海外で浮かびあがる私の中の「日本」
とにかく疲れたのだ。
朝晩、家畜小屋の様な満員電車に揺られ、デザイナーとして、残業手当もつかずに長時間働き、理不尽なパワハラで毒され、疑問を持つ心まで麻痺して、心や体が疲弊しきって、食べることも眠ることも笑うこともできなくなった。胃潰瘍と重度のうつ病で2年近く廃人のように生きた。そこから立ち直りかけたころ、日本での復職が恐ろしくてしょうがなかった。
「そうだ、私には英語がある。海外に出られる。」思い切って海外に出よう。ワーホリに行くことにした。年齢制限もギリギリ間に合う。一人で海外に出る怖さよりも、また社畜となり心身を病む怖さがはるかに勝った。
皆さんは「アイデンティティ・クライシス」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
アイデンティティー クライシス(identity crisis) 自己喪失。 若者に多くみられる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。(https://kotobank.jp/)
小学生のうち2年半をアメリカで過ごしたことで、英文法をベースにしたものの考え方が強まり、私は日本人にもアメリカ人にもなり切れない、居場所をなくした中途半端な存在になってしまった。小学校4年生で日本に戻った時、学校生活や友人関係に違和感を覚えた。自己主張がはっきりしていて、グループに属さず、男女共に誰とでも仲良くしたいと思っていたら、いじめられた。英語が喋れるからっていい気になってる、という訳の分からない言いがかりをつけられた。元々社交的な子供だったため、孤独が辛くて、頑張ってなじもうとした。自分の気持ちは押し殺して、他人に同調し、顔色を窺い、望まれたことを言い、期待を裏切らない、社会を構成する一部品になりきる。そうしているうちに「自分のままじゃ愛されない」という思い込みが常になり、いつも「心地よくない場所」で「誰か」を演じているような感覚があった。それは大人になっても続いた。東京に住む非日本語話者と、英語を話している時だけ自分らしくいられると感じられた。でも、自分はどこまで行っても「日本人」なのだ。
みんなよく海外に出る事を「自分探しの旅」というが、私の場合は、自分が本来どういう姿なのかはすでに分かっていた。元来、友達が多く、明るく、人を笑顔にすることが大好きで、泣いたり笑ったり人間らしく生き、はつらつと仕事をこなし、趣味のアートやダンスに没頭する。好きな言語を話し、自分の気持ちをオープンに表現し、「誰か」ではなく「自分」をきちんと生きること。
旅の目的。
私のそれは、自分が自分らしく過ごせる「居場所探しの旅」。
行先は、「英語圏」「寒くないところ」「時差が少ないところ」という選択肢から、オーストラリアに決めた。
最初の行先は、田舎の農家だ。そう、東京の病み上がりOLが、突然の農家だ。オーストラリアには、農家で3ヶ月働くとビザを一年間延長できる制度がある。初めから「生活する」ことを目的にしていたので、私のワーホリは2年計画で始まった。2014年当時は、Wwoofingというシステムがセカンドビザ申請に利用できた。無料で有機農家に就農し、その代わりに宿と食事を提供してもらう、という制度で、世界中に広がっているプログラムだ。またそこの家族と一緒に、住み込みで働くことが、現地の生活を伺い知る一番手っ取り早い方法だと思ったのだ。
オーストラリアは、バックパッカーが多い。それも、アジアに近い英語圏の国ということで、アジアだけでなく、アメリカ、ヨーロッパなど、世界中からたくさんの旅人が毎年訪れる。また、移民大国だということもあり、大半の人は外国人慣れしていて、旅人に優しい。
