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【連載小説】息子君へ 213 (43 人生は終わるけれど勃起は続く-1)

43 人生は終わるけれど勃起は続く

 この手紙のようなものを読んでいて、俺が君のお母さんに対して、どうしようもなく突き放している部分があるのを感じてきただろうけれど、それは俺の心がほとんど止まってしまっているからそうなってしまったというのが大きかったのだと思う。昔の俺だったら、君のお母さんのようなひとと関係を持ったとしても、どうしてこのひとはこうなのだろうという気持ちを直接相手にぶつけて、相手の反応の中に相手にとっての本当のことを探ろうと一生懸命になれていたのだろうと思う。
 逆に、心が止まっているのもあって、そんなにも冷ややかに相手を突き放していたのに、それでも関係が成り立っていたというのがすごいことなのだろう。そして、そうなれたのは、君のお母さんがセックス中にかわいかったことで、俺が会うたびにいくらでも勃起できたからというのが圧倒的に大きかったというのは、君も読んでいてよくわかっただろうと思う。
 君のお母さんがかわいくすることで俺は勃起できて、それがうれしくて俺が一生懸命かわいがってくれるのが、君のお母さんはとてもうれしかった。かわいいこととかわいがられることのうれしさだけで関係が成り立っていたようなものだったのだろうし、それはほとんどセックスでだけ関係が成り立っていたということなのだ。
 君が生まれてくることになったからよくわからないことになっているだけで、俺にとっては、人妻とセックスフレンド関係になって、遠距離不倫でたまにとセックスしていた時期があったというのが、君のお母さんと俺との間にあったことの全てで、ただたまにセックスしていただけといえばそれだけだった。君が生まれてきて、もしかすると明日にでも自分が自分の息子の父親になれるかもしれないという状況になったから、自分の人生を決定付ける可能性のあるとてつもなく大きな出来事になっているけれど、君のお母さんと俺との間にあったことだけを考えたのなら、ただ自分とセックスしたいと思ってくれたひとにセックスさせてもらっていたというだけだった。自分がその関係の中で何をしたかったわけでも、何ができたというわけでもなかったから、君のお母さんとのことは、ただそういうエピソードを通り過ぎたというだけで、さほど自分の人生という感じにも思えなかったりする。
 それでも、俺は君のお母さんのことがあってよかったと本当に思っている。自分に抱かれながら今までの人生で一番かわいい顔をしようと頑張ってくれているひとをかわいがっているのは最高の気分だった。
 感情が肉体から肉体へと伝わってくるというのはすごいことなのだ。君のお母さんとセックスすることで、異様なまでの興奮とか、異様なまでのうれしい気持ちが、もうずいぶん長くそこまでの感情が自分の中には発生していなかった俺の中に注ぎ込まれることになった。その強大なエネルギーは、自分がかわいがってあげることでさらに強まったり、もっと膨れ上がっていくし、それはリアルタイムに自分のうれしさになって肉体を興奮させてくる。そして、興奮させられるままに、夢中になってかわいがってしまえば、相手から流れ込むエネルギーは、そのうち自分の中からあふれ出てしまうほどのものになって、もうそこからは、どうしようもないような気持ちになって、ずっとそうやって喜んでいてほしいとしか思えなくなって、時間が消えていくのだ。異様に喜んでくれているひととの何もかもうまくいっているセックスが最高じゃないわけがないだろう。
 彼女がいないまま何年も経っていて、その間も一応仕事はそれなりにやっていたし、何かを見れば何かを思ってはいたけれど、もうずっとあまりまともに気持ちが動かなくなっていたところでの、久しぶりのどっぷりとしたセックスだった。君のお母さんとセックスしていて、かわいいと繰り返し言いながら正常位で腰を押し付けているだけの空っぽなセックスだなと自分でも思ってはいたけれど、君のお母さんにとてつもなくうれしそうにしながら一生懸命かわいくされていると、どうしようもなくうれしくなってしまって、もっとそのかわいい顔を見ていたくて、ひたすらのめり込むようにかわいがり続けることになってしまったのだ。
 セックスでは、身体を近付けることによって、新鮮さとそのひとの魅力で相手を強制的にどきどきさせることができる。歳を取ったことでほとんど心が動かなくなっているひとでも、肉体でなら、近付いた他人の肉体に興奮することができる。加齢のせいではないもので日常的にほとんど感情が動いていないようなひとたちにしても、相手の気持ちを感じ取れないこととは別に、近付いた他人の肉体に興奮することはできるのだ。
 セックスとはそういうもので、世の中には、セックスとか性的な何かだけが、他人にリアルタイムに感情を動かされる時間になっていたり、他人に向かって自分の気持ちをまともに発している時間になっているようなひとがとてもたくさんいるのだと思う。
 もちろん、若者はそういうわけでもないのだろう。若くて思い切り遊べる友達がいるひとは気持ちで他人と関われる時間がいくらでもあるのだろう。自分の子供がまだ小さいひとなんかも、子供は心が動いているから、気持ちと気持ちで接することができている時間を生活の中に確保できている場合は多いのだろう。
