見出し画像

Flow into time 〜時の燈台へ〜 第4話

【前回の物語】
 小説を読み始めたアキは、定食屋「ひいらぎ」店主のユーリにその印象的なシーンについて話してしまう。激しく反応するユーリ。実は局長から同じシーンについて聞いたことがあったのだ。アキは、この小説の最初の読者ではなかった。

第4話 : タブリエ

 探夏は大学四年生だ。名前は探夏と書いて、「タカ」と読む。名前に「夏」の字がある通りの初夏生まれで、たまに女性と勘違いされる。大学での専攻は当初心理学だったが、学習塾で教えているうちに教職に魅力を感じるようになり、大学3年に上がる年に教育学に専攻を変えた。難しいことをどれだけ簡単な言葉で説明するかに情熱を注ぐタイプだった。
「新しい子が入ったから、よろしく見てあげてね。少し頼りなさそうにも見えるけど、芯の強い子だと思う。この街へも四月に来たばかりだから、いろいろ教えてあげて。考古学が専攻で、発掘現場が好きなんだって」
 副塾にはそう聞かされていた。

「あの、この間食事会でお会いした七会です。タカさん、で合ってますか?」
「よく覚えてるね。そう、探夏。今日から同僚だね。よろしくお願いします」
 探夏は塾の決まりごとや慣れるまでの授業の進め方について、七会に分かりやすく説明した。
「教えると思うと難しくなっちゃうから、自分が勉強する過程を声に出して話すと思えばいいよ。七会さんのクラスの生徒はみんな公立中学校の生徒だから、まずはこの教科書準拠のワークブックの問題を一緒に解いて、一緒に答え合わせをする。『この問題は〇〇の部分が分かりづらいよね』と自分が思った通りに一緒に話していれば、あとは生徒が質問するはずだよ。質問しやすい雰囲気を作るのも、塾では大切な要素だからね」

 七会が生まれて初めて「授業」なるものをしたのはその直後で、教材は国語のワークブックに載っていた、緒方洪庵率いる「適塾」についての文章だった。塾生が一冊しかないオランダ語の辞書を取り合うように勉強したこと、適塾は大阪大学の前身となり、後に慶應義塾を開いた福沢諭吉も生徒の一人だったこと……「夏は、暑かったらしい」という一文を読んだ時、生徒が、「エアコンはなかったんですか?」と質問したのが印象的だった。

七会は、八月一ヶ月間、福井での発掘に同行させてもらう教授が、七月最終週の来週、近くの小規模遺跡の発掘責任者を務めるというので、助手として行くことになっていた。発掘作業は暗くなる前に終わるので、塾の仕事には間に合う。副塾が特別に認めて、一ヶ月間福井へ行く費用はお給料の前借りを許してもらった。

「七会さん、大学はもう休みに入ったけど、来週はどうしてるの?予定、詰まってる?」
 探夏は教材を片付けながら尋ねた。
「近くの遺跡での発掘作業に、助手として参加するんです。来月の福井の予行演習ってところです」
「そうだった。夏に福井に行く費用を稼ぎたいっていうのが、うちに来たきっかけだったんだよね。場所はどの辺り?」
「学生寮から自転車で一時間くらいって聞いてるんですけど……うちに帰ったら地図を見てみます」
「でも、炎天下を一時間も自転車を漕いだら、発掘する体力は無くなっちゃうんじゃないかな。発掘中も炎天下、ずっとしゃがんでいるんだろう?」
「でも、知り合いに車を持ってる人がいないから、自転車で行くしかないんです。福井の時は、さすがに発掘現場へ徒歩で行ける民宿に泊まるつもりですけど」

 思えば、次の瞬間の探夏の思いつきが、多くの人の人生を変えることになった。

「……じゃあ、僕が送っていくよ。明日からの一週間は特に予定がなくて、卒論のデータをまとめるだけなんだ。だらだら遅くまで寝ているのもよくないから、朝発掘現場まで送って行って、夕方終わる時にまた迎えに行く。自転車で一時間なら、車なら20分もあれば着くだろうから」
「でも、明日から金曜日まで5日間連続ですよ。お忙しい中、いいんですか?」
「多分、七会さんの送り迎えをした方が、生活リズムが整って卒論も上手くいくような気がする。それに来週は、僕は塾の授業がないんだ」
「じゃあ、お願いします!何かお礼を考えておきますね」
 七会はそう話すと、「学生寮の共同浴場が11時で閉まってしまうので」と急いで自転車で帰って行った。

