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Flow into time 〜時の燈台へ〜 第10話

【前回の物語】
 アキがめずらしく熱を出して寝込んでいると、一時帰国した恋人のマコトから電話があり、翌日アキの家へやってくる。小説は作品ではなく読み手に謎解きをさせる意図があると推理するマコトに、アキは悩んでいたことを打ち明ける。

第10話 : ロブスターと中古車

 探夏が学生寮の駐車場に朝と同じように車を止めて待っていると、七会はまだ濡れた髪を夏風になびかせながら小走りでやってきて、いつものように助手席に収まった。七会が通っていた高校の校内着であった「タブリエ」はフランス語でエプロンの意味で、フレンチレストランには名前に「タブリエ」が入っている店がそこそこある。七会と探夏の通う大学から、最寄りのJRの駅に向かってまっすぐ伸びる道の右側に、二階建ての立派なレストラン、「南仏キッチンタブリエ」はある。遠くからでも見える大きな看板にはワインのコルク抜きの絵が描かれていた。

「七会さんと食事するのは、天上セットを食べた焼肉屋さん以来だけど、どちらかというと、たくさん食べる方? それとも、少食な方? あの日は副塾のハイヒールにびっくりしちゃって、覚えてないんだ……」
 いつもとは違う方向に車を走らせながら、探夏が尋ねる。
「まったく、びっくりしましたよね……恥ずかしいんですけど、私は食いしん坊なんです」
 七会が下を向いて言う。気まずい時に下を向くのは、七会も探夏も同じだ。
「恥ずかしいことなんて何もないよ、たくさん食べるのは健康的でいいことなはずだよ……」
「はずだよ……って言うことは、何かそうじゃない経験があったってことですか?」
 七会は探夏と話す時、思ったことは遠慮せずに口にするようになっていた。
「うん……高校の時に付き合っていた彼女がね、とにかく少食で、何かを食べに行くと必ず、『私は軽いものでいいから』が口癖だったんだよ。そうなると焼肉屋さんやトンカツ屋さんに行くわけにもいかず、いつもカフェでサンドイッチみたいな感じになっちゃって、彼女とデートの日は僕はいつも欲求不満だった」
「探夏さんの昔の彼女さんの話、後でもっと聞かせてください。私は軽いものじゃなくて、しっかり食べたいタイプです。だから今日のディナーコースも大歓迎! こういうのは、品がないと思いますか?」
「まさか……食べることは人間にとって欠かせないことだから、たくさん食べて精一杯好きなことに取り組む七会さんみたいな女性が、僕は理想だよ」
 探夏も七会に対しては、思ったことを遠慮せずに口にするようになっていた。車は長い下り坂に差し掛かる。

「少し先の左側に、木造のおしゃれなレストランが見えるだろう? あそこはこの辺りで評判のシーフード・レストラン。今日行くのはもう少し先のフレンチだけど、七会さんシーフードは好き?」
「好きです。特にピンクや赤いのが好きです」
「ピンクや赤いの? どういうこと?」
「ピンクはサーモン、赤はカニやエビのことです」
「なるほど、七会さんの説明はユニークだね。さすがに『むらさきいろ』のシーフードはないもんね」
「それが、意外とあるんですよ。「ムラサキウニ」は外側は濃いむらさきいろですし、数は少ないながら、ロブスターには青やむらさきいろの個体があるんです。獲れても食用にはせずに、ペットとして販売されることが多いらしいですよ」
「これから、『むらさきいろ』については何でも七会さんに聞くことにするね。でもよかった、今日のメインディッシュは、肉じゃなくてシーフードなんだ」
「そうなんですね、とっても楽しみです」
 そんな話をしている間に車は「南仏キッチンタブリエ」に着き、二人は一緒に車を降り、予約していた席に通された。レストランの二階は大人数での会食やパーティーに使えるスペースらしく、二人の席は一階奥の大通りとは反対側に面した窓際で、窓の外には中古車センターが見えていた。

