小岩というところにいた。柏に来てから母は、「小岩は川があってよかったな」と言ったことがある。小岩を東西から挟むように東に江戸川、西に新中川が北から流れている。いずれも容易に歩いていける距離にある。江戸川の川原は広く、土手に登れば、善養寺の屋根や江戸川病院の建物が見下ろせ、対岸には国府台の青々とした風景が望まれた。子どもの頃には毎夏、花火大会が総武線に近い川原で行われ、土手に寝そべるとちょうどよい角度で花火が楽しめた。帰りは薄暗い千葉街道を隣家の子たちと歩いて帰った記憶がある。

父とは、よく新中川や江戸川に歩いた。親子三人で新中川の土手を一之江まで歩いたこともあるが、母と江戸川に行った記憶がない。この短歌で、家事に追われていたはずの母が、友だちと江戸川に遊び、普通に江戸川が身近なものだったと分かってうれしい。

母は、仲の良かった人たちには便りを出していたようで、時々その人たちの近況を話してくれた。人は、引っ越すと、なかなか旧地に行くことはない。「川原にて友と語りし江戸川は遥かに遠く流れゆくなり」柏に来て数年経ち、江戸川の川原で友と語ったことも遠くに流れ去って過去の思い出になってしまった。母のそんな小岩の頃を懐かしむ思いが伝わってくる。


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