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ACT.44『ピストルは鳴らされた』

港町を離れる

 遂に、小樽市を離れる時が来た。山陰本線の綾部付近で事故遅延し、20時間以上かけて到着した北海道最初の街。そして、カモメが鳴き鉄道の起源や歴史を感じ、多くの優しさや人々と交流した街。そんな小樽から離れる時が来た。
 自分の宿泊した区画…ゲストハウスでの宿泊だったが、自分の宿泊した区画は自分しか寝ていなかったので、(2段ベッドが4つほどあったのに)悠々と目覚ましのアラームを設定しそのまま就寝していた。そして、そのまま起床。函館本線は山線を長万部方面に向かって走破していく予定を無事に達成できそうだ。
 朝に起床し、ロビーに向かう。最初、チェックイン時に出会った加古川からの老夫婦に出会った。ロビー内のテレビではBSの金融系番組が流れている。畏まった…と言えば良いのか、改まった…と言えば良いのか。朝に普段見ない内容のテレビを自分も見つつ、昨日の夜に北広島まで電車で行った話や「昨日は寝れたのか」など他愛ない朝の世間的な話をする。
 そして、
「函館本線に乗ってこんな感じで」
と行程表を見せ、自分の旅立ちの日程を見せた。
「おぉ、凄いね。全部鉄道?」
とそうした内容の話になったような気がするが、朝に軽い挨拶をし遂に宿を離れた。いよいよ、緊張…というか、北海道の鉄道を使った周遊の旅が始まろうとしている。

 北海道の朝、というのは個人的に涼しかったイメージがある。ただ、昼間はめちゃくちゃ暑い。
「涼しかったやろ?」
と言われたり帰ってから
「向こうはきっと冷たかったんちゃう?」
と言われたが、全然そうでもなく過ごしやすかったのは午前中の曇った時間だけだった。
 写真は、小樽の街を少しだけ写真に収めたもの。朝には、小樽方面・札幌方面から山線に向かって長距離を走行する列車が走行している。その列車に乗車すべく、自分は再び南小樽の駅へと歩いているのだ。
 しかしチェックインの時も、こうして南小樽まで電車に乗車しておけば良かったかもしれない。小樽からかなり遠く、もはやあの文化財というか上野駅のような構造をした西洋風のモダンなターミナルの存在が脳の中から少し飛んでいる状態にまでなっていた。
 そのまま、車の少ない道…静けさの中に曇り空を仰いで南小樽の駅へと進んでいく。目指すは余市だ。
 ようやく15分近く歩いた頃だろうか。昭和後期風…平成初期風な南小樽の駅舎を見つける。耐寒構造の駅の中を歩き、ホームに到着した。ここから、山線に向かって走っていく列車に乗車する。
 本来であれば小樽からの乗車予定だったが、奇跡的に南小樽からも乗車可能だったのでそのまま計画を南小樽に変更してそのまま乗車した。

再会を喜んで

 さて。ここでしばらく733系・731系のような顔に段の形状を描いたスタイルの電車とはしばらくのお別れだ。
 ここからは山線…函館本線の先の路線が非電化となる為、気動車の出番となる。やってきたのは北海道の次世代を担っている気動車の主力、H100形だ。
「おぉ、お前は元気でやっとるみたいやなぁ」
思わず他人行儀な反応が漏れるが、それもそうだろう。関西の人間で京都の人間なのだから、この車両は川崎重工の甲種回送でしか撮影・遭遇経験がない。長編成の隊列を組んで都市圏を走り去る姿しか知らない自分にはこうしての活躍がめっぽう新鮮に見えるというか、本当にこの車両は気動車なんだという気分にさせられた。

 参考までに撮影当時…甲種輸送の撮影時の記録を掲載するが、この時は確か釧路行きだった記憶が残る。それ以上はもうどうでも良いのだが。
 電車はどうやって製造を経て我々の元にやってくるのか?感覚で当時撮影の拙い記録をご覧いただければ幸いだ。(2020年・石山にて撮影)
 として、遂に、函館本線は山線にて自分の北海道鉄道周遊が始まった。北海道の旅路は気を引き締めなくてはと何か自分に言い聞かせて乗車する。
 南小樽、6時56発、1930D、然別行き。
 遂に自分のピストルが鳴らされ、旅に出た瞬間だった。車内に立ち入り、KAWASAKIの銘板を見て親しみを覚えたと同時に感じる焦燥感や期待感。H100形がググっ、とエンジンを起動させ前に動き出した。