*     *     *

前菜は、「鴨のモモ肉のコンフィ」とあり、メインがシーフードの日は肉の前菜、メインが肉の日はシーフードの前菜をお出ししているんですよ、とのウェイターの説明だった。
「コース料理なんて、なんだかデートみたいですね」
 不意に七会が言う。
「みたい?」
 探夏はわざと不満そうに七会の顔を覗き込む。
「じゃあ、『みたい』は省きましょうか。いい直しますね」
「お願いします」
「コース料理なんて、素敵な初デートですね」
「うん、素敵な初デートだ」
 なぜか二人とも下を向かず、まっすぐお互いの目を見て微笑んだ。七会の髪はまだ濡れていて、せっけんの香りが少しする。
「窓の外の景色、どう思う?」
「中古車センターですか?」
「そう、中古車センター」
「タイトルを忘れちゃったんですけど、私の好きだった曲に、『中古車センターで、暇をつぶしてた』っていう歌詞が出てくるんですけど、その曲の世界観が好きで……中古車センターって、行くのは若い時に一人か、あるいはしばらく時間が経って、家族と一緒なことが多いと思うんです。だからこそ、いつか大切な人ができたら、一緒に行きたいなって思ってたんです」
「さすがに歌詞の一部だけじゃ、どの曲だったかは調べようがないけど、曲の歌詞に普通は出てきそうにない『中古車センター』が出てくるなんて、きっと異色のアーティストなんだろうね」
「アーティストの名前まで忘れてしまったのに、一つ覚えているのは、その人は『アーティスツ・アーティスト』って呼ばれるほど、同業のミュージシャンからの支持が厚かった人なんだそうです」
「音楽家に歌を聴かせる音楽家、か」

前菜の次はスープで、「季節のポタージュ」とあり、パンプキンの冷製ポタージュに、茹でたオクラのスライスがのっており、オレンジ色と緑色のコントラストが美しく、その上に回しかけてある生クリームの白が、全体を引き締めていた。スープが運ばれてきたタイミングが悪く、探夏は「じゃあ今度、一緒に中古車センターに行こうか」と言うタイミングを逃してしまった。「ピザバルーン」の店主なら、言い終わるまで待っていてくれたのだろうか。

「こちら、自家製パンになります。うちは、フレンチといってもカジュアルなレストランですから、ぜひメイン料理のソースにパンをつけて召し上がってくださいね。本場フランスでは、ソースにパンをつけていいレストランと、そうではないレストランの暗黙の区別があるんですが、うちは前者です」
 ウェイターがまだほのかに暖かいバゲットの入ったバスケットを置いていく。このままでも十分美味しそうだ。

「七会さんの初恋の話が聞きたいな。僕の初恋の話はさっきした通り、一言で表すなら、『私は軽いものでいいから』だよ」
「ずいぶん根に持ってるんですね、サンドイッチしか食べられなかったこと。今日こうしてコース料理を食べられたことで、どうかその彼女のことは許してあげてください」
「そうだね、じゃあ次は七会さんの番。どんな思い出がある?」
「それが、とんでもない思い出なんです。友達にけしかけられて、とんでもないことをしました」
「七会さんがとんでもないことをするのは見たかった気もする」
「実際、すごくたくさんの人に見られたんですよ、その瞬間」
「なおなお興味があるね。このパン、おかわり自由だって言ってたから、メイン料理が出てくるまでこれを食べながら聞かせてよ」
 七会は数年前のことを思い出すため、一度下を向いてから探夏の方を向き直し、ゆっくりと話し始めた。

「高校時代、家からタブリエを着て父の車で送ってもらうのは、大体週に二度くらいで、それ以外は電車通学だったんです。毎日電車で一緒になる男子校の人がいて、向こうがチラチラこちらを見てくるので、私もチラチラみるようになって」
「いいね、そういう話。まさに青春じゃない」
「うちの学校は女子校だったので、そのことはすぐにクラスメイトにばれてしまって。物好きな子たちが同じ電車に合流して、『どんな男子か見てやる』って」
「いかにも女子校だ」
「それで、最初はチラチラの相手を観察してるだけで済んだんですけど、そういうのってエスカレートしていくんですよ」
「どうなったの?」
「私も彼も、座れずに立っていることが多かったんですけど、電車が揺れるのに合わせて彼にぶつかれって言われて……」
「それをクラスメイトたちが見ていて笑うっていう構図?」
「そうなんです」
「うわっ、悪趣味……」
「ですよね、今思えば。でも、あの時の私はそうやって周りに盛り上げてもらうのが、本当は嬉しかったのかもしれないです」
「で、ぶつかったの?」
「はい。最初から彼の横に立っていて、その路線は大きく揺れる箇所が一箇所あったので、そこで彼の方に倒れてもたれかかったんです」
「すごい! 彼は何か言った?」
「大丈夫? って一言だけ……」
「でも、それって七会さん勇気あるね」
「今思うとそうですよね……でも、それは序章だったんです」
「なに、もっと過激なことしたの?」
「多分探夏さんが思う十倍くらい過激だと思う」
「ひょっとして、揺れる箇所でよろけてキスしたとか?」
「それはさすがに違うけど、考え方ではそれよりもっと過激かも」
「どうしても聞きたい!」

