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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん 10

 自分の事情に合わせた、マイペースで無理のない働き方。それを実現できている人が、どれほどいるのだろうか?
 そして、それを実現できているのは自分だけの力だと言える人は、もっと少ないのではないだろうか。

 誰かの分は、誰かが被る。誰かに優しくすれば、誰かにしわ寄せが行く。

 そういうしくみでは駄目なはずなのに、組織が大きければ大きいほど、暗黙のうちに成立してしまう。

 逆に、もっと小さなシビアな組織では、みんながみんな、どこかしら無理をせざるをえなかったり。

 何が悪いのか?
 政治が悪い、と言うしかないのかもしれない。
 




 ゴールデンウィークの仕事休みが明けた出勤日、それは月曜日だった。
 長い休み明けから、週5日というきっちりマックスな平日が続くと思うと、既に気が重い。

 朝から澱んだ重苦しい空気の通勤電車。その座席から、誰一人楽しそうには見えない車内をわたしは見回した。
 この中に、昨夜は眠れないほど職場へ行くのが楽しみでたまらなかったという人はどれほどいるのだろう。

 大人って、働くって、こんなものだろうか。

 お金のためなら仕方ないことなんだろうか、みんな割り切っているのだろうか。

 社会人として働き始めたのはもう20年近く前。それなのに、ここ1,2年で今さらながらそんな気持ちが強まっていた。


 約10日ぶりの職場に着く。
 時間どおりにちゃんと出勤したことを、当たり前と言わず誉めてもらいたい。

 自分のセクションの部屋に着いてからまず最初に確認したことは、ゆっくりちゃんが出勤しているかどうかだ。

 …………月に一度メンタルクリニックに通い、連休直前は多忙な業務で本当に弱っている様子だった彼女は、ちゃんと出勤してきている。表情も少しは明るく見える。
 『 五月病 』という言葉もあるくらいだし、休み明けから会社に来なくなるんじゃないかと疑ってたわたしは、心からほっとした。

「おはよう、連休、休めた?」

と、わたしの方からがゆっくりちゃんに声をかけると、


「はい、おかげさまで。家でほとんど寝てましたけど」

と、彼女は連休前よりも少しはしっかりと会話ができるようになっていた。

「しょうがないよね、このセクションすごい忙しいし、疲れるよね」

 わたしは彼女に話を合わせた。

***


 実は、ゆっくりちゃんは、かつてこのセクションの所属だった時期がある。その頃はここも今ほど忙しくはなく、ゆっくりちゃんも問題なく勤務していた。
 その後、彼女は入社以来再び本社勤務に戻された。今から10年前のことだ。その当時の上司との折合いが最悪だったので、彼女はメンタルの病を発症した。

 彼女には優しい旦那様がいて、彼女を庇ってパワハラ管理職と戦いゆっくりちゃんの本社勤務を解いてもらったらしい。わたしとゆっくりちゃんの共通の友達からそう聞いている。



 そこそこお給料が良いわが社には、休職を繰り返しながらもしがみついて働く人が少なくない。
 病休中もお給料の6割がもらえる。
 復職する時は、基本的には病状の再発がないよう本人の希望を尊重した配置をしてもらえる。
 そして、少し職場復帰し、仕事に疲れたらまた病休。調子が悪いと申し出があれば、症状を重くするわけにいかず、わりと簡単に休職できてしまう。
『人で成り立つ組織、だからこそ、人を大切に』みたいな企業キャッチフレーズに甘んじて、それを繰り返す人が山ほどいるのをわたしは知っている。

 以前のセクションにも、そんな人がいた。
 彼も人事異動に散々難色を示したうえ、4月になり形だけ異動したものの、気づいたら病休に入っていた。

 それをカバーするのは、頑健で優秀な人達。
 さながら馬車馬のように働かされる。
 助け合いは大事だし、病気だから仕方ないし、病気でも働ける仕組みは大切だ。
 でも、繁忙度と人員配置数は反比例だし、各人の仕事量に対してお給料がそれほど変わらないというのが、会社に対する最大の謎と不満。
 能力のある人材を多忙な所に貼り付けておけば仕事は回ると安易に考え、その結果体調を崩す者があとをたえない。
 それにより、忙しい部署はさらに忙しくなる。
 休むことなく仕事を真面目にやればやるほど、誉め言葉と同時に与えられるものは、報酬ではなくて更なる仕事と出世街道。
 お給料を格段に増やしたければ管理職になるしかなく、でもその管理職も見ていて決して憧れるような立場じゃない。