気動車の温情

 この函館本線・山線は室蘭本線が海線として呼ばれている事に対する対の言葉に対して呼ばれている。
 昭和61年の頃には小樽方面から特急列車・北海がこの山線を発ち旭川方面へと向かっていたようだが現在ではこの山線は静かな普通列車ばかりの路線になっている。
 H100形の普通列車は、乗車した瞬間に大勢の乗客を乗せていた。着席もままならなかった…が、小樽を出て座席が空いたので着席ができた。
 普通列車しかない路線、ではあるが自分が乗車した朝の時間は割とパワフルな列車の走行時間帯だと感じた。そして、車両のバリエーションも深い。
 写真は、塩谷で行き違ったキハ201系の普通列車である。キハ201系は963Dだろうか。苫小牧へと向かっていく列車である。
 このキハ201系が充当されている963Dというのは、次の小樽で列車番号が731系を併結する為に963Mに変化する列車だ。
 しかし、このキハ201系自体は苫小牧に向かっていくわけではなく札幌で切り離して、苫小牧への道は731系に託す。
 そして、前回の963D・Mでの乗車記録で書けていなかった事実なのだがこの963D・Mには運転士の気動車免許・電車免許が『双方に』必要になってくる列車である。
 こうした電車+気動車の列車という特殊併結はないと前回に記したのは記したが(遡ってください)、乗務員の免許関係に関しては記していなかったのでこの行き違いを機に記した。
 さて、こうして731系電車の気動車版とも言える車両との会釈をし、乗車するH100形は然別へと向かって自然豊かな道をぐんぐん進んでいく。しかし、小樽を出て感じたのだが小樽を出てから塩谷に向かうまでに、一気に山深くなった。本当に同じ駅間の道なのかと思うくらいには。

 そのまま、塩谷・蘭島…と出て小樽を出た先の次の街と言える場所なのかどうかな場所の余市に到着した。
 この駅では少々の停車があるようなので、列車を下車して撮影へと回る。

 乗車しているH100形の普通列車は2両だった。というか小樽で増結していたのか…。というのをここにてようやく気づいた。
 本当に遅かったというか、自分が鈍感すぎて何も気づいていなかった。この先、然別まではあと少し。この余市で下車しておいた方が時間的には様々な事が出来そう…だったのだが、そのまま先に進行して然別まで列車に乗車しておく事にした。
 ただ、乗客の数は本当に少なくなっており徐々に列車内にも不気味な空気が漂っている。通勤通学でここまでなら乗車している可能性はあるにしても、然別なんてなぁ…とこの先落胆するとは思わなかった。

 余市でキハ201形と行き違った。今度は快速列車のようだ。表示が非常に小さいのだけれど。
 列車名があるらしく、この列車の名前は快速『ニセコライナー』と呼ぶらしい。朝1本。夜1本の特別な列車であり、キハ201系の専用運用だ。
 731系にもかつて、快速(区間快速だったか)『いしかりライナー』があったが、そちらに関しては既に廃止されている。この『ニセコライナー』はどれだけの命を保てるのだろうか。
 次に小樽方面・函館本線は山線沿線に宿泊する際があったら、この『ニセコライナー』に乗車しキハ201系のパワフルな走りを体験してみるとしよう。今後が非常に楽しみな列車に遭遇した。残り僅かな然別へと向かう。

 現在は函館本線の山線も、既にこうした気動車の王国になってしまった。
 自分がNHKの映像で憧れた蒸気機関車の走行していくシーンは既に過去。というかもう50年以上は前の前の前であり、何か切なくもなってくる。
 今はハイブリッド気動車に、電車と互角な鉄道車両の時代になっている。機関士と機関助士が石炭の煙に喘ぎ、必死に命懸けでこの山を登った時代を思えば、今の旅路は本当に軽快だ。
 銀色の気動車が、山を軽々飛び越える。ガタン!ゴトン!跳ねる音が心地よく、そしてまた眠くなる。そうしている間に、然別の駅に着いた。