「本日のメインの、カナダ産ロブスターのテルミドールでございます」
 この店は、「ピザバルーン」の正反対で、話が盛り上がってオーバーヒートしないように、まるで刑事ドラマが一番ハラハラする時にコマーシャルが入るように、絶妙なタイミングで料理が運ばれてくる。やはり、「南仏キッチンタブリエ」も、テーブルクロスの下にマイクを仕込んでいるのではなかろうか、と探夏は思った。
 メイン料理は大ぶりのロブスターを半身にし、身を一旦取り出してホワイトソースと絡めたあと、殻に戻してチーズをかけてオーブンで焼き上げたものだ。「テルミドール」はフランス革命暦で「熱月」と訳され、年によって変わるものの、大体7月19日から8月18日頃にあたる。この日は7月26日だったので、ちょうどテルミドールだったというわけだ。
「これがロブスターのテルミドールなんだ……去年の秋に見た映画で、街の小さいレストランでお客の警官がウェイトレスに『ロブスターのテルミドールがオススメ?』って聞く名シーンがあるんだけど、それを今日食べられるとは思ってなかったよ!」
「その映画、何ていう映画か今度教えてくださいね。私の過激な話はデザートのお供にして、今はこれ、テルミドール、冷めないうちに食べましょう」
 二人は黙々と食べ始めた。

*     *     *

「3日目は長いね〜まだこれからデザートが出てきて、七会さんの過激な話を聞くんでしょう?」
 ユーリがここで息継ぎをした。随分と感情移入して朗読していたので、きっと疲れたのだろう。
「じゃあ、今夜はこの辺りまでにして、『天使の休息』といきますか!」
 合いの手を入れたのはリンだった。長く取り組んでいた子ども向け童話劇の脚本の執筆を終えたばかりだったリンは、パーティーがしたくてしかたがない様子だった。その日はまだ月曜の夜だったが、ロンドンから帰ってきたアキの恋人のマコトは、『道の曲がり角』調査会に参加して、最近アキとユーリが夢中になっている酒蔵の日本酒を飲みたいと言った。せっかくなので元小説家志望者の推理も聞こうということになって、月曜の夜、閉店後の「ドライブインひいらぎ」に全員集合したというわけだ。
「そうだね〜マコトさんの分析も聞きたいし」
 ナミはあくまで探求者だった。出版社のデータベースで調査を進めながらも、少し暗礁に乗り上げていた。ここまでのストーリーを「分脈化済み埋め込み表現」なるものに変換して、類似したストーリーがどこかの文学賞に出ていないかを調べていたのだが、引っかかるものはすべて、「山荘」「カスタムハウス」「タブリエ」など、一般的に出現頻度の低い単語が共通しているという理由で類似度が上がっているだけのことが分かった。どの単語を見て類似度が多少あると AI モデルが判断しているかは、「アテンション可視化」なる技術を使えばいいと、実はロンドンのマコトから教えてもらったのだった。それらを実現するためのプログラムコードは、リンが書いた。

「今日はこれでーす、日本酒なのに名前はなんと英語で『アルケミスト』。意味は錬金術師……きっと『道の曲がり角』の物語が何か素敵なものを生んでくれることを期待して。今日はこれがあるから、ココアフロートは今度ね」
 ユーリが白いラベルに金文字の輝く日本酒を運んできた。いつもの4人にマコトがいるので、また一升瓶はすぐに空いてしまうのだろう。
「マコト、せっかくだから何かコメントしてよ。この小説が、文学賞に出すためではなくて、読み手の謎解きを促すものである可能性が高いってところまでは、みんなに説明したよ」
 アキがマコトを促す。
「じゃあ、みんなが酔う前に少しだけ」
 満を持してマコトが口をひらく。
「待ってました!」
 なぜか興奮しているのはリンだ。自分と同じ、物書き志望生に会えたのが嬉しかったのだろう。
「小説を書く時に、一番架空で作り上げるのが難しいのは、実は地形なんだ」
「地形?」
 思わずナミが身を乗り出す。
「そう。ちょうど今ユーリさんが読んでくれた部分のレストランのメニューとか、そういう部分はいくらでも創作できる。でも、下り坂の左側に木造のシーフードレストランがあるとか、窓から中古車センターが見えているとか、そういう部分は、実はとても難しい。読者に謎解きをさせようとしているなら尚更、この小説に出てくる地形の情報に注目するのがいいと思う。三次元のものを完全に想像で作り上げるのは、実はかなり難しくて、プロの作家でも、実在の場所を頭に浮かべて書くことが多いと聞いたことがあるよ」
「地形、か……」
 ナミがすかさず手帳に書き留める。
「ただ同時に、もし『中古車センターが見えるフレンチレストラン』を見つけることができたとしても、レストランは夕食を食べにきたお客の名簿は持っていない。その先が繋がらない情報ってわけだ」
「なるほど……じゃあ、先に繋がる可能性の高い部分の情報をあたるのが得策っていうわけね」
「そういうことになるね」
「これまでの部分で、先に繋がる可能性の高い情報っていうと……」
 アキが考えを巡らす。

