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新・人魚姫 2020
遥か遠い沖合いの海の底に、人魚の王様のお城がありました。
王様は珊瑚で出来た立派なお城に、六人のお姫様たちと、王様のお母様と共に暮らしていました。お妃様は、一番下のお姫様を産んだ後、運悪く竜巻に飲まれて亡くなってしまいました。
この六人のお姫様は年子でした。中でも一番下のお姫様は見た目も声も最も美しく、最も感受性が強く、最も思慮深い子でした。
お姫様たちにとって、海の上の人間というものの世
出会いはどこにでもある。南仏ニースの場合、それはビーチのブルーチェアで。
フランスのコートダジュールの玄関口といえばニース。この街のランドマークは数あれど、その代表的なものの1つに、ビーチ沿いに並ぶブルーチェアがあります。
海岸沿いのプロムナードを歩いて疲れた時、少し立ち止まって休める場所。慌ただしい一日の空いた時間にふらりと来て、次の予定まで腰掛けて過ごしたり、日が暮れるまでここで本を読んだり。
私もここへふらりと立ち寄った時、色々な人と知り合いました。イタリアの
(たとえ家族が崩壊しても)子どもをやる気にさせるたった1つの大切なこと チャプター6 それは絆:でも、絆ってどうやって作るの?
私がこのブログを始めたのは、ステップファミリーや子どもたちについて、折角学んできたことをシェアしないのは勿体ないと思ったから。
私は気がついたらステップファミリーの一員になっていた。
元夫の息子のうち、上の2人はユダヤ系でもあって(前のブログでも書いた通りお母さんは実家が靴のクラークスの人)、一番下の子は母親がオランダ人の学者の父を持つというインターナショナルな顔ぶれだった。
ロン
たとえ家族が崩壊しても子どもをやる気にさせる大切なこと チャプター5 ステップファミリーの掟:友達でも前妻でも、教育方針に口出ししてはいけない
前回、子どもを育てるにあたって、褒めることをお勧めした。
いくつかその理由を挙げたが、英国ならリチャード・ブランソンやジェイミー・オリバー、日本なら孫正義さんのように、大物になっている人物は、親から人格を否定されず、褒められて育った人が少なくないということがある。
親から批判されて育った人は、たとえ頭が良くても、一生、自信が持てずに、格闘し続ける(親から否定されて育った人で大成した人がい
(たとえ家族が崩壊しても)子どもをやる気にさせるたった1つの大切なこと チャプター4 褒めるか褒めないか、ただそれだけ/言霊(ことだま)が現実を生む
2年前にフランスに移り住んで知ったことだが、イギリスやアメリカのようなアングロサクソンの教育と、フランスのそれには大きな隔たりがある。
前者は褒めて育てる傾向が強いのに対し、後者は規律、修練を重んじる風潮がある。
フランスでは子どもをある一定の型に(mouldという言葉がまさにぴったり)はめようとする。そこだけ見れば、フランスは日本に近いように見える。
大きく異なるのは、日本の学校で
(たとえ家族が崩壊しても)子どもをやる気にさせるたった1つの大切なこと Chapter 3 馬を水辺に連れていくことができても、水を飲ませることはできない(子供に○○しなさいと言っても無駄)
私が今でも振り返って感心するのは、元夫が彼の子どもたちに、もちろん父長(チームリーダー)として号令をかけることはあっても、ただの一度も何かを上から目線で無責任な命令をしたり、怒鳴ったり、叱ったりしているのを見たことがない。
これには幾つかの状況的要因も作用している。
1つは、子どもたちの生活基盤は母親の家にあり、母親との合意の下、元夫は子どもたちに「会わせてもらっていた」。言い方は悪いが
たとえ家族が崩壊しても、子どものやる気を育てるたった1つの大切なこと: チャプター2 多くの人が知らない、離婚から作り出すことのできる親子の関係にとっての意外なアドバンテージ
イギリスでも伝統的に、離婚した家庭の子どもは、そうでない家庭の子どもに比べて学力が伸び悩むという統計のデータがある。
実際、両親が仲良くて安定した家庭の子どもと、そうでない家の子どもを見比べると、前者は落ち着きがないように見えることが多い。
しかし、よく考えれば、これは一種の偏見なのかもしれない。親が離婚していなくても、不安定な心を抱えた子どもは少なくない。
