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急に正義をかかげる人の「足下」で潰されるもの


正義とは、一体なんなのだろうか。

善にも悪にもなれて、誰でも持っているものであり、正義をかかげることであらゆることを「変える」ことが出来てしまう。

大いなる救済の方向にも、絶望的な殺戮の方向にもなりえる。

世界が、社会が、とてつもない変革を迎えるなかで、声を大きくあげる者達が増えてきた。


名目は上は、絶対的な悪に立ち向かうために。


しかし、なぜだろう。

ここぞとばかりに正義をかかげ始める者たちを不思議に思うことが続出してくる。

なぜ、その問題だけを「問題視」して「正義」を掲げるのだろうか。


これまで、たくさんの問題があった。

これまで、たくさんの差別があった。

これまで、たくさんの人が救いを求めた。

これまで、たくさんの思いがあった。

数えきれないほどの涙がないものにされた。


でも、急に正義をかかげた者たちは、こうしたこれまでのことを一切何も感じることもなく、自己責任や無能力として放置してきたのに、どうしたことだろうか。


正義を急にかかげる者たちよ


それまでは「言えなかったから」ということは許されない

これまでどれだけの人を見捨ててきて、嘲笑い、放置してきたかを忘れてはいないだろうか。

自分さえ良ければいいと思ったことを忘れていないだろうか。

どれだけの助けてという声を踏みにじってきたかを忘れたとは言わせない。


悪と戦うことは素晴らしいが

自らも数秒前まで悪であったのに、突然変わり身するのはよくないことである。

これまでやってきたこと、無視してきたことは、政府の”それ”と同じなのではないだろうか。なのにどうして批判することが出来るのだろうか。同族嫌悪?心を入れ替えたということだろうか。

ならば、これからは意見をどんどん発信しなければならない。助けてということがあれば助けなければならない。

結局、また声を出すのを辞めているではないか。

また否定や放置を繰り返しているでないか。

その正義は一体なんなのか教えて欲しい。

あなたのその力で

どれだけの人が救えるのか、手を差し伸べることで生きることができる人がいるのに「何も」してこなかったではないか。


なのに、なぜ?今なのなのだろうか。

自分の身が危うくなったからなのだろうか。


そんなふざけた理由なら悪と同じではないか。なぜ気が付かないのだろう。正義を振りかざす理由は、自分自身と身内に限られるのならば、敵がしていることと何ら変わりわない。

利益のある人や能力のある人しか助けないのなら

同じではないか。アイツらと一緒のことである。

何故いきなり敵意を出して、正義を掲げて戦っている。

鏡に映る自分を攻撃しても、自分が傷つくだけである。全く無意味な行動だと感じる。


正義を掲げる足下で、どれだけの命や希望や夢を壊してきたのかを忘れないで欲しい。必死に助けを求めた声があったことに目をそらさないで欲しい。

自分たちも同じ存在だからこそ、目につくということなのかもしれないが

本当に正義を掲げるのであれば

どうか、まずは己を省みて欲しい。


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