終わらない英国病:福祉国家の代償


 2013年、ロンドンのセント・ポール寺院で行われたサッチャーの葬儀がBBCで生中継された時、参列したキャメロン首相のすぐ後ろで号泣している男の顔が映し出され、ちょっとした物議を呼んだ。それは当時の蔵相ジョージ・オズボーンだった。
 1971年生まれのオズボーンは、2010年の連立政権結成当時、38歳で、歴代でも2番目に若い財務大臣だった。この葬儀での涙に関し、インタビューを受けたオズボーンは単に「セレモニーの全てが感動的だったから」とコメントしただけだった。これには保守党やサッチャーに対して懐疑的な人たちだけでなく、同じ党内からも彼を嘲笑するジョークが囁かれた。
 オズボーンはサッチャーを、戦後最も偉大な首相であるとしながら、「我々は、彼女の多大な努力によって生まれ変わったこの国に暮らすことができて幸運だ」と語った。
 この時、オズボーンの肩には、財政赤字の削減という大きな使命がのしかかっていた。
 イギリス政府の累積赤字は、2000年の段階では3,000億ポンド超だった。97年から始まったトニー・ブレア首相の労働党政権は1,500億ポンドの負債を作り、2007年からのゴードン・ブラウン政権は、2008年のリーマン・ショックの影響もあって、さらに2,500億ポンドの赤字を作り出してしまった。
 イギリス政府の累積赤字は2011年に遂に1兆ポンドを超えた。この政府の赤字に、産業界、国民、金融業界が抱える負債を全て合わせると、対国内総生産(GDP)比では507%という数字になった。これは世界第3位の水準で(1位はアイルランド、2位が日本)、経済が破綻したといわれるスペインやポルトガル、イタリア、ギリシャを超えた。キャメロン内閣は労働党政府が戦後最大の赤字を作り上げたと非難するとともに、これに危機感を抱き、緊急課題として緊縮財政政策に取り組んだのである。
 そもそも2010年に労働党が政権を追われたのも、イギリス国民の間に、この国がとんでもない方向へ向かっているのではないかという不安が芽生え始めたからだ。カウンシル・フラットは子沢山のイスラム系家族に占拠されていた。育児手当とカウンシル・フラットを支給されている自称「シングル・マザー」の女性の元へ、ベンツに乗った男が通っていた。また或いは、自分が支給されたカウンシル・フラットを転貸している者がいた…。ロンドンではカウンシル・フラットは至る所にあり、市民はこうした限りなく怪しい人たちがいることを知っていた。
 BBCのコメディ『リトル・ブリテン』、チャンネル4のドラマ『シェームレス(恥知らず)』やドキュメンタリーの『スキント(一文無し)』など、生活保護で暮らす人たちの驚くべき実態を明らかにしたテレビ番組が作られ、大ヒットした。そこに登場する人たちは、カウンシル・フラットに住み、定職も持たず、アルコール、ドラッグ、そして犯罪とともに暮らしている。貰った手当を全てドラッグやアルコールに使ってしまう者もいる。学校にも行かず、仕事を探そうともしない若者は、自分たちの親も全く同じ生き方をしてきたのを見ている。寂れた地方都市のティーンエイジャーは、育児手当と家を貰うのを目当てに妊娠する。『シェームレス』にも3人の男性との間に5人の子どもを作った21歳の女性が登場した。
 ここには、日本人がイギリスについて憧れを抱くような美しいカントリーサイドの田園風景やマナーハウス、アフタヌーンティーなどのイメージは欠けらもない。これもイギリスの現実の姿である。
 トニー・ブレア首相が率いた労働党政権は、貧困撲滅に取り組むのではなく、逆にそれを温存したといえる。「ニュー・レイバー」の名の下、サッチャーが敷いた新自由主義を踏襲しながら、福祉政策の拡充に努めた。その結果、福利厚生予算は10年前に比べて倍増。これは国民が納める税金の3分の1に相当し、年間900億ポンドが様々な手当に使われ、教育予算よりも多くなった。そのうち800億ポンドは失業者の手に渡った。
 1942年のベヴァレッジ報告書は「5つの巨悪」、すなわち「貧困、疾病、無知、不潔、怠惰(Want, Disease, Ignorance, Squalor and Idleness)」の撲滅を唱えた。しかし、このベヴァレッジ報告書は新たな「怠惰」を生み出したのである。
 70年前だったら仕事さえあれば、それが何であろうと人は飛びついただろう。だが、今は手当を貰うために失業し続けている人たちがいる。彼らの言い分は、自分たちが手に入れることができるのは賃金の安い仕事しかなく、働き始めたら、手当や家賃免除を失う上に、託児所などの費用まで負担しなければならなくなり、生活が苦しくなるのは目に見えているからだというものだ。
