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Flow into time 〜時の燈台へ〜 第11話

【前回の物語】
 七会と探夏は「南仏キッチンタブリエ」へ食事に行く。「初めてのデート」と確認し、互いの初恋の話で盛り上がる。窓の外には中古車センター。朗読の後、アキの恋人マコトはこの物語の謎を解く鍵は福井の発掘現場だろうと推理する。

第11話 : 無伴奏独奏

「南仏キッチンタブリエ」で、七会と探夏がメイン料理を食べ始めるところまで朗読して終了した月曜夜の調査会は、五人が日本酒「アルケミスト」の一升瓶を空けてしまうと同時に終了し、マコトは次の朝、関西の実家へと旅立っていった。アキはマコトがいなくなったアパートの部屋を、しばらく片付けずにいた。そして、自分の体の中で、これからの人生を変えることになる変化が起こるのかどうか、注意深く見守った。生まれてくるかもしれない子どものためにも、あまり深酒をするのもよくない、と思い始めたのはこの頃だった。

「今週は、月曜と金曜の二度集まれる貴重な週だね。前回の続きから、リンちゃんお願いしていい?」
 ユーリの全体指揮も板についてきた。今日の飲み物は、満を持してココアフロートだ。すごいサイズだったという「ピザバルーン」の記述に合わせて、店で使っているビールの大ジョッキにアイスココアを入れて、アイスクリームはなんと一リットルの箱を四人分で全部使ってしまった。
「了解。じゃあ次は多分、メイン料理の『ロブスターのテルミドール』は食べ終えて、デザートを待つ間に七会さんの『過激な話』を聞く場面だね。私、なんだかいい箇所の担当になったよ! アイスクリーム食べながらで失礼します。なんだかこれも、『ピザバルーン』の再現みたいで嬉しい」
 リンはアキとユーリと同じように、カラオケの舞台の段に腰掛けて、興奮して少し上ずった声で朗読を始めた。

*     *     *

 デザートは地元の果樹園から取り寄せた林檎を使った、タルトタタンだった。アイスクリームやシャーベットのように急いで食べる必要がないので、七会と探夏は先ほどの七会の「過激な話」に戻った。

「それで、僕の思う十倍くらい過激なことって、何をしたの?」
「それを言うと、探夏さんに嫌われそうです……」
「今さら言わないなんてルール違反だよ……過去のことだし、今はこうして二人でいられるんだから、話してよ」
「そうですね、では大学に入ってから初めてこのことを誰かに話します」
 七会は少し気合を入れて、探夏の方をまっすぐ見つめた。

「クラスメイトが、次は彼の膝の上に倒れ込めって言ったんです」
「膝の上に倒れ込むって、彼が座っている時に、その膝の上にってこと?」
「そう、だから、電車が空いている時じゃなきゃいけなかったんです」
「電車が空いていて、その彼が座っている時に、七会さんがその前に立っていて、大きく揺れるポイントで彼の膝の上に倒れ込む……」
「そう……必要条件が揃うまでに二週間ほどかかりました!」
「七会さんのクラスメイトも、随分忍耐強いね。それで、条件が揃った日に、どうしたの?」
「もうどうにでもなれっていう気持ちで、予定通り倒れ込みました」
「倒れ込むって、どんな感じで」
「やっぱり、そこが知りたいですよね。私も分からなかったんです。めまいでもしたようなフリをして彼の膝の上に手をつけばいいのか何なのか……でも気がつくと、彼の膝の上に座っていました」
「……それはすごい、確かに、よろけてキスするより過激かもしれない!」
「両方の学校の生徒だけじゃなくて、通勤の人たちもみんな見てる中、私は彼の膝の上に斜めに座って、五秒ほど彼の顔を見つめたんです。彼も私の顔を見つめていた……」
「七会さんのクラスメイトは何て?」
「私があまりに思い切りやったせいか、前みたいに喜ぶんじゃなくて、『あの子、本当にやりよった』って、逆に恐れられるようになりました。実は、ちょっとだけいじめられかけたこともあったんですけど、あの時以来なくなりました」
「そういえば、バイトで塾に英会話スクールのポスターを貼りにきて、副塾に『うちの塾で働かない?』って言われた時も、その場で『はい、来ます!』って言ったんだってね」
「私は、幸運の女神の前髪をちゃんとつかむ人なんです。あの時、『考えておきます』って言ってたら、翌日塾に履歴書を持っていって塾長に会うこともなく、あの日の食事会にも行ってなくて、今ここで探夏さんとタルトタタンを食べていることもない」
「七会さんは、いろいろなものやことを、ちゃんと繋ぐ人だ。言うならば、『ザ・コネクター』」
「そうありたいです」
 この人の軸がこんなにしっかりしているのは、ひょっとして昔、「むらさきいろの海」の件の後に精神的ショックで歩けなくなり、それを克服して、自分の弱い部分をちゃんと分かっているからではなかろうかと探夏は思った。人間は多分、弱さを認めて隠さなくなった時、一番強くなれる。

