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海のまちに暮らす vol.8|土の学校に入学する

〈前回までのあらすじ〉
畑をやりたいと言い回っていたら、畑をやれることになってしまった。次の休みの日、僕は真鶴で身に纏ういくつかの新しい服を買い、農作業用の長靴を手に入れる。ちょうどそのタイミングで、真鶴に住む映像作家のナオユキさんから「うちの畑に来ませんか」というお誘いをいただいた。

 6時に目覚めてグレープフルーツを切り、長靴とパソコンをリュックサックに入れて家を出る。これからナオユキさん家の畑に行く。MacBookを持って畑に行くなんておかしな格好だ。

 ナオユキさん家の畑は貴船神社の近くにある。地図でいうと、真鶴半島という、真鶴のなかでも特に海側に突き出したエリアだ。僕が住んでいるのは駅の方だから、ナオユキさん家の畑に行くためには、海側へ30分くらい歩くことになる。リュックサックを背負って、海沿いの山道を登っていく。息があがる。ここは海抜何メートルだろう。けっこう高いところまで来た。天気がよくて、空が近い。鼻の先をトンビが旋回している。今ちょっと目があったかもしれない。

 半島の高台にある別荘地エリアを抜け、道が少し下りにさしかかったあたりにナオユキさん家の畑はあった。縁側にナオユキさんがいた。
「お、しゅうへいくんこんちは」
 ナオユキさんは真鶴に住みながら映像作家の仕事もやっている。仕事の関係で東京に行くこともあるそうだ。
「畑は妻がよくやっていて、詳しいから」
 奥さんのエイコさんも家から出てきて挨拶をする。素敵な佇まいの家だ。土の上を海風が通り抜ける。

 ここには、マツダイラ家の畑を中心に農作好きが集まる〈ハタケ部〉というコミュニティがあるらしい。メンバーはぜんぶで数十人ほどいるという。その時々で来れる人たちが入れ替わりながら畑で汗を流している。年齢も職業もさまざまで、麹料理屋さんもいれば、デザイナーや写真家、イラストレーターもいるらしい。みんなだいたい真鶴のあたりで生活している人たちだ。ハタケ部ってなんだか大人の部活動みたいな名前だ。だから今日は仮入部にきた新入生みたいな気持ちだ。

「あ、ちょっと待ってね」とナオユキさんは言って、縁の下を覗く。
「ウーちゃーん、ウーちゃんおいで」

 しきりにウーちゃんと呼ぶ様子を見て、一体どんな生き物が現れるのだろうと身を固くしていたら、白い羽毛に包まれた鶏がトコトコ走り出してきた。
「ウーちゃんだよ。ウコッケイ。ウコッケイのウーちゃん」

 ウコッケイというのは、一般的なニワトリをより野生に近づけたような見た目の品種だ。ウーちゃんは系統こそニワトリだけど、よく見るとダチョウのような逞しい体つきをしている。ウーちゃんは人に慣れているみたいで、僕たちの足の間をしきりに出たり入ったりする。見た目は鳥だけど、仕草や動き方は飼い犬みたいだ。
「ウコッケイって人に懐くんですか」と僕は訊いてみた。
「うん。ウーちゃんは子どもたちと一緒に寝てるよ」とナオユキさん。家の中でウーちゃんはニワトリ専用のオムツをしているらしい。ウーちゃんは僕の足元にも歩いてきて、長靴についた土をしばらく眺めた後にコツコツとつつきはじめた。一応、畑仲間として認めてもらえたらしい。

 畑は斜面の途中にある。細長い土地の形をしていて、目の前には海が見える。「ここに生えてる草と、あそこの木は土の中でつながってるみたい」とエイコさんは言う。2つの植物は30メートルくらい離れている。それなのに、お互いの情報をやりとりしているのだ。あそこの木が倒れたとか、南側の土がダメになったとか、そういう植物同士のSNSみたいな連絡網が土の中にはあるらしい。人間でいうとTwitterかFacebookみたいなものだろうか。

〈ウーちゃん〉

 エイコさんは土の中に手を突っ込んで、小さな木のかけらを手渡してきた。この畑には、至るところにウッドチップという、木材を細かく砕いたカケラのようなものが土と混ぜて敷いてある。渡されたウッドチップには、よく見ると表面に何やら白いものがびっしりとついていた。カビのようにも見える。

 これがシジョウキンというやつらしい。漢字で書くと、糸状菌。白い糸くずみたいな、カビみたいなやつ。これが土の中で、糸みたいに植物の根っこのまわりにまとわりつく。糸状菌は、植物と微生物を仲良くさせるために大切な助っ人らしい。植物は、自分がつくった栄養を微生物に渡す。微生物も土の中の栄養を植物に渡す。お互いにwin-winな関係になるのだ。そういうプレゼント交換みたいなイベントが土の中で行われると、畑の野菜はぐんぐん育つ。そのためには微生物ネットワークを張り巡らせること。畑の土に糸状菌を増やすことが大切だ。そうすることで、人間がわざわざ肥料を与えなくても、土から栄養をもらえるから。たしかに山の中の植物たちは、人間が肥料を与えているわけでもないのに勝手に成長して木の実をつける。人間が何かを与えるほうが不自然なのだ。