 今のわたしも、結局は馬車馬側の一人だ。
 わたしだって、決して元気ではないのに。

 こんなアンバランスが過ぎる黒い組織を、だいぶ前からわたしはよく思ってはいなかった。


 2年近くの休職を経て、わが社に戻ってきたゆっくりちゃん。
 
 入社した時の、優秀で日英仏三か国語がペラペラなのに穏やかで愛嬌のある笑顔を見せる女子の顔とは、同じようで別人になっていた。

 笑顔は相変わらず絶やさないけど、力なくぼんやりとした笑い。
 まとまりのない会話。
 一つ一つ考えないと発することのできない言葉。

 ゆっくりちゃんも、体調への配慮の結果、繁忙とは無縁のセクションに長らく置いてもらっていた。
 そこは、比較的マイペースで仕事を進められるし、処理が遅くても誰にも文句を言われることはない。
 次から次へと要急という案件が降ってくる今のセクションとは、天と地ほどの大違い。パワハラするような人もいない。

 けれど、そんな職場でも、ゆっくりちゃんは休職と出勤を繰り返していた。わが社の業務がもはや合わないのだろう。
 
 ただ、もともと優秀なので、理解してやり慣れたことはきちんとできる。

 そして、ここ一年はほとんど長期では休まなかったので、現場を知らない人事担当の管理職達が「体調が安定し、もともと在籍したことのあるセクションなら大丈夫だろう」と誤った判断をして、ゆっくりちゃんを異動させたのだった。

 ゆっくりちゃんの旦那様は、公務員。
 その旦那様に養ってもらいながら、彼女自身はきっぱりこの会社をやめるか、もっと彼女に合った仕事に転職したらいいのに、と、わたしはゆっくりちゃんに関する話を聞く度によく思っていた。


***


 保田やすださんが出勤してきた。

 会社での座席は、わたしとゆっくりちゃんが向かい合わせに座り、わたし達の横・わたしから見ると左側に保田さんがお誕生席のように机をくっつけ、横向きのわたしとゆっくりちゃんを見る形になっている。

 おはようございます、とお互いに挨拶を交わすと、保田さんがわたしに向かって口を開く。

「あそこのイタリアン、連休中に一回行きましたけど、ひどく混んでましたよ」

  『 あそこのイタリアン 』、とは、おそらくわたしの家から徒歩1分、保田さんの家から推定徒歩2分の所にある、チェーンのイタ飯系ファミレスを意味しているに違いない。

「 あの、あひる公園の、道をはさんだ向かい側のこと? 」

「 はい 」

 地元民でないとわからない公園の名称を使って確認し、あらためて彼がご近所さんであることを実感する。

「 それはさぞ混んだしょうね、三食毎日おうちご飯も疲れちゃいますから。そういえば、イオンは行ったんですか? 」 

「 行きました。子供達と私でアニメの映画見てる間、妻は自分の服を買ってました。映画館はお父さんと子供のるつぼでしたよ 」

「 そうでしょうねぇ、どのご家庭もそんな感じでしょう。
いつ行ったんですか?イオン 」

「 確か五月の……三日の日です 」

「 あ、わたしも行きましたよ、その日、イオン。
でも実際、そんな偶然に会わないもんですね 」

 金曜日に駅前で彼を見たことは、ふせておいた。

 彼がわたしの分までカバーして働いてた頃、自分は整体して駅前をフラフラしてました、というのがちょっと後ろめたかったから。


 そんなまったりめの連休明けの会話も、外線電話が入ったことを皮切りに、多忙の渦へとあっというまに巻きこまれてしまった。



 こうしてまた、もとの日常が始まったのだった。

 残念すぎる仕事だけど。

………会社にいれば、保田さんが傍にいる。

 激務を終えて帰宅する時、最寄り駅から自宅までの帰り道で保田さんの家の方角をチラ見みしながら、彼は今頃どうしているかと思いながら自分の家の方向へ向かう。

 それが、多忙の中の救いのルーティーンだった。





つづく。

#創作大賞2023

(約3400文字)

※地名などは実在の場所に由来しますが、物語とは一切関係がありません。

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