この国に来て「日本人」ブランドの強さを感じた。日本人は「親切」「丁寧」「働き者」「真面目」「優しい」「綺麗好き」「几帳面」「マナーが良い」。オーストラリア人では、第二外国語として日本語を教える学校が多かった時期があり、日本語を少し喋れる人にチラホラ出会う。また、日本はアジア・オセアニアで一番の「スキーリゾート大国」。オーストラリアから、毎年かなりの数の人が日本へスキー旅行に行く。日本のパウダースノーは、オーストラリア人には大人気だ。「町がきれい」「交通網の発達」「過密人口にも関わらず人々が揉め事を起こさない」「道を聞いたら英語が喋れなかったため目的地まで連れて行ってくれた」「何もかもが時間通り」「食べ物が美味しい」「文化が素晴らしい」「四季折々の植物が美しい」「コンビニが便利」「売り物に可愛いものが沢山ある」。日本にいたら当たり前に通り過ぎる様々なことが、改めて聞くと、素晴らしいものに思える。海外に出ると、日本の悪い面も良い面も、浮き彫りになる。「どこから来たの?」と聞かれて「日本だよ」と答えると、「そうなんだね!実はね」と9割方良い反応が返ってくる。それは、過去の日本人の旅人が海外で、良い印象を残してきてくれたから。そして、過去の人たちが、様々な伝統ある文化を日本で築き、外国人旅行客を丁寧にもてなしてきたから。私のオーストラリアでの「良い経験」「良い出会い」はこういった礎の上に成り立っている。鬱々としてグレー一色だった東京での生活に少し色が差し始めたような気がした。
農家の仕事を終えて、都市部に移動する。バックパッカーとして旅をしながら、ゴールドコーストに向かう。一人で旅をしていると、色んな人と話をする機会に恵まれる。農家で一緒に住み込みで働いていた友達と違う都市で待ち合わせてディナーしたり、長距離バスで同じく一人旅をしている人とランチをしたり、カウチサーフィンという民泊検索サイトで見つけた、オーナーの女の子と瞬時に仲良くなって、アイスを食べながら一緒に湖のほとりに座って夕陽を眺めたり、アボリジニーの子孫と仲良くなって、先住民族の歴史や彼らを取り巻く様々な社会問題を学ぶ機会に恵まれたり。農家の家族の友人や知人と個別に仲良くなり、その人達を訪ねて、各地の色んな町に足を延ばしたり。裏庭だという国立公園の中を、土砂降りの中、乗馬に連れて行ってくれたり、牛追いをしたり。また自分が過去に作った絵画や彫刻の作品を人に見せて、様々な人から色んな感想を聞くことが出来た。旅の途中に会ったおじさんやおばさんたちは、今だに「元気か?どうしてる?ちゃんと食べてるか?」と連絡をくれて、まるでオーストラリアに親戚ができたようで、とても嬉しい。
カバン一つで、どこにでも行ける。人に話しかけて、人と触れ合って、ありのまま自分をさらす勇気さえあれば、誰とでも友達になれるし、困った時は「助けてほしい」って声を上げれば、どこにいたって、誰かが必ず助けてくれる。辛い事もあったし、嫌な人にも出会ったけど、同じくらい、人の温かさにたくさん触れることができた。
オーストラリアで暮らして、もう一つ有り難く思うことがある。それは、自分が「外国人」だという感覚がない事だ。東海岸のゴールドコーストという都市に住んでいるが、一度ビジネスネットワーキングで出会った人たちと夕飯を食べに行ったことがある。その時自然と集まったメンバーが、オーストラリア人、アメリカ人、インドネシア人、フランス人、日本人(私)。こういうことがここでは普通だ。みんな言語も文化も違う。ある人はベジタリアンだ。道を歩いていても、観光客がアジア人の私に普通に道を聞いてくる。もちろん住んでいるので、助けてあげるのだが、日本ではこういうことは、まずない。
「日本人かアメリカ人か、自分はどちらにもなり切れない」と思い育ってきた私が「何者にもならなくていい」と思える経験は、とても貴重だ。何より、居心地がいい。「多様性を認め合おう」なんて概念こそがナンセンスで、多様性はあって当たり前、そして、認め合うことも当たり前なのだ。空気のように自然に存在する概念だ。
