見出し画像

意中の球団でなくても、きっと道は開けるはずだ。プロ野球ドラフト会議。「ライバル球団」だったから大リーグに行けた。まさかのチームでも後に希望の2球団でプレーできた

意中の球団でなくても、きっと道は開けるはずだ。きょう24日はプロ野球のドラフト会議。プロの道を志す選手たちにとって、ハラハラする一日となるだろう。たとえ希望の球団に指名されなくても落胆しないでほしい。「ライバル球団」に入ったからこそ、大リーグでプレーする選択肢ができた。まさかの球団でも後に希望のチームでプレーできた例もあるから。

プロ野球選手をめざす選手にとって運命の一日だ。12球団がきょう24日、東京都内のホテルに集い、有望選手を指名する。12球団どこでもOKという選手もいるだろう。意中の球団から声がかかることを熱望する選手もいるだろう。

たとえ意中の球団から指名されなくても、落胆しないでほしい。道はきっと開けるはずだ。

1992年度に行われたドラフト会議。ここで将来、日米両国で活躍するスーパースターが生まれた。巨人とヤンキースでプレーした松井秀喜さんだ。星稜高校3年生。大の阪神ファンだった。

ドラフト会議で、松井選手を指名したのは4球団。阪神、巨人、ダイエー(現ソフトバンク)、中日だった。松井選手にとって当然、意中の球団は阪神だったはず。しかし交渉権を獲得したのは阪神のライバル球団、巨人だった。

当時の長嶋茂雄監督がくじを引き当てた。右手親指を突き上げたシーンが記憶に残る。スーパースターが将来のスーパースターを引き寄せたのだ。

もしも阪神に指名されていたら。松井選手は意中の球団で引退するまでプレーし続け、大リーグに挑戦することはなかったかもしれない。意中の球団でないからこそ、その先の道が生まれたのかもしれない。

さらにさかのぼること、1986年のドラフト会議。ここでも「落胆のち栄光」となるドラマが生まれた。プロ3球団で14年にわたりプレーした左腕、阿波野秀幸投手(亜細亜大)だ。

東京の大学でプレーした阿波野さんにとって、意中の球団は関東にあるチームだった。ドラフト当日、指名したのは3球団。巨人、横浜大洋(現DeNA)、そして近鉄(現オリックス)。意中の球団は巨人と大洋だった。

交渉権を獲得したのは近鉄。大阪にホームのある球団。しかも事前に阿波野投手側に指名することを伝えていなかった。

まさかの球団が交渉権獲得。阿波野投手にとっては落胆だったはずだ。くじで外れた2チームは意中の球団だったのだから。

しかしルーキーイヤーに阿波野さんは15勝を挙げて、新人王を獲得した。近鉄で8年プレーした後、巨人にトレード。ついに念願の在京球団でプレーすることが叶った。3年間所属した後に、さらに横浜へトレード。ここでも3年プレーした。

結果的にドラフト会議で熱望した2球団のユニホームを着ることができたのだ。しかも阿波野さんは所属した3球団のいずれでも日本シリーズでプレーしている。「落胆のち栄光」の野球人生を送ることができたのだ。

今年のドラフト会議。笑顔あり、涙ありの一日となるだろう。意中の球団でなくても、落胆しないで。きっと明るい道が開けるはずだから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?