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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん 9

  自分自身とゆっくり対話して、自分の声に耳を傾ける。
 それでも、内なるわたしは答えをくれず、思いだけが空回りする。
 
 誰に聞いたら、その答えはわかるのだろう。





 その後の連休の残り二日。
 五月にしては少し肌寒く、銀色の糸のような時雨が鈍く光りながらしとしと降り続いた。

 雨が苦手なわたしは、近所のお気に入りのカフェや雑貨屋さんに行くことすら億劫で、結局自分の部屋に引きこもって過ごすことに。



 ベッドやラグの上でゴロゴロしながら、わたしの生涯の推し芸能人・とぴ君の最新ニュースや彼についての誰かのつぶやきをスマホで漁る。
そうしながら、どこか頭の片隅で、保田やすださんは今頃どうしているだろう?なんて考えていた。


 寝ても覚めても考えている、とは言い過ぎになる。
 恋しくて会いたくてたまらない、という表現も違う。

 けれど、連休の間にどうしてただの職場の同僚のことをわざわざわ思い出しては、楽しくなったり安心しているんだろう?


 ………昨日、整体の先生に言われたとおり、わたしは保田さんのことが好きなんだろうか。


 気分転換に自分で入れたコーヒーはとっくに空っぽ。
 ころんとした丸みが手にちょうどよく納まる白いマグカップの底で、茶色の輪っかをくっきりと描いている。
 もう一杯飲みたいな……と思うくせに、ダイニングへ行くのも面倒なくらい、心身は雨天の薄暗さと冷気にやられて、だるくてだるくてたまらない。


 そんなわたしの頭の中では、金曜日の夕方にわたしの目の前を足早に通りすぎた保田さんの姿が、ネット上で勝手にリピートされる短い動画のように何度も頭の中に描き出されていた。
 駅前で彼を見かけたあの一瞬、時間が止まって世界から音が引く…………そんな不思議な感覚に陥ったのをはっきりとまだ覚えている。


***


 恋愛を意味する『 好き 』とは、わたしにとってどんな感情か。
 それに対して、自分なりの答えがある。


 
その人を自分以外の人に獲られたら、悔しいかどうか。
 その人が自分以外の人を見たら、悲しいかどうか。

 つまり、一言にすれば、嫉妬心。それを激しくはっきりと抱く相手かどうか。
 
 それが、『 好き 』かどうかの判断基準。

 長年生きてみて思い返せば、わたしの恋愛感情はそれに尽きていたから。

 だから、どんなにいいヤツな男子と仲良くなっても、その男子のコイバナを喜んで聞いていたら、ただの友達に過ぎない。


***


 わたしの推し・とぴ君は、現在48歳。
 実は1年前にひっそりと結婚して、今は奥さんがいる身。
 結婚報道は、事務所が業界全体に配慮したのか『 温かく見守ってください 』的な本人の言葉少ないコメントが数時間ネット上に流れただけ。
 とぴ君のことを取り上げたワイドショーもあったけれど、マスコミの興味は日本代表サッカー選手と人気女子YouTuberの熱愛の話題へとすぐに移り変わった。

 その時のわたしは、この世の終わりだのロスだの会社を休むだのと騒ぐことはまったくなかった。
 どこかちょっとモヤモヤとはしたけれど、そっか、そうなんだね、と比較的穏やかに受け入れて、今でも引き続き魂の底から彼を応援している。


 そんなわたしだけど、一時期、自分が20、30代の頃は、『 結婚して特別な誰か一人を作る 』なんてことをとぴ君にだけはしてほしくないと真剣に祈っていた。
 熱愛スクープが流れてくるのを想像するだけで、悲しくて恐ろしくてたまらなかったし、テレビのトーク番組で『 好きな女性のタイプ 』みたいな話題を振られて答えている彼を見ると、悔しさや苛立ちを覚えていた。


 ……………… わたしの恋愛感情の定義からすれば、相手が芸能人とはいえ、わたしがとぴ君に対して抱いてたのは、立派な恋心。
 芸能人だから、自分とどうにかなってほしいなんて考えたこともなかったけれど。


 独りでとぴ君のことで盛り上がるセルフ蜜月な気分を20年近く続け、どこか満足したのだろうか、それともわたしが40代という自分の年齢を意識したせいかどうか。
 気づいたら、とぴ君への感情は穏やかなものへと移り変わっていた。
 だから、とぴ君が結婚した時は、数日たったらすっかり平気になって、自分でも意外なくらい淡々としていた。



