解決しないフォークランド問題


 フォークランド紛争から40年近く経っても、同島を巡るアルゼンチンとの関係は余談を許さない状況が続いている。
 1982年に紛争が勃発する前は、政府の間でもその領有権に疑問の声が上がっていたフォークランドだが、その後、周辺の海で石油が発見されたことから、新たな経済価値が見出された。
 その後、フォークランドを取り巻く命運は、この30年で二転三転している。
 1995年、イギリスとアルゼンチンは投資推進保護協定を結び、協力して石油探査を行うこととなった。当時のアルゼンチン大統領カルロス・メネムは新自由主義の推進者で、イギリスとも歩み寄りの姿勢を見せた。
 しかし、原油の価格が下落したため、この開発は見送られた。
 2007年に原油価格が上昇すると、イギリス政府はアルゼンチン政府に石油探査の協力を仰いだが、時の左派大統領クリスティナ・フェルナンデス・キルチネルはここで断固として島の主権を主張。95年の協定を破棄してしまった。
 2012年には島の住民投票が行われ、99%の島民がイギリスへの帰属を望んでいると判明。これを受けて、キャメロン首相は島の主権について交渉の余地は全くないとした。
 一方、キルチネル大統領は全面的に戦うことを宣言し、フォークランドに向かう船舶を阻んだり、石油開発の関係各社に数百通の苦情の手紙を送りつけたりした。同大統領は国連でイギリスの植民地主義を批判して主権を訴えたが、フォークランド諸島の代表者も国連に出向き、住民の権利を主張した。
 2015年12月、中道右派のマクリ大統領がキルチネルを破って大統領に選出されると、再びイギリスとの協調路線を進め、フォークランド周辺の油田開発についても協力する姿勢を見せた。
 だが、これも長くは続かず、2018年、キルチネルが指名した左派のフェルナンデスが大統領に当選。2020年5月には、フォークランド諸島のコロナ・ウィルス感染者数を自国民に含め発表するなど、イギリスの神経を逆撫でしている。
 そんななか、パンデミックによる石油価格暴落を受け、フォークランド諸島の油田を保有するイギリスの石油会社プレミア・オイルは開発プロジェクトの中止を発表している。
 9度目のデフォルトを出したアルゼンチンだが、同国が経済的に再建されるためには、サッチャーのような大胆な改革を行うリーダーが必要である。しかし、この国の文化として、そのような人物を望まない傾向があると見られ、これは今後もイギリスにとっては難しい状況が続いていくことを暗示するものである。

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