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海のまちに暮らす vol.12|何のために旅をしますか

〈前回までのあらすじ〉
湿った大気の帰り道。僕は思い立って餃子をつくることにした。

 雨が降りそうなので、洗濯は干さないことにした。こういう時の勘はよく当たる。今日はこのあと昼食を食べに出るので、それまでにやるべきことを片付けておく。まず掃除機をかける。

 掃除機のコース(順路)はアトリエ用の作業部屋からはじまり、次いで寝室、それから台所、浴室、玄関の順でかけていく。作業部屋は床の色が暗いから、あまりホコリが目立たない。だけどここでは絵を描いたり紙を切ったり、細かい作業をしたりするから、なるべくこまめに掃除をするようにしている。ついでに机の上のものも片付ける。僕の知り合いにはアトリエがごった返していても全然平気、というタフな人間が多いのだけれど、僕はものが少ないほうが作業に集中できる。たくさんの書類が積み上がっていたり、食べ物の残骸が目に入るところにあると、うまく頭が働かない。トイレにいっぺんに紙を流しすぎると詰まってしまうように、部屋に物が散乱していると、僕の頭の中にある回路のようなものが詰まりを起こしてしまう。だから大抵のトイレには注意書きの貼り紙がしてあるし、僕は部屋のものを少なくするように努めている。〈つまりの原因となりますので、一度に大量のトイレットペーパーを流さないでください〉

もちろん極度に潔癖な人間ではないので、部屋が散らかることもある。ただ、少なくとも作業机の周りだけはそれなりに整然とさせようと意識している。一種の習慣のようなものだ。

 今暮らしている家は部屋の数も多く、天井も少し高いから、以前の住まいにいた時に比べて、頻繁に掃除をするようになった。東京にいた頃は日中に家を空けていることも多く、掃除をサボっている時もあったけれど、今は家で過ごす時間が長くなった。制作や炊事をはじめとした家事全般、それからウエイトトレーニングなどの運動も家の中で行っている。生活をつづけるうえで、部屋がある程度清潔に保たれているか、ということに対する優先度が高まったのだと思う。でも掃除ってなかなか億劫でしょう(やりはじめるタイミングが決められない)。そんなわけで、僕にとっての問題は、掃除というものをどうやって生活の習慣に組み込んでいくか、というものだった。それも無理がなく・自然に・継続的かつ自発的に。

 さまざまなシミュレーションがなされた末に、「休日の朝食が済んだ後がよろしい」という結論が出された。実際、夜や早朝はあまりうるさくできないし(我が家の掃除機は性能こそ取るに足らないが、稼働時の騒音だけは立派に大きすぎる)、仕事がある日は8時頃家を出てしまうから、なかなか暇がない。幸い今の生活だと週に2回ぐらいは休みがあるので、その休日の午前中、朝食をとった直後がいちばんスムーズに掃除にとりかかりやすいだろう、という算段になった。

 そして僕自身の性質として「やりたいことは勝手にどんどんやるが、あまり気の進まない物事は具体的な日時を決めないと一向に取りかからない」というのがある。なので、「朝食の直後」という風にかっきりと決めてみた。具体的に決めると、体が勝手に動き出す。ふわっと決めるといつまでも動かない。僕は本当にわかりやすい生き物なので、言うことをきかせるにはできるだけ具体的なもの(情報)を与えてやる必要がある。そうすると行動をはじめる時のストレスが限りなく0に近づく。乗用車が発信する時、登り坂ならアクセルをぐっと踏み込まないといけない。けれど、下り坂なら何もしなくてもスーッと進む。人間が発進する時もだいたい同じだ。何をはじめるにしても、具体性という傾斜をつけてやるとスーッと進んでいく。速やかに軽々しく。無駄なガソリンも消費しない。かれこれもう20数年この体で生きてきているから、自分自身の取扱説明書ならそれなりのものが書けそうだ。

 だから僕は朝食を片付けて、すぐに掃除に取りかかる。一旦はじめてしまえば、掃除はなかなか楽しいものだ。ホコリが勢いよく掃除機に食べられていくのは何とも言えない気持ちのよさがある(ペットに餌を与えているみたいで)。窓を開けると海からの風が部屋を抜けていく。シンクは磨くと良い音がする。気づけば黙々と、集中して手を動かしている。頭がしゃきりとする。「どうしてもっと早く掃除をはじめなかったのだろう、こんなに良いものなのに」という気分になる。おそらく、そう思うくらいでちょうど良いのだ。

