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弁才天

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我が家の三尊のうちの1つ、弁天さまに関する記事です。
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#神仏

死ぬ気で生きぬけ

死ぬ気で生きぬけ

死の際にその人の人生と生への欲求が生まれる。死ぬ気があるなら一度死んだつもりで生きろ、なんていうけれどもう限界まで来た人がそこに向かうだろうか。
死を目の前にして、もしくは一度死んだかもしれない状態から、時間を巻き戻されたのか、はたまた生かされたのか。
神仏は独り立ちのためのサポートはしてきた。サポートが当たり前ではない。サポートはサポートなので当てにしてはいけない。
しかし、ここぞというときはサ

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自分から縁を掴まない人、自分で縁を壊す人。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の話は聞いたことがあると思いますが、世界各国に似たような話がバリエーション豊富に存在する。

仏が見えない
仏の慈悲がわからない

仏縁がうすいなぁと思う所以です。
(人の縁もうすいなぁと)

ご利益のはなし

ご利益のはなし

 神仏が喜び好むのは「素直」な心と「成長」を望む姿

 知識も大切だけれど知恵を働かすことができる者。つまり、得たものを活かすことができる人間だ。
神仏たちにはそれぞれ強調されたご利益があり、人々はそのご利益を目当てにお参りに行きます。もちろんそれは、「健康でいられますように」「希望の学校に受かりますように」「商売が繁盛しますように」「商談がうまくまとまりますように」「病気がなおりますように」「安

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厳島弁才天 裏話

宝殿楼閣の中央に弁才天女が座している。
そして目の前で繰り広げられている親子のやりとりを見つめていた。

 子どもといっても、立って歩ける元気な子どもが転んでしまった。そして子どもは大泣きしている。保護者が体を起こさせとにかく機嫌がなおるまでヨシヨシをする。「あーよしよし。可哀想。痛いね。可哀想。」

その光景をとなりで眺め、
「ああ、これじゃあしかたないわね。
この先は乳飲み子をやめなければ先に

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乳飲み子と餓鬼②

乳飲み子と餓鬼②

只たのむたのむ人にはたのまれん
たのまぬものもたのめとぞおもふ
わがちかひたのむ衆生をすくわずは
弁財天女の名をやながさむ
むりをせずり ひめいはくにわきまへよ
ひとはたからをめぐみあたへん

弁財天のご利益のひとつに、気力の充実がある。なんとも言えない高揚感、わくわく感。
しばらくこの感情をわすれていた人にも感じることがあるかもしれない。

時として、この充実した気力というのはお金を産み出す力に

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