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母の短歌 年を重ね日々思ひゐるこの足でしかと踏みたきまだ知らぬ地を

東日本大震災のあの日、高齢の母がいないというので、家の前で近所の人が心配していると、向こうから母が歩いてやってくるのが見えた。「電車が止まってしまったので、柏駅から歩いてきました」と言う母の言葉を聞いて、近所の人たちは、ほっとするやら、驚くやらだったそうだ。足が達者で、歩くことを苦にすることがなかった。友人と山にも行っていたようだ。私と尾瀬に行ったときも、一度も疲れたと言うことはなかった。30キロのかち歩き大会を歩きぬいたというのが自慢だった。よく「歩くとせいせいするよ」と言っていた。歩くのが好き、旅が好き、そんな母だった。

私が退職した年に母を連れて伯父(母の兄)の墓参のために沖縄に行った。観光タクシーの運転手さんに摩文仁の丘や南部戦跡を案内してもらったが、母の歩みを見て、「ゆっくりだがしっかりと歩いている」と言われた。

次の日に那覇の首里城に行った。城の石段を母と一歩一歩ゆっくりと登っていたら、後ろから早足で登ってきた男性に声をかけられた。
「お齢なのに石段を頑張って歩いている姿に勇気づけられました」と言う。北海道からオートバイで一か月間かけて全国都道府県を制覇する旅をしてきて、沖縄が終点だとのこと。「お願いだから俺に一か月休暇をくれ」と奥さんに頼み込んだらしい。私の方が勇気をもらえる話だった。

足が弱ってきても、最後までカートを引いて歩いていた。玄関の階段を上がる時にカートを持ち上げていた。脚力だけでなく、腕力もあったのだと今になって思われる。

母が亡くなって、喪中はがきを作ったが、どうしても母の作った短歌を入れたいと思った。どの短歌がよいかいろいろ思案したが、最後まで前向きに生きようとした母には、やはり、この短歌がいいと思った。

  年を重ね  日々思ひゐるこの足で
     しかと踏みたき  まだ知らぬ地を     キミ
                                                                 
2023.1.12


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