 然別に列車が到着した。最初は、
「ありがとうございました〜」
と普通に運転士からの会釈をして列車から下車したものの、列車の外に出て駅の姿を見た瞬間に驚いてしまった。どうすれば良いのだと。
 構内踏切が敷設されておらず、線路をそのまま歩く形になっている。この区間ではそこまで列車が往来する事はないだろうが、自分の中では初見で恐怖を感じた瞬間であった。

 そのまま、構内踏切を横断して反対側に移動する。列車は既に小樽行きの行先表示に変更されており、折り返す瞬間は万端のようだ。
 しかし、この然別の駅に居るのは自分ともう1人の男性だけで本当に不気味な時間だったのを覚えている。鬱蒼とする緑の中、自分の中にどうしようかとの焦りも若干見え始めてきた。

 そのまま、ホームを移動して然別の駅舎の中に移動した。
 国鉄時代の伝統…というか、誰もが思い描く山のローカル線の風情を持つ駅である。
 少しおぼつかない恐怖の足取りで線路を移動し、そのまま駅舎まで到達。そして、自分はこの駅舎まで来て様々なモノを物色して駅舎の写真まで撮影し、あらかたの用事を済ませたところで決心がついた。
「この駅で最初は倶知安行きの列車を待つと考えていたけど少し無謀やな、余市まで戻った方が賢明か」
駅舎の中は閑散とし、山間に囲まれた状態の然別駅。そして、僅かな除雪道具がその時を待っているだけのこの駅で当初は先の倶知安に向かう列車を待機している予定であった。しかしこの駅の様子を見ると中々に無謀を感じたので、手前の余市に戻る決心をする。

 再び、小樽行きとなったH100形の車内にて。車窓に映る然別の駅名標の周辺にも、緑…草の生え具合が鬱蒼としており、この駅の緑しかない状況を物語っている。
 寝起きの自分。そして、何か折角の北海道なのでもっと様々な刺激や体感を探していた自分の脳内にはこの駅での滞在は我慢できず、切符を使う意味も込めてそのまま乗車する事にした。
 再び、H100形が走り出す。山間のこの駅で僅かな滞在をし、仁木を経てそのまま余市の駅に戻っていくのであった。

ウィスキーから始まる憧れ

 余市に到着した。この駅の周辺は、寝ぼけ眼な状態ではあったが非常にモダンというか日本と西洋の血が混合した街並みだった…という雰囲気であったのを覚えている。
 写真は、旅の記念として撮影した余市の駅前の様子だ。モダンな建物が映え、街を明るく照らしている。今回は列車待機の僅かな時間のみであったが。次回滞在で長き訪問が可能ならば行ってみたい。
 この駅から、JR北海道が新たに開始した『北の大地の入場券』を買い始めた。その記事に関しては自分の過去記事、そして過去コーナーの『著者展望』を読んで下さると詳細が分かるかと。
 この駅では、NHKの朝ドラ・マッサンの文字を見かけた。どうやら舞台になっている場所だったらしい。こうしてNHK・朝ドラの舞台に意図せずの着弾になるとは思いもしなかった。
 少し調べたところ、余市のウイスキーに関して調べているとニッカウヰスキーの公式サイトに辿り着いた。その中には、ウイスキーと余市の歴史について
『一人でも多くの日本人に本物のウイスキーを飲んでほしい。』…から始まる、竹鶴政孝についての記述から始まる物語があった。この竹鶴政孝の歴史が、余市ウイスキーの歴史の始まりであり語るに欠かせない人物となっている。
 竹鶴政孝は、NHK朝ドラ・マッサンのモデル人物になった人物である。そんな竹鶴政孝は大正7年。単身でスコットランドに出かけた。その中で、竹鶴政孝は熱心にウイスキーに関する勉学に励み、彼は不屈の精神でウイスキーに向き合っていたという。
 そんな中、竹鶴が帰国し、スコットランドと似た環境でウイスキーの蒸留所を探す事にした。そんな中で気候や自然環境を考慮し、多くの候補地から選定されたのがこの小樽から西に向かったこの場所・『余市』だった…という訳である。

