マガジンのカバー画像

軽骨堂書店

6
掌編たち。一律100円也。
運営しているクリエイター

#短編小説

短編小説『地獄に堕ちたメイドども』

短編小説『地獄に堕ちたメイドども』

 可愛い、と僕に向かって言ってきたその人の頬を打っていた。自分でも気づかないうちに。高い破裂音がひとつ。それから、潮が引いていくみたいに教室から喧騒が消える。首を左右に動かして、誰もがこっちを呆然と眺めているのを見て、僕はその場を逃げ出した。
 メイドの衣装を着て体育座りをすると、こんなに心許ない気持ちになるんだ、と初めて知った。出来ればそんなことは永遠に知らないでいたかった。体育館の裏、ここ最近

もっとみる
短編小説『繭糸と梔子』

短編小説『繭糸と梔子』

 天国に咲く花と言われているそうですよ。
 庭先に繁茂する梔子を一輪手折って匂いを嗅ぎながら彼女はそう言った。
「葬式の花とも言うそうで。嫁の口無し、ということで、貰い手が無くなるようで縁起が悪いらしいのです。けれど私の場合はどうなるのでしょう。あちらから来るのに、口無し、とは、これはむつかしいですわね」
 そうして、ふふ、と笑う。私はせっかく綺麗な花だと愛でていたのにそんなことを言われてあまりよ

もっとみる
短編小説『減法混色』

短編小説『減法混色』

 ドアノブをつかんだ手に静電気が走った。季節外れのその感触を煩わしく思いながら資料室の中に入る。いつ来てもここは埃だらけだ。業務上沢山の人間が毎日出入りしているはずなのにまるで長いこと放ったらかしにされている物置のよう。誰か掃除しろよ、と恐らく会社の誰もが思っている。でも誰もやらない。そうやって長年降り積もった埃たちは今朝もこうしてちょっとずつ僕も吸い込むことになってしまう。
 取ってこいと指示さ

もっとみる
短編小説『12ストリングスチューニングレスハイパーパーフェクション』

短編小説『12ストリングスチューニングレスハイパーパーフェクション』

 Show A Person A Clean Pair Of Heels.
 尻尾巻いて逃げ出す、という意味の慣用句。それがあたしたちのバンド名だった。そのバンドはたった今、解散した。
 なんの前触れも無く突然ボーカルの男と連絡が取れなくなってから一ヶ月が経った頃、ベースが「バンドを抜けたい」と申し出た。良い機会だから音楽から離れて真面目に就職しようと決めたらしい。ドラムと一緒にいくら説得しても決

もっとみる
短編小説『レトロニムに惑う』

短編小説『レトロニムに惑う』

 黒沢楓が好きだ。長く艶やかな黒髪が、少し見上げる形でなければ目を合わせられないほどの背の高さが、いつも私と一緒に帰ってくれることが、低めながら甘い響きを持つ声が、好きだ。もうこれは、ここまで育ってしまった思いは、隠してなどおけない。だから告白することに決めた。放っておいたらダラダラと最悪な形で漏れ出してしまいそうだから、そうなる前に自分で伝えたい。
「ツナ缶よりは絶対まぐろフレークのほうが美味し

もっとみる
短編小説『伸びた日脚の畳み方』

短編小説『伸びた日脚の畳み方』

「小田原城行こうぜ」
 あまりに長い時間それだけを聴き過ぎてそろそろ雨音が完全なるBGMとして可聴域の外へ飛び出しかかっていた頃、ネギッサンは絶望的とも言えるような低い声で言った。俺は気にせず読書を続けたが、気が変わるには十分なはずの時間を置いてからネギッサンはもう一度全く同じ台詞を繰り返した。
「行ってどうするんですか」
「小田原城に行ったという記憶を作る」
「時計見て下さい」
「かっけー時計持

もっとみる