「あと二日になったね」
「そうですね、木曜日と金曜日が過ぎたら、私は土曜日の朝の新幹線で福井へ行きます。日曜日に現地で一ヶ月間滞在する民宿の周辺を歩いて、買い物ができる場所を探します。民宿は、素泊まりで取ったんですよ。食事付きにすると値段も倍くらいになっちゃうので。民宿には共用キッチンがあるので、自炊するんです」
「そうなんだ。確かに、一ヶ月となると食費もばかにならないよね。金曜日は荷物の準備があるだろうけど……明日の夜は忙しいの?」
「……残り一日になったことを受け止めるのに忙しいと思います」
「ソロとハーモニーは共存できるのかな?」
 少し不安になった探夏が聞く。
「共存? ソロはハーモニーの上に成り立つし、ハーモニーはソロがあるからこそ本領発揮できるって感じてます」
「そうだね。無伴奏独奏じゃないわけだからね……」
「無伴奏独奏?」
「そう、主にクラシックにある形式で、単音に近い楽器が、伴奏なしで最初から最後まで演奏する形態。ピアノ独奏は一人で伴奏的な部分と旋律を両方演奏できるから、通常含めない。僕は管楽器をメインに聴くから、無伴奏独奏といえば、フルートやトラヴェルソが好きだ」
「でも、無伴奏独奏でも、『和音』ではなく『和声』の観点で楽譜の横方向に見れば、ハーモニーが見えてくる。完全に無調性の音楽でない限り」
「七会さん……音楽のこと詳しいんだね?」
「フランス系の学校だと、音楽教育は厳しいんです」
 七会の受けていた音楽教育は、一般的な高校の選択授業の範囲を超えていた。探夏が追加で説明した。
「実際には、無調性の音楽も、『トナリティ=調性感』から逃げている、と天の邪鬼に解釈すれば、ハーモニーに含まれない音に縛られているとも考えられる」
「そう考えると、ソロとハーモニーは必ずある意味での共存関係にある、というわけですね」
「その通り。『型破りな発想をするためには、型をきちんと知る必要がある』というのと同じだね」
「テンションを演奏するためには、ダイアトニックノートを知っていなければいけない」
「……どこでそんなこと勉強したの?」
「だって、探夏さんと対等にジャズの話がしたくて……」
「じゃあ、明日は終わったら、うちへおいでよ。夕食は僕が何か作るよ。ジャズを聴きながら、食べて話そう」
「そう言ってくれて、嬉しい。実は、正直言うと、そう言ってもらうことを期待していました」
「……でも、僕にそう言わせてくれたのは七会さんだ。今日はシーフードだったから、明日は何か肉料理を作るよ。何か希望ある?」
「じゃあ……すき焼きが食べたいです。多分民宿で一人では食べられないし、私食いしん坊なので!」
「了解、じゃあスーパーのパックのじゃなくて、ちゃんと量り売りのすき焼き肉を買っておくね。昨日ちょうど給料日だったから、奮発するよ。僕は少し飲みたいけど、七会さんにはソフトドリンクを買っておく」
「……ほんの少しだけジンを入れた、ジントニックが飲みたいです。気分だけでも」
「そう? じゃあ準備しておく」

 二人は七会の学生寮への帰り道、初めて車の中で何も話さずに過ごした。「初めてのデート」だとお互い確認したこと、七会がこっそり探夏の趣味のジャズの理論を勉強していたこと、明日は探夏の部屋で二人で過ごせること、それら全てを受け止めるだけで精一杯だったのかもしれない。

*     *     *

「この中で、音楽理論詳しい人?」
 3日目の朗読を終えたリンが尋ねる。
「私、昔ずっとピアノを習ってたけど、ここで言う理論と、クラシックの人が習う『楽典』は少し目的が違うみたいだね。言うならば、母国語の文法を習うのがクラシックの理論で、外国語の文法を習うのがジャズの理論っていう感じ。統計学の用語に置き換えるなら、クラシック理論は descriptive、ジャズ理論は inferential っていうこと」
 アキが説明したが、聞く側の顔は冴えない。
「私が訳すよ。言い換えれば、クラシックの理論は楽譜を正確に読んで解釈するためのもの、ジャズの理論は即興演奏を作り出していくためのもの」
 リンが助け舟を出した。アキは統計学を日本の大学で学んでおらず、ロンドンで初めて触れたので、そもそも日本語の専門用語を知らない。
「なるほど、ジャズでは理論を骨組みに即興演奏を組み立てていく、つまり言葉を紡いでいくから、『外国語の文法』っていうわけね? 最初からとりあえず話せる前提の母国語を、文法で説明しようとするクラシック的なアプローチとは異なるわけだ」
 ユーリが全体を分かりやすくまとめる。さすがリーダーだ。
 推理担当のナミが続ける。
「でも、探夏さんも大学ではジャズのサークルに入っているわけではないよね、多分。そんな話全く出てきていないし。ということは、七会さんと同じく、音楽教育が厳しい高校だったんじゃない? 探夏さんは中高が私立校というところまで分かっているから、特徴的な音楽教育をしている学校を探せば、そこそこ絞れるんじゃない?」
「ナミ、新聞記事に音楽教育が取り上げられたような高校をあたれば、何か分かるかも。まあ、名簿は手に入らないから、マコトさんの言う『先に繋がる可能性の高い情報』ではないけどね……」

