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海のまちに暮らす vol.4|泊まれる出版社

〈前回までのあらすじ〉
入居翌日。僕はある場所を訪ねた。看板には「真鶴出版」とあった。

 新しく住みはじめた真鶴には面白い場所がある。「真鶴出版」という場所だ。7年ほど前に真鶴に移住してきた若い夫婦、カワグチさんとトモミさんが、「泊まれる出版社」として立ち上げたローカルメディアだ(※ローカルメディアとは、フリーペーパーやWEBサイトなど、地域限定の情報を発信している媒体のことをいう)。カワグチさんが本を発行する出版活動をし、トモミさんが宿を運営している。神奈川の南西端にある築50年の古民家に、出版社兼ゲストハウスがあるという、なんとも不思議な場所だ。

 そして、僕が真鶴に移住を決めた理由の1つが、この真鶴出版なのだ。以前、大学の教授が「マナヅルで面白いことやってる人たちがいるよ」と教えてくれたのを思い出し、僕は真鶴という町について調べはじめた。すべてはここから始まり、このことはたしかvol.1で書いた。その時に僕は真鶴出版の存在を初めて知った。

真鶴出版

 それまで大学で本をつくっていた僕は、この先の進路について考えていた。大学を出た後に何をやりたいのか。デザイナーとして本の外側をつくりたいのか、文芸作家、イラストレーターとして本の内側をつくりたいのか、どちらに進むか決めかねていた(ここではあえて内、外という言葉を使ったけれど、デザイナーだって内側に関わるし、作家だって外側に関わることがあるから、この表現はあまり良くないかもしれない。つまりは装丁と執筆、どちらがよりやりたいのか? ということだ)。

 結局、僕はどちらもやりたかった。ちょうどそのくらいの時期に知り合った、詩人のビンさんに「自分で本を一からつくって、それを自分で売っている海外のアーティストがいるから、あなたもそれやってみたら」というようなことを言われて、それなら僕もできそうだと思って、いくつかの本をつくった。いい本をつくることができたし、ありがたいことにその本を買ってくれる人もいた。

 それでも、「本をつくること」「出版する」ということについて、まだまだ僕には知らないことが多かった。本をつくることで何ができるのか、なぜ本にするのか、僕はもっと考えてみたいと思った。本のつくり方は1つではない。本をどのようにつくっていくのか、本をどうやって届けるのか、そして本がどのような経済の流れを生むのか。上流から下流まで全部知りたいと思った。それは川の誕生から海までの物語のようなものかもしれない。山頂付近で湧き出した泉の水が荒い岩肌を伝って、滝を落とし、幾度となく岩を削っていったのちに海へと注ぐ。そんな一部始終を僕は本で知りたかった。それに僕は誰かと一緒に協力して本をつくったことがほとんどなかった。

 だから、真鶴出版のやっていることを知って、眼から鱗が落ちたのだと思う。この「泊まれる出版社」は僕のまだ知らない本づくりをしている。本づくりやゲストハウスの運営を通じて、真鶴出版にはさまざまな面白い人たちが集まってくる。真鶴出版という場所自体が1つの生態系であり、経済であり、物語なのだ。僕はその物語に触れてみたいと思った。ゲスト(訪問者)としてではなく、真鶴出版の内側から、真鶴の町を見てみたいと思った。そのためには僕自身が自らその渦中に飛び込んでいくしかなさそうだった。そしてそれは僕にとって勇気が必要な行動だった。そういうわけで僕は、半ば飛び込み、というより9割型突撃するようなカタチで、真鶴出版の門を叩くことになったのだった。

 ところで、面白い人と面白い場所はどっちが先にあるのだろう? 
 面白い人が先か、面白い場所が先か。それは鶏と卵はどっちが先にできたのか、みたいな話に似ている。僕は特に面白い人ではないけれど、面白い場所を求めて生きてきた。大学を選んだのもそういう理由だったと思う。

 10年間ひとえにラグビーしかやってこなかった僕は、高校3年の12月に東京藝術大学を志望しはじめた。試験本番まで2ヶ月をきった頃、18歳の僕が身につけていた唯一の能力といえば、正しいフォームでベンチプレスを上げることくらいだった。志望専攻のデザイン科は当時の入試倍率が15倍で、3種類の実技試験とセンター試験の得点で合否が決まるというものだった。入学者のほとんどは浪人生だった。端的に言って、僕は入学試験を勝ち上がるために必要な一切の術を持っていなかったのだ(僕は鉛筆を持ってデッサンをした経験さえなかった)。己の実力を正当に評価する視点を持ち合わせていなかった僕は、その年の一次試験で見事に落第し、2年間の受験浪人を経て入学をした。