 朝の強制に叩き起こした体も、正直に限界が来ていた。速いと思うのだが。京都にいる時には、函館本線の山側を乗車できる事をここまで楽しみにしていたのにいざこの調子とは本当に何か情けない。
 さて。下車の印も貰った。北の記念入場券も買った。色々な証を拾って、本当の憧れの鉄路を走る列車に乗車していく。H100形。倶知安行き。緑だらけの然別の駅を越え、長万部に近づく道を行く今日の旅路の鍵を握る列車の1つである。
 …だがその前に。左上の車両番号を見ていただきたい。H100-と続いている数字だ。
 この数字が実は1番になっている事に気付いた。
「おぉ、コレはトップナンバーじゃないか」
少し良いオマケを貰って、小樽から先の大地を目指し進んでいこう。

 北の大地にウイスキーの夢と西洋モダンな文化を残した街、余市を出た。
 そのまま、列車は少しすると再び仁木方面に向かって山の中に入っていく。
『シュッシュッシュッシュっ…』
『ボォォォォォォォォ…』
この場所は。かつて、小樽築港機関区に集った最後のC62形蒸気機関車が活躍をした場所だ。
 その活躍を知り、魅了され。NHKの深夜番組で編集された姿を見て知ったのが中学生の頃。夏休みの時期だったが、何回も何回も見て釘付けになった。今でも見ている。
「憧れていた場所を、こうして今、乗っているんだな」
と然別から先の鉄路にて自分は思った。
 銀山・小沢…
 少ない駅の中だが、その区間には幼い頃の憧れが詰まっている。画面の中を、つばめのマークを付けて駆け抜けた巨大な蒸気機関車の姿が。
 万感迫り来る、とはこの事だろうか。
 もし昔の自分に出会えるなら。中学の時、夏休みを迎えても学校に挫けず自転車を走らせていた少年の自分に言えるなら、この今を伝えてやりたいくらいには今の現状が信じられなかった。

自分の思い出、C62形ニセコ号。この際は北海道時代の再現が京都鉄道博物館にて行われた。 ※令和3年撮影

 北海道の長い滞在の期間、自分が何か悔やむとして前半。悔やむとしてみればまずこの区間で体力を温存できていなかった事にあるかもしれない。
 半分、寝ぼけてグッタリとハイブリッドな気動車に揺さぶられていたのは何か傷な思い出だ。
 この区間には、再三再四記しているが自分にとって思い出の区間…地元は京都で急行・ニセコを牽引するNHKの晩年の映像を眺めていた思い出の区間である。
 中学の時期は編集された映像をテレビで見るしかなかったので、それをずっと録画で何回も見ているだけであったが、高校生になってネット環境を入手すると元の番組を発見してそれを視聴。ナレーションもハッキリ覚えた。
『最大、最強と言っても。C62は平地を高速で走る為のSL。言ってみれば、「都会派」のSLなのです。』
 今はハイブリッド気動車で、軽々と越えている山。しかし、その苦労を知っている京都のC62-2。今はこうして地元で友人を誘って何度か見に行っているが、その苦労というかその直向きに走っていた道をこうして乗車して生で見ただけでも、自分にとっては大事な成果だった。

急遽、画面越しにて撮影(画像読込みを忘れました)