2010年にアメリカを3ヶ月一人旅したときに思った。アメリカはまだまだ分裂している。日本人街、ロシア人街、中国人街、インド人街といったように、なんとなくその国民が多い地域、みたいなのがある、それに加え「白人街」「黒人街」と人種別に済む地域が違ったり、さらには「富裕層街」「貧困層街」というように、生活レベルによって、割と明確に分断されている印象を受ける。もちろん、その特色は、どの国にでもある。東京だって、漠然と、田園調布に住んでいる人はお金持ちで、江戸川区は犯罪率が高い、みたいなイメージはある。オーストラリアはどちらかと言うと、それが他の国ほどはっきりしていない、という印象を受ける。ごちゃまぜだ。更に面白い点は、オーストラリアでは、肉体労働者がかなり稼げる。高級住宅街のガレージに停めてある車が、水道屋さんや施工業者のトラックだったりする。鉱山で働く人もかなり稼ぎがいい。内陸部で4週間鉱山で働いて飛行機で帰ってきて、2週間休む、みたいな生活スタイルだ。なので「労働階級」みたいな人が、実はかなりのお金持ちだったりするのだ。お金持ちが、穴の空いたTシャツを着ていたり、ドロまみれの靴を履いていることもあるし、ゴールドコーストにおいては、気温が温暖でビーチカルチャーなので、スーパーに裸足で買い物に行く人もいる。そうすると、何を基準に人を「差別」していいのか分からなくなり、「差別」することがナンセンスに思える。
都市部のショッピングモールのフードコートにいると、楽しい経験ができる。いろんな民族の人がいて、色んな言語があちらこちらから聞こえてくる。インドのサリーを着た人もいれば、イスラム教のヒジャブを被った人もいる。自然に溶け込んでいる。国境にとらわれず、文化にとらわれず、誰もが好きな言語を話し、好きな宗教を信仰し、誰もが「個人」を尊重できたら。こんな国が増えて行ったら、戦争は無くなっていくんじゃないか。と、時折途方もない夢を見る。
今は、ワーホリの生活を終え、学生ビザで留学生として、オーストラリアに滞在している。ビジネスカレッジに通いながら、個人事業主として、日本で培った様々なビジネススキルを存分に活かし、日本(人)とオーストラリアの懸け橋となる仕事をしている。マーケティング、グラフィックデザイン、ウェブデザイン、翻訳、通訳。イベントで写真撮影の仕事もする。現地のタレント事務所に登録して、たまに映画にもちょい役で出たりもして、それがずいぶん楽しい。ゴールドコーストに来てから、趣味で始めた日本舞踊も、初心者ながら、各地のイベントに出演したり、老人ホームや学校などにボランティアに出かけたりする。
日々の忙しさに追われるだけの生活をしていると、「自分」を見つめる時間がなくなる。国内にしろ、海外にしろ、旅に出るといい。旅に出る時間がなければ、週末に近所の公園や海に出かけて散歩するといい。自分と日常を切り離すことで、色々なことが見えるかもしれない。
自分の好きなこと
自分の好きな人
自分が居心地のよい場所
自分の好きな時間の過ごし方
自分がワクワクすること
自分の得意なこと
自分の中の良いところ
時間は、自分で作るものだ。決意して、断言して、時には人に頼ることも必要かもしれない。スイスの女性で、二人の幼児の子育てでうつ病になりかけたため、旦那さんと義母が子どもは任せろ、ホリデーに出かけてこいと言ってくれた、と、一人でオーストラリアにバックパッカーとして来た女性がいた。これは特殊な例で、彼女はとてもラッキーだ。でもそうやって、自分を大事にする決心をして、行動を起こして、自分との対話の時間が少しでもできれば、それだけで心が豊かになる。
今、あまりお金はないし、安定した生活でもないが、東京で陰鬱な生活を送っていた時よりもイキイキしている。何より、ずっと「自分ではない誰かを演じている自分」が嫌いでしょうがなかったが、今は自分を少しずつ好きになり始めた。思い切って飛び出してよかった。私も、日本で過労うつになった時に、そこで「私の人生はそんなものだ」と諦めてしまえばそこまでだったと思う。自分の人生に諦めを付けるか、何かを変えるかは、自分に掛かっているのだ。大丈夫、あなたも旅に出られるのだ。
あとは決心するだけだ。
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