 イギリスのジョブセンター(職業安定所)のスタッフは親切だし、生活保護の申請手続きは比較的容易なので、一旦、受給し始めたら、仕事に就きたくなくなるともいわれる。
 2013年にはイギリス国内に失業もしくは疾病手当を受給している人は500万人いた。これについて、キャメロン首相はきっぱりと「我々(政府)は騙されている」と言った。例えば、2012年に疾病手当を申し込んだ者は130万人いたが、そのうち100万人は「仕事に支障がないことが分かった」と言って、医師の診断が下りる前に申請を取り下げたという。
 手当の不正受給による逮捕者も出た。7人の子どもの母親である37歳の女性が2013年、懲役5ヶ月の実刑判決を受けた。彼女はシングル・マザーと称して、収入手当、育児手当、家賃給付金、地方税給付金など、併せて年間2万3,500ポンドを受け取っていたが、実は定職のある子どもたちの父親と一緒に暮らしていた。
 ミック・フィルポットという男は妻、愛人、そして11人の子どもたちと、3寝室のカウンシル・ハウスに住み、国から年間8,000ポンドの生活保護を受け取りながら、妻や愛人を働かせて、合計10万ポンドを自分の懐に入れていた。元兵士のフィルポットはドラッグを常用し、過去にも傷害事件を起こしていた。彼は目立ちたがりの節もあり、テレビのワイドショーに出演して、自治体にもっと大きな家をくれと要求していた。
 ある日、フィルポットの愛人が子どもを連れて家を出ようとしたため、彼は妻と結託し、この愛人を殺す目的で家に火をつけた。愛人は助かったが、子どもたち6人が焼死してしまった。フィルポットは無期懲役を宣告された。
 オズボーン蔵相はこの事件を受けて、こうした福祉制度のあり方について、もっと議論されるべきだとのコメントを発表した。労働党は「この犯罪を福祉制度と結びつけるのは極論だ」と反論したが、この事件によってやはり納税者はイギリス社会が置かれている状況に疑問を抱かずにはいられなかったはずである。
 2012年、オズボーン蔵相は、労働厚生相のイアン・ダンカン・スミスと共に、「60年に一度の大改革」といわれる福祉改革法を成立させた。その目標は、「一部の人たちにとって、定職に就かず、生活保護を貰うことがライフスタイルの1つの選択肢になっている」という現実を見直し、「サムシング・フォー・ナッシング・カルチャー」(何もしなくても何かが貰える文化)に終止符を打つことだった。
 福祉改革法の中身であるが、「仕事のない者も、仕事のある者と同じ選択をすべきである」という考え方から、生活保護を受けながら新たに子どもを作った場合、その受給資格を失うことになった。また、今までバラバラに支給されていた手当が、世帯主の口座に毎月一度、一括して振り込まれることになった。これにより、どの世帯がどのような手当を貰っているかが明確になり、前述の女性のように、仕事を持つ世帯主がいるのに手当を受給するといった事態を避けられるようになった。
 25歳未満の38万人に住宅手当が支給されていたが、これが逆に彼らが職を見つけることから遠ざけているのではないかと判断され、廃止された。生活保護の合計金額に上限が設けられ、カップルやシングル・ペアレントは週500ポンド、子どものいない成人は350ポンドまでとした。生活保護の上限枠設定を受けたため、失業者の1万2,000人は割に合わないと判断したためか、職に復帰したともいわれた。当時の世論調査では、49%がこの福祉改革法を支持し、不支持は43%となった。
 国から受け取る保険や教育、社会サービスよりも払っている納税額が2万ポンド以上、上回っているのはイギリス社会の上層20%であり、彼らがこの国を支え、回しているのだ。例えば前出のフィルポットが住んでいたノッティンガムという町の場合、27万人の住民の半数が、何らかの手当を受給していた。
「働けるのに働かないというのは、もう選択肢ではない」
 ダンカン・スミスはこの改革への決意をこのように表明した。サッチャーも「働かない者が報われるなんてありえない」と言っていた。イギリスは大きく変わったが、その一部では英国病が絶えるどころか、定着している。オズボーンがサッチャーの葬儀で号泣したのも、彼女がやり遂げられなかった大きな仕事を前に、彼女が改革を実行するために様々な困難や障壁をくぐり抜けてきたことを思い、胸にこみ上げるものがあったのだろう。


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