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同志少女よ、敵を撃て 逢坂冬馬

少女たちがどういう結末を迎えるのか、先が気になって仕方がなくなくて、どんどん本の世界にのめり込んだ。クライマックスには心拍数が上がり、汗と涙がどっと溢れた。そしてそこからの展開にも鳥肌が止まらなかった。

主人公のセラフィマ、彼女の上官であり「仇」でもあるイリーナ、同僚のシャルロッタとママにアヤ、戦場で出会う同志のユリアンとマクシム隊長、看護兵ターニャ、尊敬する女性狙撃兵のリュミドラ、秘密警察のオリガ、スターリングラードの市民サンドラ、幼馴染で結婚を意識していたミハイル、そして母の仇ドイツ人狙撃兵ハンス・イェーガー。

きっとみんな、1940年代にソ連とドイツに生きていた「名もなき誰か」なのだろう。

この時代にいきた様々な境遇の人物たち。
女性狙撃兵として忌み嫌われることとなる少女たち、けれどそうならなければ戦火を生き抜くことはできなかった命たち。
少女たちを狙撃兵に仕立て上げ、恨みを一身に背負う女性上官。
殺し合う人々を助け、助けた命が殺し合う様を見続けた看護兵。
戦死した夫との子供を産むため、敵兵に抱かれ非難を浴びることとなっても「生きる」ことを選択した、その道しか残されていなかった妊婦。

語られることなく忘れられた数多くの命たちに思いを馳せながら、噛み締めるように読み進めた。

同志少女よ、敵を撃て 逢坂冬馬

主人公セラフィマが母と共に山間の村で狩猟をしながら生活しているシーンから始まり、ドイツ人狙撃兵に母を撃ち殺され、復讐心を胸に仲間の少女たちと共に狙撃兵となっていく過程、壮絶な戦争体験、母の仇討ち、そして終戦後の生活がエピローグとして語られている。
ほとんど、彼女の一生の物語である。

セラフィマにとって、少女たちにとっての「敵」とは一体誰なのか。
それはこの本を最後まで読まない限り、分からない。

戦争は人を悪魔へと変えてしまう

物語はセラフィマの所属する隊を中心に進んでいくが、所々でドイツ人狙撃兵ハンス・イェーガーから見た赤軍兵の様子が挿入される。ハンスはセラフィマの母親を狙撃した、彼女の仇である。

双方、相手のことを人だとは思っていない。倒すべき敵は人間ではない、極悪非道の悪魔であると言い、悪魔だから殺さなくてはならないと思っている。
セラフィマら狙撃兵が訓練所でドイツ人狙撃兵を「フリッツ」と呼ぶように強制されるのは、まさにこのためだったのだろう。
相手を人だと思わず、ただ的として見て心を沈めて撃つためだ。

セラフィマもイェーガーも自分を正常な人間であると思い、相手を悪魔だと言う。だから倒すべきなのだと信じている。
セラフィマら少女もイェーガーも敵を何人撃ったかを競い合い、その数を自信にして生きている様子は異様に感じるが、何よりも強い違和感を覚えるのは、相手は悪魔だが自分は悪魔にはならない、自分だけは違うのだと思い込んでいることだ。

兵士らは正常性バイアスを目一杯かけて認知を歪めて世界を見なければ、戦場という極限状態を生きていけなかったのだろう。
赤軍の英雄的女性狙撃兵・リュミドラの登場シーンでは狙撃兵たちが「未来」を考える場面があるが、客観的に見ている読者の胸にもその言葉は突き刺さる。

読み進めるのが辛くなるシーンもあったが、セラフィマの仇討ちがどのような形になるのか、彼女がどのような答えを出し、狩野状の同僚や上官がどのような運命をたどるのかが気になり、あっという間に読んでしまった。

少女たちの戦争の追体験

本のタイトルが何を意味するのかは、セラフィマの人生を共に歩んだ読者にしか分からない。セラフィマの人生を追体験しているからこそ、クライマックスでの彼女の行動に胸を打たれるのだ。

同志少女よ、敵を撃て。
彼女の背負ってきたもの、戦いながら必死で生きてきたことの意味を考えた時、涙が溢れて止まらなくなった。戦争がどんな顔をしていたのか、彼女たちがどんな扱いを受けていたのかがこの言葉に込められている。

「生きるために殺さなければならない」という通常では考えられない、この本の中のような世界がこの地球上に存在してしまっていることを考えると、胸が痛くなる。

セラフィマらは過去に確かに存在した「名もなき人々」である。
彼女たちのような「名もなき人々」をこれ以上増やしてはならない。

「想像しかできない世界」、戦争がそんな過去のものとなることを願わずにはいられない。


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