*     *     *

第1日:土へ行く

翌朝、探夏は8時過ぎに自宅を出て、七会が入居している学生寮の駐車場へ向かった。彼はどちらかというと大学と自宅の往復だけで満足しているタイプだったので、遺跡の発掘現場があるようなエリアには足を踏み入れたことがなかった。そもそも、車が通行できる場所なのだろうか?
「七会さん、僕が道を知ってるのはこの先の交差点までだよ。そこから先は道を教えてね。交差点は直進?」
「えっと、右折で、そのあとはしばらく道なりです」
 大通りから右折すると道はいきなり細くなり、市街地から農村部へと入って行った。しばらく道なりということで道路地図を膝の上に戻した七会が、独り言を言うように話し始めた。

「高校生の頃……っていっても四ヶ月前までそうだったんですけど、父が時々、こうして車で学校まで送って行ってくれました。学校の規則では送り迎えは禁止だったんですけど、『七会を送っていく』って父が言い張って」
「七会さんのこと溺愛だったんだね」
「母が厳しい人だったので、母に隠れて私を甘やかす感じでした。車のマフラーが壊れていてすごい音がしたので、いつも学校から少し離れたところで降ろしてもらってました」
「その状態じゃ車検通らないから、今度帰省したら、お父さんの車静かになっちゃってるね。そのすごい音も高校時代の思い出だったんだよね、きっと」
「……探夏さん、タブリエって知ってますか?」
「タブリエ? 大学から駅の方へ行ったところに、「南仏キッチンタブリエ」っていうレストランがあるけど、僕が知ってるのはそこくらいかなあ……」
「たしかにレストランの名前になってること、多いですよね。その元というか、タブリエってフランス語でエプロンのことなんですよ」
「だから南仏キッチンになるんだ、やっと繋がったよ。それで、そのタブリエとお父さんと、何か関係があるの?」
「私が通っていた高校はミッションスクールで、フランス系の修道会が設立母体となっていたので、校内では制服の上に汚れ防止の意味でタブリエを着るんです。幼稚園児が着るスモッグに少し似てるかもしれません」
「僕も中高は私立校だったけど、無宗教の学校だったから、そういう話を聞くと歴史の重みを感じるね。それで、お父さんとはどういう関係?」
「父の車は冷暖房がついていなくて、だから冬はとっても寒いんです。どんなに寒くても他の生徒は学校に入ってからしかタブリエは着ないんですけど、父に送って行ってもらう時には、こっそり家から着て行きました。車に乗っていれば、誰にも見えないから。だから、父の車はタブリエと結びついているんです」
「服飾関係の雑誌に載せるエッセイになりそうないい話だね。お父さん、会ってみたいな。きっと七会さんのことが大好きなんだと思う。せっかくその話をしてくれたことだし、今週どこかで『南仏キッチンタブリエ』へ食事に行こうよ。発掘は夕方5時までだろう?7時くらいに予約すれば、寮のお風呂に入ってさっぱりしてから行けるし。日程、考えといてよ」
「分かりました。発掘のメンバーで何かしらあるかもなので、今日確認しておきますね」

 ちょうどそこで「道なり」が終了し、彼女は道路地図をくるくる回しながら細い道を案内した。細い県道から信号のない脇道に入り、ギリギリ車一台が通れるような道をしばらく行くと、県が管理している墓地に出た。遺跡調査が終わったエリアから、墓地として造成しているようだ。遺跡に文化財として保存するほどの価値がない場合は、こうして次の世代の墓地になることも多いのだろうか。県営墓地が点々と造成されつつある中に、彼女が今日から一週間作業助手を務める、小さな発掘現場があった。学生寮からは45分ほどかかっており、急な坂道も多く、自転車で来られる距離ではなかった。
 七会を降ろして自宅に戻った探夏は、早速夕方彼女を迎えに行く時の作戦を練った。炎天下、日差しを遮るものは麦わら帽子だけの状態で丸一日屋外にいるというのはどんな感じなのだろう。過酷な作業を終えて戻って来た時、車の中にあると嬉しいものはなんだろう……