 というか掃除って、やって後悔するということがない。「うわ、掃除なんてしなけりゃよかった」と後から感じた経験が僕にはない。これは掃除だけではなく、例えば「散歩」や「入浴」なんかも同じグループに属すると思うのだけれど、実際にやってみて「やらなきゃよかった」ではなく、必ずと言っていいほど「やってよかったな」ということになる(体感的には98%くらいの感覚だ)。これはなかなかどうしてすごいことだと思う。たしかに、最初は面倒くさくて億劫なのだけれど、一度足を突っ込んでしまえば確実に満足感が返ってくる、ハイリターンなアクションなのだ。だから、「どうやってスムーズにそれに取りかかるか」という工夫だけを僕は考えている(ここまでの内容を僕は多少得意げに語りはしたが、そもそもマメな人が当たり前にこなしている日常の雑事をこんな風に吹聴するのは、僕がただ怠惰なだけだろうと思うのだ。でも例え僕が怠惰な人間であるとしても、ひとまずはこんな風に生き延びることができるのだ)。

 もう一つ、僕が掃除に足を踏み入れたきっかけがある。それは真鶴出版でのことだ。vol.4でも書いたが、真鶴出版はゲストハウスも運営している。宿泊したいというお客さんが連日絶えないので、チェックイン・チェックアウトがひっきりなしに続く。そのため部屋の掃除の人員が必要で、僕は真鶴出版のゲストハウスの掃除を手伝うようになった。スタッフのヤマナカさんとジュンコさんに教わりながら、客室の整え方、ゴミの捨て方、布団の干し方なんかを覚えてゆく。2人とも手際がいいから、どんどん仕事を進めていく。僕はというと、たかだか1枚の布団カバーをつけるのに手間取ったりしている。こんな自分に果たしてちゃんと務まるのかなと案じていたのだけれど、何度かやっていくうちに少しずつ(本当に少しづつなのだけれど)、要領というか掃除の心得みたいなものがわかってきた。

 布団カバーをつける時にどういう順番で紐を結んでいけばやりやすいのかということや、宿泊するお客さんに合わせて、クッションの柄を替えたり客室に置く本の種類を考えたりする、ということなどを一点一点覚えていった。最低限ここは抑えるべきといった、掃除の際に気にするべきチェック項目のようなものもわかってきた。これらの細々としたポイントを抑えながら真鶴出版を綺麗にしていく仕事は、取りこぼしのないように手際よく依頼をクリアしていく軽快さがあった。客室が綺麗に整うと、自分が泊まるわけでもないのにちょっと嬉しくなったし、大きな真っ白いシーツが太陽の熱でカラッと乾くのはなんだか爽快だった。掃除のプロセス自体に、ある種の喜びみたいなものを見出しているということに僕は少し驚いた(今までそんなことは1度もなかったから)。それに掃除の方法や工夫は、そのまま僕自身の技術として自宅で応用ができるものだったし、それらの知識を持ち帰って実践するのは不思議な高揚感があった(僕は試しに、自分の家の布団をものすごく綺麗に整えてみたりもした)。

 真鶴に住みはじめてから僕はたくさんの予期せぬ新しい感覚に出会っている。これまで通り抜けたことのない経験の中を通過して、知らなかった物事を1つずつ身につけていく。床に散らばった衣服を1枚ずつ拾って身につけていくみたいに。それは当たり前に暮らしのなかにある生き方の工夫であったり、自分自身との付き合い方であったりする。例えそれらがどれだけ初歩的な、取るに足らないものごとだったとしても、僕は日々、新しい自分自身に出会いつづけている。

「のもとさんは何のために旅をしますか」

 真鶴に来たばかりの時に、写真家のモトコさんに訊かれた言葉を思い出す。
「知らない自分に出会えるからです」
 たしかそう答えた記憶がある(ありきたりでしょう、だけどやっぱりこれなのだ)。旅のなかで、人は知らない土地へ行く。そこで知らないものに出会い、知らなかったことを知る。その時に自分がどのような感情になるのか、どんな人間になりかわるのか、僕は興味がある。知らないものに出会った時の自分自身の姿をみたいと思う。それはきっと僕の知らない自分だから。知らない自分に出会えるから僕は旅をする。

 そして今の僕の状態は、旅をしているようなものなのかもしれない。この原稿を書いていて、ふと思った。真鶴に住みはじめた僕はこれまで出会わなかったものたちに日々出会いつづけている。今まで感じたことのない感情のかたちに触れつづけている。僕という人間が休む間もなく継ぎ足され、何度も上書きされるRPGゲームのセーブデータのように、毎日更新されつづけている。その変化を目で追うだけで僕はなかなか一杯一杯だ。だからこうして文章を書いて、その変化を仮のかたちに置き換えて、記録に留めようとしているのかもしれない。あくまで僕なりの表現で、僕は僕の姿をとらえてみたい。だから、この連載は移住日記でありながら、紀行エッセイであり、小説であり、真空に解き放つ詩のようでもある。僕は僕のやり方で、ここでの時間の流れを保存しようとしている。食べきれないぶんの餃子を手際よく冷凍していくみたいに。

 午前中の掃除が終わった。いくつかのメールに返信をして、外へ出る。まだ雨は降っていないけれど、このぶんだと15時以降に一雨来そうな予感がする。サコッシュを肩にかけて、駅までの坂を登る。なんだかピザが食べたい気分だ。


vol.13につづく




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