第6章  サッチャーが克服できなかったもの 貧困層の再生産


 第二次大戦の戦後間もない頃のイギリスには階級の違いは至るところにあった。その人を一目見れば、服装や話し方などから、階級がすぐに言い当てられた。
 今では上流階級もその他の階級も服装は似たようなものだし、テレビやインターネットの普及でどの階級も同じ情報を共有している。嘗て階級はイギリス人のアイデンティティの確固とした一部だったが、今はそれが曖昧になってきている。
 ただ1つ変わらないものがあるとすれば、貧困層が存在し続けていることだろう。
 サッチャーが首相を辞任する直前、議会で野党の議員から、彼女が政権に着いたばかりの11年前と比べて、社会の最も富裕な10%と最下層の10%との格差が広がったとの指摘があった。これに対し、サッチャーは「11年前と比べて、社会のどの階層の所得も増大した。富裕層を貧しくすることによって、より良い社会サービスを提供するために必要な富を作り出すことはできない」と反論した。
 2010年にリサーチ会社、YouGovが行った調査では、対象グループのイギリス人の3分の2以上は、自分が中流階級に属していると考えている、という結果が出た。このうち半数は自分の親は労働者階級であると言っており、階級移動が盛んになった印象を与えた。
 この調査結果に従って、イギリスの3分の2が自分たちを中流階級だと考えるようになったのだとしたら、社会はより平等になったといえるのかもしれない。
 社会の最も富裕な人たちと最も貧しい人たちをみれば、格差が広がったのは事実だろう。富も貧困も再生産される。英語には「金が金を生む(Money begets money)」という諺があり、規制が撤廃された結果、富裕層はさらに富を増やした。その一方で貧困層は変わらない。
 1945年、イギリスのトップ0.01%の上流階級は、国民平均所得の123倍の収入を得ていた。この格差は1965年までには半分になり、サッチャーが首相になる前の1978年には28倍にまで下がったのだが、1990年にはまた70倍に跳ね上がり、リーマン・ショック直前の2007年には144倍になっていた。
 新自由主義への批判は、この復活した社会格差の研究となって噴出した。2005年に発表されたロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの研究によれば、90年代以降、社会の最貧困層に属する子どもたちが高等教育機関を修了する割合はひと桁に過ぎず、80年代初めから殆ど変わっていなかったが、最富裕層の子どもたちが学位を取得する割合は、20%から50%近くにまで増えたという。                 
 イギリスにおいて貧困層に最もチャンスがあったのは、階級社会が当たり前だった1950年代だったかもしれない。当時の大学進学率は5%ほどに過ぎなかったが、どんなに貧しい子どもでも、IQが高ければ、この本の最初に紹介したイレブン・プラスで拾われれば、グラマー・スクールに入り、大学進学に必要な勉強をすることができた。
 その機会を奪ったのは、皮肉にも機会の平等を謳ったコンプリヘンシブ・スクール改革だった。3部制中等教育はコンプリヘンシブ・スクールに統一されたものの、スローガンに掲げられた「全ての児童にグラマー・スクールの教育を」という教育の質は実現しなかった。貧しいけれど優秀な児童が能力を伸ばせる道が、逆に閉ざされてしまったのである。
 その間、富裕層は自分たちの子どもは私立の学校へ通わせた。パブリック・スクールを始めとする優良私立学校では、大学受験に必要な上級試験(通称「Aレベル」)をきちんと教えられる教員や環境が整っており、大学進学には絶対に有利である。
 中道左派の自由民主党の元党首であり、保守党キャメロン連立政権の副首相だったニック・クレッグは次のように言った。
「イギリスの子どもの親の5人に1人は、何らかの生活保護を受けている。しかし、これらの子どもはオックスフォード及びケンブリッジ大学の学生の100人中1人に過ぎない。一方、私立学校に通う子どもはイギリスの子どもたちの7%にすぎないが、判事の70%そして上場企業の社長の50%以上は私立学校出身者である」
 これらの私立学校は年間、最低でも百万~数百万円の授業料がかかる。大学も70年代までのように無償ではなくなっている。2017~18年にはイギリスの17~30歳の約45%が大学に進学しているが、そのうち貧困層の進学者はおよそ26%に留まっている。
 ここで明らかなのは、親の収入や階級が、子どもたちの知的発達や社会的成功に影響していることであり、問題はそういうクレッグ自身、パブリック・スクールの名門ウェストミンスター・スクールの出身で、ケンブリッジ大学の卒業生であることだ。彼は「僕は幸運だった」と自分の生まれ育った環境に感謝しながら、機会の均等を促進したいと述べていた。
 社会格差が縮まらない大きな原因は、公立学校と私立学校の質に大きな差があることであり、この点において、イギリスは今も昔も変わらないのである。
 1997年から2010年まで政権を握ったトニー・ブレア率いた労働党は、貧富の差の縮小を標榜したにも拘らず、それを克服することはできなかった。貧困家庭の子どもたちに向けた、地域主導の就学前教育プログラム『シュア・スタート』も設けられたが、大きな成果は上がっていない。ブレア政権は、社会手当の拡充をしながら新自由主義を継続し、富裕層を自由に泳がせた。労働党はサッチャーを責められないのである。
 こうした事実について、ブレア、ブラウンの後、労働党の党首になったエド・ミリバンドは「既に社会に存在する格差をまず先に是正しなければ、社会的流動性を高めることはできない」と主張した。競争が激しい社会では貧困層が上昇できるチャンスは少なく、結果が平等な社会のほうが、そのチャンスは大きいというのだ。
 サッチャーがやろうとしたのは、やる気のある人たちのために、チャンスを拡大することだった。その結果、中流階級を自負する人が増え、表面上、階級が昔ほどは重要ではなくなってきている。それでも貧困層はなくならない。
 イギリスの貧困層がそこから抜け出せない理由の1つに、親や家族も働いておらず、彼らにそもそもモチベーションや周囲から得られるインスピレーションがない、自分たちの生活を変えたいという欲求がない、という事情もある。貧困とは、そのような文化として再生産されていくものでもあり、国の福祉政策がこの文化を温存したという一面も否定できない。

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