時代の匠

 倶知安に向かう列車は、そのまま仁木、然別と進行していく。
 しかし、自分の中でその中に忘れられない駅があるのを思い出した。列車の車内放送が駅名を告げる。
『次は、銀山、銀山です。』
この銀山駅、NHKのC62ニセコの映像を何回も見返しているとある場面で登場するので覚えている人もいるだろう。
 現在は列車の走行位置。そして列車の前後間隔などをコンピュータや指令所の操作にて管理が出来るようになったので、ある程度の融通が効くようになった。しかし、国鉄時代は違う方式で行われている区間・方式があったのだ。
 それが『タブレット方式』である。
 この『タブレット方式』がNHKのC62形ニセコ密着の映像内で登場したのが銀山駅であり、その中で駅員が勇ましい指差喚呼と厳しい目付きでタブレット方式の機械に向き合い、列車の行き違いに向き合っていたのだった。
「信号、ヨシ!」「列車!ヨシ!」「安全、オーライ!」
駅員が通過を待ってタブレットを駅にセットする。
あの頃、自分はその姿に憧れていた。
 そして、銀山駅にD51形の貨物列車を対向に待たせてC62形ニセコ号が重連で勢いよく通過する。

国鉄時代の車両は、こうしてタブレットの受取が可能なように『キャツチャー』と呼ばれる部品が装着されている。

 この時、C62重連に乗務する機関士は身を乗り出す…手を出している状態で駅に用意されたタブレットの受取をする。
『バチィィン!!!』
と職人技が相まって綺麗に収まるタブレット。この姿は、中学時代に感じた鉄道マンへの最初の憧れだった。
 それは、現在の保存車を通じて感じている遥か昔の取り返しが効かない残り香のような国鉄時代への憧れと似ている、キラキラした憧れだった。
 自分はその銀山駅でのタブレットの受取を、プロ野球選手の4番打者が綺麗なホームランアーチを描く姿を見届けるように見入っていた。
「○○、オーライ!!」
シュッシュっ、と響き渡るC62形先頭の機関車の中で、綺麗な声が響く。
 これが自分の銀山駅の思い出…なのだが、
 そんな銀山駅。寝ぼけている中で通過してしまい、写真はこの運賃表の写真しか残っていない。
 余市から先の区間…というのは、確か廃止も目論まれている区間だったハズだ。そんなところでの大失態とは。
 中学時代の自分が知ったらきっと馬鹿にするか、揶揄うのだろう。
あ、タブレット方式に関してはネットで検索してください。
 そして現在でも、この銀山駅で憧れたタブレット方式については『昔ながらの郷愁と旅情を誘う手段』として一部の鉄道や路線で採用・継続されている。
 本当にあの中学時代に見たさり気ないワンシーンは、国鉄時代というあの1つの時期があったからこそ完成されていた究極の技でありあの駅員とあの機関士は素晴らしい一心同体の匠であった。

小樽を出て掛かったのは

 くっちゃ〜ん。くっちゃ〜ん。
 そう呼ぶ駅員の声が響いてきそう…だったあの時代は、もう何処へ行ったのだろう。倶知安駅に到着した。
 C62形のニセコでは小樽から1時間乗車しているとこの倶知安の町に到着したというが、正直に普通列車だけ。そしてまた待ち時間にジグザグの旅路と現代では中々のハード行程だった。
 この駅は、北海道は道南のシンボル、通称は『蝦夷富士』と呼ばれている羊蹄山の麓にある街だ。何度も繰り返しているが、自分が当時に見かけたC62形・ニセコのドキュメンタリー映像ではこの羊蹄山についての観光案内放送も流されており、さながら旅情のある雰囲気だったのだろう。

 倶知安の駅は、絶賛改造中だった。
 この駅は将来、現在は新函館北斗で止まっている北海道新幹線を札幌まで延伸する際に経由する駅となるらしい。
 その際には計画中の新駅として、新八雲・長万部・倶知安・新小樽…と続き札幌に到達する見込みのようだ。
 とそうして現在の倶知安駅は改造中だったので、その新幹線受け入れなどの改造工事をしているのか駅通路も長く改札までの経路が薄暗く非常に遠い道のりになっていた。
「コレは次に乗車する長万部方面、余裕を持たないと」
そう腹を括って、改札の外に出た。
 この倶知安で下車した理由には、単純に
『列車の経由地であるから』
という理由の他にもう1つある。それが、今から向かう場所にあるのだ。
 もう1つ、静かな憧れを探しに…
 羊蹄山の麓で、しばしの休息となった。

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