 ─────── 保田さんは、といえば。
彼に家族があることは、わたしが異動して来てわりとすぐに知った。
 彼のことをあまり知らない時だったこともあり、そりゃそうだろうな、どこかの家庭のお父さんでちっとも不思議じゃないし、という感情しか沸かなかった。

 そして、彼が家庭の話をしても、あぁそうなんですね、と平気で話を聞いていて、奥さんが羨ましいとか悔しいという感情はそれほど抱かなかった……………気がする。


 最近、保田さんのあの無線ボイスをもう一度思いだしてみようとする度に、少し考えてしまうことがある。

 彼のあの声にズキュンときたあの無線の一瞬、『 ヤバイ、このまま恋に落ちるのか……? 』と、間違いなくはっきり感じた。

 アイドルとその辺の人を比べるのもおかしな話かもしれないけれど、わたしが中学生の時に出会った当時の人気絶頂アイドル・とぴ君は、ズキュンと心臓に響いて以来、追えば追うほど大好きポイントが見つかって、どんどん惹かれるばっかりだった。

 保田さんの場合は、無線の仕事で声を聴いた瞬間が、はっきりとしたトキメキの最高潮。
 その後は無線の仕事でなかなか一緒にならず、あの電撃ボイスを再び耳にする機会は訪れていない。
 正直なところ、だんだんと彼のあの無線の声は記憶から薄れつつあった。

 普段話す声もまあまあ好きな方だけど、それと同じ程度に『 声が素敵 』という人なら、わが社にはたくさんいる。


***


 それでも、毎日のように職場で会い、毎日少し少し色々な話をして思いがけない保田さんの表情を見ているうちに、何らかの情が生まれているのは間違いない。
 今までの人生で出会ったことのない興味深い人だし、わたしが子供の頃から少なからず彼とは不思議なご縁があるのかもしれない。

 ……………でも。

 自分と共通点がある人に対して抱く、親近感。
 それは、何気ない日常の中で誰でも自然と感じるものじゃないだろうか。

 だから、わたしが保田さんに感じるものはきっとそんなたぐいで、これはそれほど特別な情ではないのだ。


 ───── だいたい、誰かに夢中になる気持ちって、どうやって生まれるのだろう?

 今までの生涯で、わたしの心臓に直接ズキュンときたこの二人。
 夢中になる、ならないの違いは何なの?

 ─── とぴ君はアイドルだったから?

 ─── あの頃のわたしが若かったから?
 
 ─── 自分が40を過ぎて、恋心みたいなものを持てなくなってしまったから?


 ─── 妻子があるなんてどうでもよくなるほど、感情を激しく揺さぶるようなものを保田さんに感じないから?


 世の中、不倫する人なんて次から次へと降ってわくほどいるのに、不倫したいわけじゃないけど保田さんとわたしが絶対そうはならないであろうと思うのは何故なのか。


 ………………なんて。

 そんな理由、見つかったからといって、きっと何が変わるわけじゃない。

 たとえ保田さんのことを『 好き 』だとしても、既にある家族を壊してしまいたい気持ちなんて、今のわたしは1ミリも持つことはできない


***


 名残惜しすぎる連休の終わりの夕刻。

 ベランダに出ると、時雨は止んでいたけれど、まだひんやりとした空気がわたしのすっぴんの顔に触れた。


 ……………明日から、仕事か。

 五月病、という言葉があるほど、連休明けはすぐ元どおり働くようなテンションなんてなかなかなれない。


 それでも、職場に行ったら、保田さんがいるんだな、と思うと、やっぱり何だか嬉しい。 


 ベランダから、東の方角の景色を見た。

 今まで全然知らない人だった彼の家が、本当にすぐその辺りにあるのだ。

 金曜日も、保田さんがいる駅前の風景が、何だかちょっと別物に見えた。


 保田さんと同じ街で暮らしているのが、どこか特別で誇らしい。

 同じ会社で青砥あおとに住んでいる人は他にもいるのに、仕事が休みの日にその人のことをそんなふうに意識したことなんて今までなかった。


 ……………こんな奇跡があったら、その意味を知りたくなる。『 全部ただの偶然 』の一言で終わるのかもしれないけれど。

 ………この偶然に、意味と名前が欲しい。




つづく。

#創作大賞2023

(約3400文字)

※地名などは実在の場所に由来しますが、物語とは一切関係がありません。

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