「それにしても、七会さんの初恋の話、すごかったね。電車の中で初恋の人の膝の上に座り込むって、どんな感じだったんだろう……」
 物語を愛するリンが独り言のように言う。
「こんな感じだよ!!」
 ナミがふざけてリンの膝の上に座る。リンの頬が少し赤くなる。
「私は、そんな七会さんの勇気と思い切りが、探夏さんとの間を繋いでいったんだと思う。彼女は本当に、『ザ・コネクター』だよ。車で毎日送っていくよっていきなり言われても、断る人の方が多いだろうし、『素敵な初デートですね』って正面切って言ったのは七会さんだし。七会さんの勇気と行動なくしては、この二人は決して結ばれなかった。私、探夏さんというより七会さんに惚れるなあ……」
 アキが感慨深げに言う。
「私、好きな人と一緒に中古車センターで車を見て歩くっていう世界観がとても好き。今なら多分、『中古車センターで、暇をつぶしてた』って歌詞から、きっと元の曲分かるよね。今調べるよ…………ほらあった!」
 ナミがリンの膝の上に座ったままで検索した曲の YouTube を再生する。

 2024年には、思いついてから数分後には YouTube 動画でその曲を聴くことができる。多くの学生がワープロ専用機で卒業論文を書き、ネットで情報検索するという概念そのものがなかった1995年夏の二人が聞いたらどう思うだろうか。

(第12話に続く)


【前後の物語】
第1話:カスタムハウス

https://note.com/sasakitory/n/n8eeff7be3fa7
 郵便局員アキが見つけたものとは?
第2話:副塾長のハイヒール
https://note.com/sasakitory/n/n989324f8cb34
 物語はいよいよ1995年に〜七会と探夏が出会う日
第3話:ユーリのスニーカー
https://note.com/sasakitory/n/n72c9ca85f90a 
 ユーリから告げられた秘密とは?
第4話:タブリエ
https://note.com/sasakitory/n/n63098b31494b
 七会と探夏の1995年の夏の第1日
第5話:『道の曲がり角』
https://note.com/sasakitory/n/nbaf518e0f7f1
 謎の小説にタイトルがついた!
第6話:ソロとハーモニー

https://note.com/sasakitory/n/nb0b8307742cc
 七会と探夏の根本的な違いとは?
第7話:Bleu de France
https://note.com/sasakitory/n/n7012d2f47e6f
 アキが二つの時間に生きる準備を整える 
第8話:むらさきいろの海
https://note.com/sasakitory/n/ncc09fee613e2
 七会が昔から抱えていた問題とは?
第9話:サイコロではなく愛
https://note.com/sasakitory/n/n1144b10ca691
 マコトがロンドンから帰ってきた!
第10話:ロブスターと中古車
https://note.com/sasakitory/n/nf4d51f94416a
 七会と探夏の初デートの行方は?
第11話:無伴奏独奏
https://note.com/sasakitory/n/n7341fd2ddcc3
 初デートの翌日は、探夏の部屋で過ごすことに〜
第12話:七会の願いごと
https://note.com/sasakitory/n/n254b7fe00a4f
 探夏の部屋で七会がした願いごととは?
第13話:猿のジントニック
https://note.com/sasakitory/n/n13f244d4740d
 七会と探夏が湯船の中で語り合う……
第14話:永遠の4日間+1
https://note.com/sasakitory/n/n30bcbb2e1c9b
 アキとユーリが湯船の中で語り合う……
第15話:点は、つなぐため
https://note.com/sasakitory/n/n3cbc4c4f4cc0
 七会が含まれる名簿が手に入った!
第16話:七会のすべて
https://note.com/sasakitory/n/n1cd5b133e858
 変奏曲を聴き、探夏は七会の全身を受け入れる
第17話【最終話】:未来の七会へ
https://note.com/sasakitory/n/na3cc00fcda74
 
七会の所在が分かり、アキは七会へ原稿を託す✨ 


サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️