「明日できることは今日やらなくていい」パラドックス
「明日できることは今日やりたくないんだ。」
というパラドックスが頭の中にまた浮かんできた。
これは僕が好きなバンドの曲のほんの一節だ。
I won't do things I can do tomorrow
My Favorite Song / ELLEGARDEN (抜粋)
昨年、僕は就職活動で多くの会社説明会に参加した。
どの会社においても先輩社員達との座談会の時間というものがあるのだが、
そこでは必ず同じ就活生の誰かが、
「学生時代にやっておくべきことはなんですか?」と尋ねていた。
その質問に対して、先輩社員は、
「入社後の自分のために、専攻の研究や入社後に必要な資格の勉強に勤しんだり、朝早く起きる練習をしたりするといいと思う」など、決まって将来のことに備えた行動を取ることを勧めていた。
僕はその質疑応答自体がナンセンスだと思う。なぜなら、そこに今の楽しさというものは含まれていない気がしたからだ。
「明日できることは今日しなくてもいいんじゃないか?」
☆明日できること
・研究。入社後にもできるし、大学の研究室での経験値は歳を重ねる毎にその差は収束する。
・資格の勉強。自分の時間が少ないといわれる社会人でもできるはず。むしろ時間がない方が効率的に勉強ができる。学生は時間の焦りが無いから勉強に集中しづらい。
・朝の早起き。人間やらなければならない状況になればやる。
・お金を稼ぐこと。もちろん存分にできる。お金目的のバイトも必要ない。
☆明日できないこと
・楽しいながら作業。単調な実験操作をしながら、一日中永遠に本の要約動画を聴いた。まともな修論を書きたいという信念と、質の高い大量の情報をインプットしたいという知識欲の両方を同時に満たせて、すごく楽しい時間だった。
・発達障害(LD)の小学生の家庭教師をしたのもすごくよい経験だった。(略)
・半ミニマリスト化。モノを捨てたり売ったりするには判断リソースがフルに必要だから、社会人の疲れた脳では難しい。一朝一夕ではできない。メルカリをフル活用した(それによって経済も学べた)。部屋が合理的になっていくのが何よりも楽しかった。
胸を張っては言えないけれど、僕は今しか出来ないことがてきていたと信じている。
「明日できることは今日やらなくていい。」
その心は
「今しか出来ないことをしたいの裏返し。」
こうやって、明日(将来)できるかどうかを判断軸にするのもアリなのではないかと思う。
「今日できることは今日やろう」という考え方が一般的であり、実際多くの場合その方が正しいと思う。
だけど、清い過ぎては息苦しい。
だから僕は、
「明日できることは今日やらなくてもいい」
という考え方もアリなんじゃないか?と提唱したい。
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