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週報『海のまちにくらす』(2022-2023)

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2022年春から大学を休学して東京を離れ、新しい土地で生活をしています。相模湾に面した小さな半島です。ここではじぶんは土地を通過していく観光的旅行者でも、しっかり根をおろした恒久…
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#真鶴

海のまちに暮らす vol.23|役に立つアッシー、何もない僕の生活

海のまちに暮らす vol.23|役に立つアッシー、何もない僕の生活

 アシダカグモという、サイコホラー映画にでも出てきそうな恐ろしげな格好のクモが我が家にやってきたので、「アッシー」という名前をつけて飼うことにした。飼うといっても、別に餌を与えているわけではないです。一応同じ屋根の下で生活を共にしているし、しょっちゅう顔も合わせます。夜中にトイレなんかで会うとけっこうどきんとする。けれど数日経つと慣れてしまうのと、向こうも僕に驚いて逃げていくので(体長に関していえ

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海のまちに暮らす vol.21|それはまるで来客の絶えない家の玄関みたいに

海のまちに暮らす vol.21|それはまるで来客の絶えない家の玄関みたいに

 新しく畑に畝をつくろうということで、元々あるジャガイモの苗木を1本抜いたら小さな芋ができていた。せっかくなので持って帰って茹でてみる。ピンポン玉くらいの可愛らしいジャガイモがミルクパンの泡と煙のなかで踊る。ザルへあげ、塩と胡椒をまぶして口に放り込むと、小さいながらもちゃんとジャガイモの味がして、ほくほくとした甘みの奥のほうに畑の土の味も混ざっているような気がした。ジャガイモは土の中にできるからか

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海のまちに暮らす vol.20|バイシクル・バイ・マイサイド

海のまちに暮らす vol.20|バイシクル・バイ・マイサイド

 真鶴出版で一緒に働いているタカハシさんから自転車をもらった。なかなか乗る機会がなくてね、と言って、ネイビーのボディにブラウンのサドルが付いたコンパクトなモデルをくれた。ある日の昼時、タカハシさんはその自転車に乗って真鶴出版へやってきて、夕方、今度は僕がそれにまたがり家まで帰った。目的の品物をさりげなく受け渡すマフィア映画の一幕みたいでなんだか面白かった。備え付けのカゴにはリュックサックがちょうど

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海のまちに暮らす vol.18|1人きりで無人島へ流れ着いたら、はじめに何をつくるか

海のまちに暮らす vol.18|1人きりで無人島へ流れ着いたら、はじめに何をつくるか

 浅草で仕事があったので早々に家を出る。水曜午前7時台の東海道線内には明らかにおかしな量の人間が詰め込まれていて、それは「ショートコント〈この世の終わり〉」と呟いてから乗車したほうが良いのではないかと思えるほど、この世の終わりみたいな有様になる。一体どうしてこれほどの数の人間を毎朝東京へ送り込まなければならないのだろう。どうしてこんな民族大移動の予行演習みたいなものを義理がたく繰り返さなくてはなら

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海のまちに暮らす vol.17|タイミングというものに関して、僕の人生はそれなりの寵愛を受けている

海のまちに暮らす vol.17|タイミングというものに関して、僕の人生はそれなりの寵愛を受けている

 「のもとくん、一度真鶴カメラにおいでよ」

 5月のある日。真鶴在住の写真家、シオリさんとモトコさんに誘われて、言われるがままに〈真鶴カメラ〉に参加することになった。

 〈真鶴カメラ〉は半年前からはじまった企画らしい。主な活動はカメラを持って町を歩くこと。真鶴に住む老若男女が、自分たちの暮らす町の姿を自分たちで写真に撮って発信していくというものだ。今回のテーマは「お店」。わが町自慢のお店を撮ろ

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海のまちに暮らす vol.16|ねこ先輩のこと

海のまちに暮らす vol.16|ねこ先輩のこと

 ねこ先輩に会ったのは春の午後だった。真鶴出版の2階で布団を干していたら、隣家の屋根の上に小さな獣が寝そべっているのがみえた。はたしてそれがねこ先輩だった。

 ねこ先輩はトタン屋根の上に全身を伸ばして横たわっていた。体の表面積をなるべく広くして、少しでも多く太陽の光を受け止めようとしているみたいに平べったく溶けかかっていた。ふくよかな白饅頭を空から屋根の上へ勢いよく叩きつけたら、あんな感じになり

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海のまちに暮らす vol.15|墓地はその地でもっとも眺めの良い場所に用意されている

海のまちに暮らす vol.15|墓地はその地でもっとも眺めの良い場所に用意されている

 来る夏を迎え撃ち、ぎゃふんと言わせるためにエアコンを設置することにした。作業が済んだのは午前11時で、スマートフォンの天気予報アプリは22度の最高気温を示している。外はまさに簡易版の真夏日というような陽気で、寝室から覗く海はブルーのセロファンシートのように煌びやかな点滅を繰り返していた。