 人間がたくさんの化学肥料を投入すれば効率的に野菜ができるけれど、野菜が育った後、土の中の栄養はなくなってしまう。そうなると野菜を育てるためにずっと餌(肥料)を与えつづけなくてはいけなくなる。野菜を育てるために、毎回大量の化学肥料を使うのはやっぱり何かおかしな気がする。生産量を消費量が上回ってしまうやり方は、自然にとっても、人間にとってもやさしいやり方ではないのだと思う。だから、ここ畑部では、なるべく自然そのものの力(主に微生物の働き)を生かして野菜を育てようとしている。そのためには糸状菌による微生物ネットワークが重要なのだ。

 今やろうとしているのは、いくつかの種類の野菜を一緒の場所で育てるという試みらしい。こんもりと盛り上がった土の山には、まだ小さな緑色の芽が顔を出していた。
「これね、トウモロコシの苗」
 ここには3種類の野菜を植える予定だという。トウモロコシ、インゲン、カボチャの3つ。まずトウモロコシが上へと伸びていき、ある程度育ったらその脇にインゲンを撒いておく。トウモロコシの茎はインゲンが巻きつくための支柱になるし、インゲンは大気中の窒素を植物が吸収できる栄養にして、トウモロコシにも分け与えてくれる(専門の言葉で窒素固定という)。さらに、カボチャは大きな葉を広げて地面を覆い、土が乾燥するのを防いでくれる。それぞれの植物がお互いを助け合って生きている。面白い。

 ちなみにこのやり方は、「スリーシスターズ(3姉妹)」といって、ネイティブアメリカンに古くから伝わる農法なのだとか。限られた土地を有効に使うための素晴らしい知恵。今までは畑といえば、同じ種類の作物を大量に栽培しているイメージを持っていたから、畑部の畑の姿は新鮮だ。でもそれがこの場所にあったやり方なのだと思う。自分たちにあった土地の使い方を考えていくのも楽しそうだ。ここではみんな土と真剣に向き合っている。

〈糸状菌の付いたウッドチップ〉

 土の作り方に関しては、エイコさんたちもまだ勉強中だという。聞くところによると、二宮というところに微生物農法で畑をやっている達人がいて、畑部でやっている農法はその人から教わったものらしい。今度その人の畑にも連れていってくれるという。楽しみだ。掘り起こされた芋づるのように、次から次へと面白そうな人が現れて、つながっていく。この畑部にも微生物好きが自然と集まってくる。

 土をいじっていたらミミズが出てきた。ミミズはウーちゃんの好物らしい。呼んだら走ってやってきたので目の前に置いた。真っ黒な瞳でしばらく見つめてから、パクッとひと口で食べた。
「今日はあまり食欲ないみたいねー」
ウーちゃんはハーブの茂みの方へ歩いていってしまった。白い首すじだけが、青々としたセロリの葉の隙間から見え隠れする。時々、植えたばかりのトウモロコシの苗を踏んづけて、ちょっと怒られている。

 ニワトリも人間も、みんな土の上に足をつけて、歩き回ったり、クワを振るったり、喋ったりしている。土の上で、今まで知らなかった多くのものごとがわかるようになっていく。土の学校だ。土の学校・ハタケ部。僕は大学を休学して、土の学校に編入したみたいだ。そう考えるとなんだか面白い。僕は土の上で新しい人(ニワトリ)たちに出会い、新しい勉強をはじめている。

「これ持っていきな」
帰りぎわに、ハーブをひとつかみ持たせてくれた。さっきまで畑の隅に生えていたやつだ。パセリをその場でちぎって口の中に入れてみる(もちろん洗ったりはしない)。青くキレのある香りが鼻へ抜けていった。スーパーに売っているものより、葉がシャキシャキしているような気がする。このハーブたちが植えられた場所は、畑の中でいちばん土のコンディションが良い場所なのだそうだ。土から栄養をしっかり吸っているのだと思う。他の香草は鶏肉と一緒にフライパンで焼くといいらしい。塩胡椒なんかもかけて。ちょっとした手土産が嬉しい。しまう場所がないから、リュックサックのサイドポケットに挿して歩く。海が見える坂道を今度は下って帰る。火照った体を冷ますかのように、涼しい風が下から吹き上げてくる。

 家に帰って長靴を干すと、畑の土と太陽の匂いがした。日なたの土の匂いを長いこと嗅いでいなかった気がする。その匂いは、幼い頃に公園で遊んだ時の草むらの記憶に結びついている。畑にいた虫も、沖から巻き上げてくる透明な風も、ぜんぶ何かしら大切などこかの記憶に結びついていて、大人になった僕がその結び目に触れるのをじっと待っている気がする。そうやってここで、僕は1つ1つ大切なものを思い出していくことができるはずだ。


vol.9につづく




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