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チャプター1 左翼の文学青年は、なぜ息子たちを、究極の不平等の象徴である超エリート私立学校に行かせるに至ったのか

 何度も言うけれど、現実に照らし合わせてみても、学校が子どもの人生にとって全てではないし、そうである必要もないと思う。

 ただ階級社会のイギリスでは、教育における不平等が明白であり、子どもの進学を巡っても親同士の離婚問題に発展することがある。

 前労働党党首のジェレミー・コービンもそのひとりだ。1999年、彼が妻と離婚した原因は息子の学校選択を巡る対立だった。地元のコンプリヘンシブ・スクール(学力を問わず、地域の全ての子どもが通う公立学校)の学校教育のクオリティに不信を抱いた妻は、夫の反対を押し切って、息子をグラマー・スクール(公立進学校)に進学させてしまったという。(コンプリヘンシブ・スクール、グラマー・スクール、パブリック・スクールの説明はコチラ

 極左のコービンはあらゆる格差や不平等に反対しているため、たとえ家族に対してもその意志を貫こうとした。グラマー・スクールのほうが息子にとって丁寧な教育が受けられると判断した元妻は、それに反対する夫を見て、家族や子どもがないがしろにされていると感じてしまったのだろう。

 面白いのは、コービン自身はブルジョワ家庭に育ち、グラマー・スクール出身であることだろう。恵まれた環境に育った人は、逆に自分の身分や境遇に疑問を持ち、そこから解き放たれたいと思うのかもしれない。

 人は自分ができなかったことを自分の子どもの人生で挽回しようとしたり、劣等感を補おうとしたりする。それは万国共通である。

 私の元夫は元教師の両親のもとに育ち、グラマー・スクールからスカラシップを得てオックスフォード大学に進んだ。詩を書いたり、本を読むのが好きな典型的な文学青年だった。彼の人生は順風満帆に見えたが、大学に入った途端、社会の究極の不平等を味わうことになる。

 現在、オックスフォードとケンブリッジの入学生の4割は、私立学校の出身者が占めている。元夫が在籍していた1970年代、この比率はおよそ6割で、それまでは大半が私立学校出身だった。これは驚くべきことである。なぜなら私立学校に通う子どもは、今も英国全体の6%程に過ぎないのだから。

 この私立学校、とりわけそのトップのパブリックスクール出身の学生たちは、そもそも庶民とは住む世界が違う。たとえば親はベントレーで学校の送り迎えを行い、広大な土地を所有し、ハンティングをするといった具合に、生活のレベルも休暇の過ごし方も桁外れ。元夫はそんな彼らの世界をRich Kids Fieldと呼んでいた。

 これらの学生はパブリックスクール時代に、オックスブリッジの伝統であるガウンの着用やカレッジ単位の集団生活、マンツーマン指導などを既に経てきている。パブリックスクールはオックスブリッジを意識した一種の予備校であるため、オックスブリッジに入った後、新生活に適応しやすいという利点がある。

 こうして、社会から見てごく少数のエリートたちが、大学にパブリックスクールのカルチャーを持ち込み、その場を支配していた。元夫はそうした人間たちと知り合えた反面、出身校の違いから来る「僕ら」と「彼ら」の隔たりや、「彼ら」の優越感を絶えず意識させられることとなった。「彼ら」には特有の自信に満ちた態度がある。同じ大学に通っているとはいえ、そこには2つの相入れない世界が存在していたのである。

 これは公立学校からオックスブリッジに進学した者や、マスコミがずっと指摘し続けてきた問題でもある。

 このような体験をした親としては、自分の子どもには同じ思いをさせたくない、ぜひとも「彼ら」と同じ道を歩ませたいと考えるようになったのだろう。元夫は若い頃は労働党に属し、特権階級を否定する立場を支持してきたが、自分の子どもに関しては話が違うらしい。

 こうした矛盾が人間の面白いところであり、本質的部分でもある。

 ウッディ・アレンの映画『ローマでアモーレ』で、アレンが演じる父親が、娘の婚約者が共産主義思想の持ち主だと不満を並べる。「僕も若い頃は左翼だったけど」と前置きしながらも、自分の娘の結婚相手はヨットやフェラーリ数台、サルディーニヤの別荘なんかを持った金持ちのほうがいいと言う。

 親とはそういうものである。

 そういうわけで、元夫の息子たちのパブリックスクール入学は、親子2代の特権階級への一種の逆襲ともいえるものだったのかもしれない。

 



 

 

 

 

  

 

 

 

 

 


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