私が元夫と彼の実子たち(
チャプター1 左翼の文学青年は、なぜ息子たちを、究極の不平等の象徴である超エリート私立学校に行かせるに至ったのか
何度も言うけれど、現実に照らし合わせてみても、学校が子どもの人生にとって全てではないし、そうである必要もないと思う。
ただ階級社会のイギリスでは、教育における不平等が明白であり、子どもの進学を巡っても親同士の離婚問題に発展することがある。
前労働党党首のジェレミー・コービンもそのひとりだ。1999年、彼が妻と離婚した原因は息子の学校選択を巡る対立だった。地元のコンプリヘンシブ・スクール(
プロローグ やる気のある子どもに育てるたった1つの大切なこと
今年に入って半年も経たない内に、日本で家族について考えさせられる事件が2つ起こった。1つは岐阜県のホームレス殺人、もう1つは兵庫県宝塚市のボウガンによる殺傷事件だ。
ホームレスの殺人について知った時、最初、中学生か高校生の仕業かと思った。驚いたことに、それは大学生のグループだった。彼らは野良の子猫に石を投げて遊び、怪我をさせた。それを目撃したホームレスの男性に注意されたことから、その矛先を彼
あとがき イギリスは民主主義の実験場
イギリスのEU離脱が決定した後、フランス人弁護士の友達は「経済的にイギリスは絶対にダメになることが分かっているのに」と呟いた。
それは国民投票の前のキャンペーンで、残留派が散々言い続けたことだった。それでも結果は離脱への票が上回った。
コロナ禍で生活が一変し、悲観的になる人たちがいるなか、今までの自分が働き過ぎだったことや無駄が多かったことなどに気づき、逆に喜んでいる人たちもいる。
イギリ
ブレグジットというサーガはイギリス版「忠臣蔵」
2016年に行われた国民投票でイギリスのEU離脱が決まった時、著者は感慨を禁じえなかった。
サッチャーがこの世から去って3年が過ぎていた。キャメロン元首相が言った通り、彼女が直面した問題はもはや問題ではなかった。新しい時代が始まっていた。
ところが、EU離脱決定と同時に、サッチャーの辞任に端を発する点在していた点が、線となってつながったのである。
国民投票の際、EU離脱のキャンペーンを張っ
解決しないフォークランド問題
フォークランド紛争から40年近く経っても、同島を巡るアルゼンチンとの関係は余談を許さない状況が続いている。
1982年に紛争が勃発する前は、政府の間でもその領有権に疑問の声が上がっていたフォークランドだが、その後、周辺の海で石油が発見されたことから、新たな経済価値が見出された。
その後、フォークランドを取り巻く命運は、この30年で二転三転している。
1995年、イギリスとアルゼンチンは投資
終わらない英国病:福祉国家の代償
2013年、ロンドンのセント・ポール寺院で行われたサッチャーの葬儀がBBCで生中継された時、参列したキャメロン首相のすぐ後ろで号泣している男の顔が映し出され、ちょっとした物議を呼んだ。それは当時の蔵相ジョージ・オズボーンだった。
1971年生まれのオズボーンは、2010年の連立政権結成当時、38歳で、歴代でも2番目に若い財務大臣だった。この葬儀での涙に関し、インタビューを受けたオズボーンは単に
第6章 サッチャーが克服できなかったもの 貧困層の再生産
第二次大戦の戦後間もない頃のイギリスには階級の違いは至るところにあった。その人を一目見れば、服装や話し方などから、階級がすぐに言い当てられた。
今では上流階級もその他の階級も服装は似たようなものだし、テレビやインターネットの普及でどの階級も同じ情報を共有している。嘗て階級はイギリス人のアイデンティティの確固とした一部だったが、今はそれが曖昧になってきている。
ただ1つ変わらないものがあるとす
サッチャーはなぜ嫌われるのか?
2013年にサッチャーが亡くなった時、それを祝うため、ロンドンでストリート・パーティを行った人たちがいた。そこには多数の30代の人たちが参加していた。テレビのレポーターが彼らにインタビューすると、サッチャーがイギリスをダメにしたと言って怒りを露わにしていた。
しかし、彼らは80年代以降に生まれ、サッチャーの時代にはまだ幼すぎて、彼女の政治など殆ど覚えていないはずである。
愛の反対は無関心であ