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海のまちに暮らす vol.9|悩むのって案外エンターテイメントなのかもしれない

〈前回までのあらすじ〉
ハタケ部の農場を訪ねた僕は、土に触れること、風に吹かれることで、大切な何かの記憶を思い出すことができるような気がしていた。

「モリザワ商店って知ってる?」

土曜日に真鶴出版へ行った時、ヤマナカさんに訊かれた。なんだろうモリザワ商店って。八百屋かな。知らないので尋ねてみたら、駅の近くにある古道具屋なのだという。真鶴在住の写真家・シオリさんが、旦那さんとやっているらしい。店が開いているのは年2回(春と秋)のそれぞれ短い期間だそうで、今春の開店期間は4月9日(土)からわずか3日間。今日が初日の土曜日だ。店には掘り出し物の古雑貨や古家具、スタイリッシュな古美術品も並ぶ。さっきからヤマナカさんはモリザワ商店に行きたくてうずうずしている。それを見ていたら僕もモリザワ商店が気になってきた。

 2日後の月曜の朝。6時に目が覚めて、顔を洗い、洗濯を外に干して家を出る。行き先はハタケ部(vol.8)だ。朝畑をやって、昼過ぎに家に帰る。シャワーを浴びてから着替え、机に向かって仕事をしていると、小学校、体育の後の国語の時間を思い出す。窓からの風に、沸騰した血液がゆっくりと冷まされていく、天井からもったりとした温かい睡魔が覆いかぶさってくる、あの感じがもう一度味わえるとは思わなかった。幸せな疲労感。「疲れ」というのは本来、幸せになるためにあるんじゃないかと思う。くたくたに疲れてよく食べよく眠ること。子どもはみんな疲れることの豊かさを知っている気がする。だけど大人になるにつれて少しずつ忘れて、だんだん疲れ方が下手になっていくんだと思う。だから最近の僕は正しく疲れるために毎日工夫して生きている(畑もその1つだ)。

 モリザワ商店に行ったのはその日の14時頃だった。もう最終日だし、いい品物はあらかたなくなってしまっただろうな、と半分諦めつつ、それでも残り物には福があるというから、いい出会いがある可能性に賭けて家を出る。駅裏の海が見える道を東へ歩く。車道の脇は土地が低くなっていて、谷のように窪んだところに家が連なっている。最初に真鶴で物件を探した時は、このあたりも候補に入れていた。石屋を過ぎたあたりで角を曲がり、住宅街に入る。この通りはとても静かで、ウグイスだけが桜の木の上で独唱を繰り返している。ウグイスの歌のためにMUSIC VIDEOを制作してあげたい。でも一度も依頼されたことがない。本当にこんな場所にモリザワ商店はあるのだろうか?

 路地を進むと、深緑の生垣が途切れるあたりにモリザワという表札がかかっている。恐る恐る階段を登ると「営業中」の立て板がある。古民家風の建物。中へ上がるとシオリさんが迎えてくれた。一緒に店番をしているシオリさんの友達もいた。玄関から一段下がったところには土間があり、古家具たちが置いてある。

 今日の僕の目当てはテーブルと椅子だ。僕の家にはまだ家具が少ない。作業用の机と椅子は一揃いあるのだけれど、それとは別にキッチンに置けるテーブルと椅子が欲しかった。だけどテーブルは昨日までにあらかた売れてしまったらしく、ほとんどにSOLDの札がつけられていた。
「椅子はまだ残ってるよ」と教えてもらったので、気を取り直して店内を見渡す。壁沿いの棚には、いろいろな古道具、古雑貨がずらっと並ぶ。どれも個性的な見た目をしているのだけれど、不思議と部屋の空間に調和していて、騒がしい感じがしない。隣り合って置かれたモノ同士が、それぞれの魅力を一層引き立てているように感じる。目利きのセンスが良いのだと思う。

 モリザワ商店では、使われなくなった古いモノを独自の審美眼でセレクトして集めている。壊れたものは修繕したりして、店に出している。
「元々は、真鶴の中で使われなくなったモノが回るようにしたかったの」とシオリさんは話していた。あるモノに新たな価値を生み出して、次の持ち主に引き継いでいく。新しくモノをつくることは簡単だけど、今すでにあるモノがどれだけイケているか、素晴らしいか、ということに気づく感性が、実は大切かもしれない。

モリザワ商店

 最初に僕が目をつけたのは、渋い飴色をした革製のクッションチェアだった。重厚な革の質感と、いい感じに使い込まれた年季の入り方をしている。座り心地は申し分なく、ずっと見ていたくなる美しさがある。
「これはモロッコ製だったかな。古い家から引き取ったやつだから、けっこう掘り出し物かも」とのこと。

 もう一つは、木製のダイニングチェア。シンプルに削ぎ落とされた美しいデザインで、折り畳むと座面と脚がぴったりと重なる。一枚の木の板のように合わさるのだ。丁寧な造形。好みかもしれない。シオリさんが座面を指差す。
「ここ、ネジの形がマイナス型でしょ。今の椅子はだいたいプラス型だけど、この椅子はマイナスなの。だいぶ昔につくられたんだろうね」
たしかにネジはマイナス型だった。プラス型に比べて見た目が素朴なこともあり、よりデザインに調和して見える。椅子のネジを見ればつくられた時代がわかるなんて知らなかった。これ、ちょっとイカしてるかも。

モロッコ製クッションチェア

モロッコのクッションチェアか、マイナス型ネジの木製チェアか。モロッコか、マイナスか。それぞれに違った良さを感じて即断できない。2つを見比べて悩む僕を見て、「ゆっくり決めな〜」という声が飛んでくる。この悩んでいる時間がすでに楽しい。悩むのって案外エンターテイメントなのかもしれない。

 「今、投げ銭ドリンクやってるよ」と言われたので、頼んでみることにした。投げ銭ドリンクとは、自分で決めた額の料金を支払ってつくってもらうドリンクのことらしい。お代はお気持ちで。なんか面白いドリンクだ。僕は柑橘系のドリンクを頼んでみた。どっちの椅子を買おうか、飲みながら考えることにする。もらった投げ銭ドリンクはほどよく炭酸が効いていて、柑橘系の香りが鼻へ抜ける。キンカンの皮が入っているらしい。日差しの強い瀬戸内海みたいな味がした。僕は瀬戸内海に行ったことがないけれど。

 小一時間悩んだあげく、僕はマイナス型ネジの木製チェアを手に入れることに決めた。これは後日、シオリさんの旦那さんが軽トラで運んでくれるらしい。それから、こじんまりした編み込みのカゴを1つ(シオリさんおすすめの品だ)と、無農薬栽培のチューリップを2本買った。編みカゴはキッチンに置いて、果物を入れておくのに使おうと思う。チューリップは球根付きなので、切り分けた球根は陰干しすれば、次の春に植えることができるらしい。この球根は畑に植えたらいいかもしれない。

 シオリさんは2本のチューリップを紙でくるみ、編みカゴに入れてくれた。
「次に店を開けるのは秋ですかね」と訊くと、
「わたしたち明日から次の仕入れに行くから、いいのが入ったら近いうちにやるかも」と言った。

 店を出た僕はチューリップとカゴを手に持ったまま、道路脇を歩いて帰った。線路の向こうの海は、相変わらず信じられないほど青かった。日差しが強い。夏はもう鼻先くらいまで姿を現しているんじゃないかな、と思う。ときどき海から吹く風が、カゴの中に寝かせた花を左右に煽るから、僕は腕でそれを守りながら慎重に歩いた。



vol.10につづく


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