 それでも、大人になってしまって以降は、仕事に打ち込めているひとたちや、お互いの話を面白がり合っているパートナーと一緒に暮らせているようなひとたちでもなければ、ひとと集まって楽しいことを喋って楽しい気分になってバカ笑いをする以外には、気持ちを表に出せた気がする時間が生活の中にないという場合が多いのだろう。そして、楽しいことをしたり話したりしてバカ笑いしたとしても、それが自分の感情なのかといえば、そういう気もしないというひとが多いのだろう。
 君のお母さんだって、楽しいことをたくさんしようと、いろんなところに出かけたり、いろんな新しいことをしてみたり、たくさん友達と会ってたくさん笑っている生活をできるようにずっと頑張っていたけれど、自分の中に押し込められた感情はどうにもならないままで、胸の中はだんだん黒いものがいっぱいになって、心が勝手に嫌なことばかり考えてうまく眠れないような状態になっていたのだ。そして、不倫セックスがうまくいって、心の底からうれしい顔をいっぱいできてしまったら、それで胸の中の黒いものは一気に消し飛んでしまったのだ。
 大人になって、仕事も家庭もそれなりに落ち着いてしまってからの人生では、不倫中だけが、本当に自分のしたい顔をして相手を見詰めて、自分の言いたくなったことを思い切り気持ちを乗せて語りかけられた時間だったというひとが、世の中にはとてつもなくたくさんいるのだろうと思う。
 心がほとんど止まってしまったあとでは、他人との関わりのほとんどが、同じパターンを繰り返してばかりの、何か思ったとしてもいつものパターンの範囲内でうまくやるしかないものになっていく。子供が小さいうちだけは例外なのだろうけれど、それ以外では、職場でも、パートナーとも、友達とも、誰と一緒に何をしていても、自分がどう思うのかとは関係なくその場の状況は進むし、それが当たり前になって、どこにいても楽しくやれていればそれでいいというだけになって、自分がどう思っているのかということも気にならなくなっていくのだろう。
 そんなふうに、ストレスとストレス解消を行き来している以外にはほとんど感情らしきものが動いていない日々を送っている心にとっては、誰かが自分に欲情してくれて、欲情した肉体を自分に近付けてきて、自分の肉体が相手の欲情に同調してしまっている状態というのは、急に身体ごと感情が揺れ動かされて、うまく落ち着けないとそのまま軽くパニックになってしまうほどの、一種の異常事態だったりするのだろう。そして、心が動かされている状態でひとの顔を見て、心が動かされている状態でひとと言葉を交わすということが、その感覚を忘れていた心にとってはあまりにも充実感があって、それでひとはあっさりと不倫に突き進んでしまうのだろうし、不倫したひとたちは、少なくてもその不倫の初期には、不倫していてとてつもなくいい気分になってしまうのだろう。人生の忘れかけていたものを思い出したような気持ちになるのだろうし、そういう感情から遠ざけられたままになっていた自分が、本当はずっとどんな気持ちでいたのかを思い知ることになって、心の底から不倫できてよかったと思ってしまうことになるのだ。
 どれだけ不倫にリスクがあっても、不倫だからこそ可能になるような時間の過ごし方というのがあるのだ。それは裏切りの問題ではなく、単純にセックスをする関係として関わることによってそうなっている部分が大きいのだと思う。人間関係として相手の人格を楽しむのではなく、性的な関係として相手がどういう動物であるのかという次元で関わっていることで、相手の人格を愛する必要なしに、お互いに興奮し合って気持ちいいことをできる相手として、相手を愛することができてしまう。それは逆に、心が止まってしまってからは、人格同士でひかれ合って恋愛することが難しくなって、セックスが中心にある恋愛でないと、相手を愛している気分になれなかったりするからということでもあるのだろう。
 不倫ばかりしている女のひとというのがいるけれど、そういうひとたちも、人間関係が中心の恋愛だと、何もかもがまわりくどくて白々しいものに思えて、うまく関係に入り込めなかったひとが、不倫してみたときに、やりたいだけの相手にその場限りで優しくすることで大事に扱ってもらえるし、お互いの役割がはっきりもしているしで、そっちの方がはるかに快適に思えてしまったというケースも多いのかもしれない。ずっと一緒にいるのなら、人間的に好きになれないと難しいけれど、セックスとその前後に優しくし合うだけなら、セックスしたい気持ちがあるだけでうまくやっていけるのだ。
 そういうことが可能になっているのは、性的興奮というものが、ひとがひとと一緒にいて相手を感じて、相手から感じているものにいい気分になるという心の動きとは、別の回路として存在しているからなのだろう。そのことがどれほど人間が人間であることに大きな影響を持っているのかということを、君は勘違いしないでいた方がいい。性的興奮がひととひととを結びつけていることがどれほど多いのかということだし、セックスしたいという気持ちが人々から垂れ流されて世の中に充満していることで、世の中はこんなふうなのだということを、君はよくわかっていないといけない。




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