「まあ、関係する母集団の分散が小さいという意味では、まだ出てきてないけど、『福井の発掘現場』が一番だろうね。唯一地名が明示されている情報で、『ここから謎解きしてください』って言ってくれてるようなものだと思うよ」
 マコトは昨日のアキとの会話で思いついた推理を、こうして四人に話した。
「分かった。うちの会社でも考古学関連の本はたくさん出してるから、何らか情報はあるはず。私が、1995年夏に大規模発掘が行われた福井の発掘現場を特定して、発掘の参加者名簿を入手できないか、あたってみる」
 ナミの好奇心に火がついた感じだった。
「ではここで、今度こそ『天使の休息』ね!」
 いつも場を和ませるのはユーリで、「ドライブインひいらぎ」は普段は生ものは出さないが、今日はマコトのために刺し盛りを用意していた。「アルケミスト」は芳醇甘口が多いその酒蔵には珍しい中口酒で、刺身によく合った。

(第11話に続く)


【前後の物語】
第1話:カスタムハウス

https://note.com/sasakitory/n/n8eeff7be3fa7
 郵便局員アキが見つけたものとは?
第2話:副塾長のハイヒール
https://note.com/sasakitory/n/n989324f8cb34
 物語はいよいよ1995年に〜七会と探夏が出会う日
第3話:ユーリのスニーカー
https://note.com/sasakitory/n/n72c9ca85f90a 
 ユーリから告げられた秘密とは?
第4話:タブリエ
https://note.com/sasakitory/n/n63098b31494b
 七会と探夏の1995年の夏の第1日
第5話:『道の曲がり角』
https://note.com/sasakitory/n/nbaf518e0f7f1
 謎の小説にタイトルがついた!
第6話:ソロとハーモニー

https://note.com/sasakitory/n/nb0b8307742cc
 七会と探夏の根本的な違いとは?
第7話:Bleu de France
https://note.com/sasakitory/n/n7012d2f47e6f
 アキが二つの時間に生きる準備を整える 
第8話:むらさきいろの海
https://note.com/sasakitory/n/ncc09fee613e2
 七会が昔から抱えていた問題とは?
第9話:サイコロではなく愛
https://note.com/sasakitory/n/n1144b10ca691
 マコトがロンドンから帰ってきた!
第10話:ロブスターと中古車
https://note.com/sasakitory/n/nf4d51f94416a
 七会と探夏の初デートの行方は?
第11話:無伴奏独奏
https://note.com/sasakitory/n/n7341fd2ddcc3
 初デートの翌日は、探夏の部屋で過ごすことに〜
第12話:七会の願いごと
https://note.com/sasakitory/n/n254b7fe00a4f
 探夏の部屋で七会がした願いごととは?
第13話:猿のジントニック
https://note.com/sasakitory/n/n13f244d4740d
 七会と探夏が湯船の中で語り合う……
第14話:永遠の4日間+1
https://note.com/sasakitory/n/n30bcbb2e1c9b
 アキとユーリが湯船の中で語り合う……
第15話:点は、つなぐため
https://note.com/sasakitory/n/n3cbc4c4f4cc0
 七会が含まれる名簿が手に入った!
第16話:七会のすべて
https://note.com/sasakitory/n/n1cd5b133e858
 変奏曲を聴き、探夏は七会の全身を受け入れる
第17話【最終話】:未来の七会へ
https://note.com/sasakitory/n/na3cc00fcda74
 
七会の所在が分かり、アキは七会へ原稿を託す✨ 


サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️