 このように書くと出来の悪い笑い話みたいだ。どのようにして大学に合格したかは今ここでは詳しく書かない。けれど当時の僕にとって、この一見ふざけたようにも見えるプロセスは、いたってマジメな考えのもとに辿られていたのだ。この期間に、僕は様々なモノの見方、捉え方を学んだ。深く広く自分の興味を広げていくことを学び、どのように表現すれば自分の意図が正しく相手に伝わるかを実践的に学んだ。そして、自分の考えを自分の言葉で整理するということを学んだ。一見無用なラグビーの経験も、試験本番の緊張状態で安定したパフォーマンスを保つのに役立った。当時、今はまだ未成熟だけど、必要な能力を身につけたら、大学には然るべきタイミングで勝手に合格すると思っていたし、身につけた能力は大学に行かなくても生きていくうえで必ず糧になると思っていた。だから、へたに騒がず淡々と学び続けていくことにしていた。努力は大切だけど、努力に関係なく、結局収まるべきところに収まるだろうと考える癖がある。

 高校を出てからずっと考えていたのは、どこへ行っても生きていける人間になりたい、ということだった。就職を見据えて大学を選んだわけでもないし、やりたい仕事があるわけでもなかった。なりたい人間のイメージだけはあって、それが、どこへ行っても生きていける人間だった。そもそも自分はどこへ行くのだろう、といつも思っていたし、どこへ行きたいのだろう、といつも考えていた。高校を卒業した時点でどこへ向かっていきたいか、明確にわかっている人がいたら、それは本当にすごいことだと思う。東京藝術大学は、いろいろなことをやっている人が集まるらしいと知った時、面白い場所だと思った。言うならば、珍しいポケモンがたくさんいるからあの草むらに入ってみようという感じだった。デザインに興味があったわけではなかった。でもデザインという言葉の持つ裾野の広さについては、なんだかいいものだなと感じていたような気がする。姿や形を変えて、あらゆる隙間を流れていくことができるから、それは自分の考える「どこへ行っても生きていける人間」という言葉に一番近い気がした。そういうことなら、デザインでもいいやと思った。だから専攻はデザインにした。

 そういえば高校時代、ラグビー部の監督はことあるごとに「迷ったら辛い方を選べ」と言っていた。僕は迷ったら面白い方を選ぶ。必ずしも辛い方を選ぶというわけではない。けれど、面白いものごとの裏側に何かしらの徒労や挫折感があった時、僕はそれを避けたりしない気がする。

 真鶴出版の門を叩くと、カワグチさんが迎えてくれた。

(カワグチさんとは前に一度だけ、ここ真鶴出版でお会いしたことがある。入居の2ヶ月ほど前、お世話になっている大学の教授にLINEをして、休学をして真鶴へ移住することを伝えた。すると何の偶然か、教授はたまたまその週末に真鶴出版を仕事で訪ねると言う。しかも、やる気があるなら僕を真鶴出版に紹介するというのだ。二つ返事で即答して同行したのが僕の初めての真鶴出版訪問で、カワグチさんともその時に少しだけ話をした)

 僕はつい昨日引っ越しが終わって真鶴に住みはじめたことと、挨拶がわりに顔を出したことを店先で述べた。トモミさんには初めて会ったので挨拶をした。2人とも真鶴に住むことを喜んでくれた。それでも、大学在学中の学生が、わざわざ単身で真鶴に来るという理由を知りたいといった様子で、いくつかの質問をしてきて、僕はそれに答えたりした。それから、自分が大学でデザインや本づくりを学んでいること、真鶴に移住しようと思った経緯などを話した。真鶴の人と関わっていきたいし、何か真鶴出版で手伝えることがあれば何でもいいのでやらせてほしい、と伝えた。「ここで働かせてください!」と言う、ジブリ『千と千尋の神隠し』の名シーンを思い出した。

 その日はひとまず挨拶だけして帰ることになった。別れ際、カワグチさんとトモミさんは、僕に真鶴出版でどのように働いてもらうか、持ち帰って考えてみると言ってくれた。どうなるかはわからない。でも少なくとも僕にとっては、いきなり移住して飛び込んできた無謀な学生を、はねつけないでくれるだけで十分ありがたかった。

 夕方、家に帰って鳥もも肉500グラム、白菜半分、しめじ1袋をキッチンに並べる。今夜は白菜の鍋にしようと思う。東京に住んでいた頃、しょっちゅうつくっていた鍋だ。安くて、栄養が取れて、油を使わないから洗い物がラクだ。東京にいた頃と同じ材料、同じ手順でつくったはずなのに、食べると味が全然違うように感じた。水とか空気が違うからかもしれない。それとも、もうすでに僕の体が変わりはじめているのかもしれない。

 薄明かりの寝室で本を読みながら、僕の真鶴での生活はこの先どうなるのだろう、とぼんやりと思った。本の内容が頭に入ってこない。閉め忘れた雨戸のせいで、夜の海と空がひとつながりの大きな暗闇となって、窓ガラスの向こうで静止している。この先どうなるのだろう、と真剣に思ったのは久しぶりかもしれない、と僕は思った。今まではわりと、こうなればああなる、それでこうなる、という何でもかんでも先の予想のつく生活をしていたから、こういうのも新鮮かもしれない。先のことはわからない。本当に目の前の、一寸先のことしかわからない。今わかるのは眠ったほうがいいということだけだ。今日はとても疲れた。布団に潜り込むと、重たい漁網みたいな眠りが天井から降ってきた。


vol.5につづく




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