可能なるコモンウェルス〈46〉

 移民の地イオニアにおいて人々を互いに結び合わせていたのは、従来の血縁・地縁にもとづく氏族的紐帯ではなく、そういったものから自らを切り離して遠くイオニアの地に赴き、その場所で何処の何者でもない一人の人間となることで「最初から個人であった」ような多種多様な人々の、その間で取り交わされていた対等=平等かつ相互的な合意・同意にもとづく、一種の「盟約(=社会契約)」なのであった。
「…イオニアのポリスは、そのような個人の『社会契約』によって成立した。…」(※1)
 ところで一般に、古代ギリシャ地域における公的な政治構成体の代名詞としてまず思い浮かべられるのが、まさしくその「ポリス(都市国家)」なのだろうと思われる。さらに言えば、今なお「政治」に関わるさまざまな事象に絡めて語られる、これまたさまざまな「政治的概念」は、実にこの「ポリス」をめぐる観念にこそ、その原点が求められるものなのだろうというのも、ここに付け加えておくべきところである。

 その「ポリス」という言葉からまず一般に連想されるのは、アテネやスパルタといった、ギリシャ本土において隆盛を極めた都市の名であろう。そこでそういった「有名な」都市国家に対して、このポリスという政治体の「起源」を見ようという意識が湧き上がるのもまた、人の心情として避け難いところだ。
 しかし、実態として「ポリスの原理はイオニアに始まり、それがギリシア本土の都市に広がった」(※2)ものなのだ、というのが柄谷行人による見解である。さらに言うなら、イオニアのポリスとギリシャ本土のポリスでは、そもそもその成立時点からまるで正反対の条件にもとづいていたのであり、加えてその政治体としての本質においては、イオニアのイソノミアとギリシャ本土のデモクラシーとでは、それぞれその性格が全く異なるものなのだとしている(※3)。
 柄谷によると、ギリシャ本土におけるポリスは、イオニアのポリスのように「諸個人の同意と契約によって形成されていた」とは必ずしも言えないのだという。
「…氏族的共同体やその延長であるような社会では、人は共同体に内属している。したがって、そこに、個人は存在しない。ポリスは、諸個人の同意と契約によって形成されるという原理に立っている。しかし、実際には、ギリシアの都市国家は多氏族の連合体として成立したのであり、個人の選択によるのではなかった。個人による選択が可能なのは、氏族に従属しない個人、さらに、望むならいつでも外に移動できるような個人がいる所においてのみである。それはイオニアのような植民地でしかありえない。…」(※4)
 たとえばもしも、従来からある氏族的共同体に「すでに内属している」ような人ならば、「もはやすでに何者かであるために、それ以上にあえて個人になる必要などなかった」のではなかろうかというように、見て取ることもできるだろう。また、たとえば「国家」なるものというのは、現状ある「共同体」がそのまま持ち上がったり、あるいは他の共同体と結合したりして、そのように従来からある共同性の延長・発展として形成されていくものなのだというように、一般的には考えられていよう。そして、ギリシャ本土のポリスについてもやはり、結局のところまさにそのような「形式」に沿ったものとして形成されたというように見なすのも、たしかに可能なことではあるだろう。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 柄谷行人「哲学の起源」
※2 柄谷行人「哲学の起源」
※3 柄谷行人「哲学の起源」
※4 柄谷行人「哲学の起源」

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