第1日:街へ帰る

 発掘現場から乗り合わせて来たと思えるミニバンが駐車場に現れ、七会とその他数人の学生たちが降りて来た。七会はすぐに探夏の車を見つけた。
「おつかれさま、今日も暑かったね」
「本当に。でもこの白いワンピースのおかげで、周りの人より涼しかったはずです」
「そう、発掘作業っていうと作業服のイメージがあるけど、七会さんワンピースなんだね」
「炎天下では、とにかく反射率の高い真っ白いものを着て、少しでも体温上昇を抑えるんです。中東へ行くと男性も真っ白い服を着ているでしょう?」
「なるほど。下がジーンズじゃないのにも意味がありそうだね」
「しゃがんだ時に楽なのと、スカートの形の方が通気性もいいので、私はワンピース派ですね。裾が土についちゃうので、発掘用ワンピースだと割り切ってます」
「そうそう、これどうぞ。冷たいおしぼりと麦茶。ペットボトルごと持って帰ってくれていいから」
「ありがとうございます、迎えに来てもらっただけじゃなくて、いろいろして頂いて」
「ひょっとして麦茶は、現場で支給されてたかな?」
「はい、大きなやかんが置いてあります。でも午後にはぬるくなっているので、冷たいのは嬉しいです」
「じゃあ、明日は何か別の飲み物を買ってくるね。ところで、予定は分かった?」

 そこまで話したところで細い道を抜け、あとは大通りまで「道なり」となった。七会はおしぼりのタオルをおでこに乗せて、まるで熱を出した子どものように見えた。
「流石に発掘作業で疲れてしまうのか、飲み会はなさそうです。お食事ご一緒するの、明日か明後日なら大丈夫です。木曜日と金曜日は、私は塾の授業です。来週から福井なので、お給料全部前借りにならないように、少しだけでも働いておきたいんです」
「確かに。木曜日と金曜日は英語だね。七会さんの英語、聞いてみたい気もするけど」
「探夏さんに聞かれるのは恥ずかしいですね。探夏さん、英語の先生になるんですよね」
「そのつもり。いつかは英語を使って世界を飛び回る方もやってみたいけど、まずは教えることを仕事にしてみるよ。とにかく楽しいんだ」
「そのワクワク感が、授業内容を超えて生徒に伝わってるんだと思います。それが探夏先生の魅力ですね、きっと」
「そんな風に言ってもらえると嬉しいな。じゃあ、明日と明後日、両方七会さんを予約していい?食事は明後日の水曜日にして、明日は少し独特なお店に連れて行きたいんだ。食事じゃなくてお茶だけなんだけど、いいかな?」
「楽しみです。じゃあ明日は作業後その足で行って、明後日はお風呂に入ってから改めて待ち合わせることにしましょうか。でも、明日のお店、汚れたワンピースで行っても大丈夫なところですか?」
「むしろその方が似合うかもしれない。冷房もないお店だからね」
「そのお店の何が探夏さんを惹きつけているのか、今から楽しみです」

七会の予約を二日分取り終えたところで、ちょうど学生寮に入る交差点前だった。大学が夏休みに入ったからか、大きな荷物を抱えた学生が一台の車に乗り合わせて帰ってくる。
「じゃあまた明日の朝、8時に」
 と言って七会は車を降りた。寮の方へ向かって歩いていくと、一度だけ振り向いて手を振った。今日は五日間あるうちの、まだ初日だ。

(第5話に続く)


【前後の物語】
第1話:カスタムハウス

https://note.com/sasakitory/n/n8eeff7be3fa7
 郵便局員アキが見つけたものとは?
第2話:副塾長のハイヒール
https://note.com/sasakitory/n/n989324f8cb34
 物語はいよいよ1995年に〜七会と探夏が出会う日
第3話:ユーリのスニーカー
https://note.com/sasakitory/n/n72c9ca85f90a 
 ユーリから告げられた秘密とは?
第4話:いまここです!
第5話:『道の曲がり角』
https://note.com/sasakitory/n/nbaf518e0f7f1
 謎の小説にタイトルがついた!
第6話:ソロとハーモニー

https://note.com/sasakitory/n/nb0b8307742cc
 七会と探夏の根本的な違いとは?
第7話:Bleu de France
https://note.com/sasakitory/n/n7012d2f47e6f
 アキが二つの時間に生きる準備を整える 
第8話:むらさきいろの海
https://note.com/sasakitory/n/ncc09fee613e2
 七会が昔から抱えていた問題とは?
第9話:サイコロではなく愛
https://note.com/sasakitory/n/n1144b10ca691
 マコトがロンドンから帰ってきた!
第10話:ロブスターと中古車
https://note.com/sasakitory/n/nf4d51f94416a
 七会と探夏の初デートの行方は?
第11話:7月5日(金)公開予定〜お楽しみに!


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️