 これまで海に行くといえば、わざわざ朝から電車に乗ったり、決して短いとはいえない距離を歩いて移動しなければ

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海のまちに暮らす vol.14|畑、スタート

海のまちに暮らす vol.14|畑、スタート

 朝起きてすぐ、畑まで歩く。今日から正式に自分の畑をはじめることにする(この連載では便宜的に「僕の畑」と呼んでいる。それはつまり真鶴出版で借りている耕し手のいない共同農園の一角のことだ)。

 駅を越え、坂を下る。真鶴出版の裏手にあるこの畑は、長いこと休耕していて、今では春の野草が伸び放題に生えている。それはまるで教師のいない公立中学校の教室のように伸びやかな自由奔放さを放出しているようにみえるか

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海のまちに暮らす vol.13|ゲームみたいな暮らしです

海のまちに暮らす vol.13|ゲームみたいな暮らしです

 ピザを食べるために坂を登っている。向かう先は駅前の店〈真鶴ピザ食堂KENNY (ケニー)〉。東京から真鶴へ移住してきたケンスケさんとニチカさんがやっているピザ食堂だ。僕は真鶴に住みはじめてまだ3週間と少し(原稿執筆時)だけれど、もう既にいろいろな人から「ケニーに行ってごらん」と言われている。休日に店内を覗くとお年寄りから若者まで幅広い層の人たちが訪れていて、みんな同じように円いピザを食べて談笑し

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海のまちに暮らす vol.12|何のために旅をしますか

海のまちに暮らす vol.12|何のために旅をしますか

 雨が降りそうなので、洗濯は干さないことにした。こういう時の勘はよく当たる。今日はこのあと昼食を食べに出るので、それまでにやるべきことを片付けておく。まず掃除機をかける。

 掃除機のコース(順路)はアトリエ用の作業部屋からはじまり、次いで寝室、それから台所、浴室、玄関の順でかけていく。作業部屋は床の色が暗いから、あまりホコリが目立たない。だけどここでは絵を描いたり紙を切ったり、細かい作業をしたり

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海のまちに暮らす vol.11|今回は餃子の話しかしていない

海のまちに暮らす vol.11|今回は餃子の話しかしていない

「きゃべつにらながねぎ、きゃべつにらながねぎ」

 図書館からの帰り道。呪文のように唱えながら坂をくだる。今夜は餃子をつくるのだ。

 思えば東京で1人暮らしをしていた時から、これまで餃子というものを自分でつくった試しがなかった。都内のワンルーム・キッチンの狭さでは、野菜を刻んだり大皿を何枚も並べておくだけの面積的な余裕がなかったというのもある。あるいはたまたま、僕がそのあいだ餃子という名の料理を

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海のまちに暮らす vol.10|すべての1日が力強く幕を開けるわけではない

海のまちに暮らす vol.10|すべての1日が力強く幕を開けるわけではない

 朝、まだ暗いうちに目が覚めた。昨日眠りについた時刻はそれほど早くなかった。にもかかわらず、ぱちりと目が覚めた。無機質なデジタルコンピューターが短時間で起動するみたいに。睡眠時間は十分とは言えないけれど、眠たいとは思わなかった。だから僕は活動をはじめることにした。そういう時は起きてしまったほうがいい。

 湯が沸くのを待つあいだに、雨戸を開ける。太陽は海の向こう側にいて、まだその姿を見せてはいない

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海のまちに暮らす vol.9|悩むのって案外エンターテイメントなのかもしれない

海のまちに暮らす vol.9|悩むのって案外エンターテイメントなのかもしれない

「モリザワ商店って知ってる?」

土曜日に真鶴出版へ行った時、ヤマナカさんに訊かれた。なんだろうモリザワ商店って。八百屋かな。知らないので尋ねてみたら、駅の近くにある古道具屋なのだという。真鶴在住の写真家・シオリさんが、旦那さんとやっているらしい。店が開いているのは年2回(春と秋)のそれぞれ短い期間だそうで、今春の開店期間は4月9日(土)からわずか3日間。今日が初日の土曜日だ。店には掘り出し物の古

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海のまちに暮らす vol.8|土の学校に入学する

海のまちに暮らす vol.8|土の学校に入学する

 6時に目覚めてグレープフルーツを切り、長靴とパソコンをリュックサックに入れて家を出る。これからナオユキさん家の畑に行く。MacBookを持って畑に行くなんておかしな格好だ。

 ナオユキさん家の畑は貴船神社の近くにある。地図でいうと、真鶴半島という、真鶴のなかでも特に海側に突き出したエリアだ。僕が住んでいるのは駅の方だから、ナオユキさん家の畑に行くためには、海側へ30分くらい歩くことになる。リュ

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