見出し画像

Flow into time 〜時の燈台へ〜 第1話

【物語全体のあらすじ】
 里山の郵便局に勤めるアキはある日、局内で長年保管されてきた差出人不明の郵便物を見つける。中身は未発表小説。原稿を読む初めての人物となったアキ。そこに綴られていたのは四半世紀以上前の七会(ナカ)と探夏(タカ)の恋物語。二人の足取りはアキの毎日と重なり、過去から未来へ流れるはずの時間はその姿を変えていく。Flow into time 〜 時間の中に意識が流れ出し、複雑に交わり始める毎日の中、現在に生きるアキと過去に生きた七会の魂の交流が始まる。

第1話 : カスタムハウス

 アキは郵便局員だ。勤務局は山荘郵便局と書いて、「やまそう」と読む。名前は山荘だが山の上にあるわけではなく、山と平地の間のいわゆる里山エリアにポツンと建つ小さな郵便局だ。窓口局員は3人で、入口脇に土曜日も動いているゆうちょ銀行の ATM がある。田舎ではあるものの周辺で唯一の金融機関であり、地方自治体の証明書交付事務も請け負っているので、利用者はそこそこいる。

「どうして郵便局に、それもこんな田舎の局を希望したの?」

 という質問にはいい加減慣れてしまった。アキは都内の私大を学部首席に近い成績で卒業した後、イギリスに留学して MBA を取った。修了後は現地で金融系コンサルに就職し、誰が見ても順風満帆の人生だった。しかし一年もしないうちに彼女は帰国し、山荘郵便局に収まったというわけだ。町民たちはいろいろな噂をした。イギリス人の彼氏に振られて傷心中であるという笑い飛ばせる性質のものから、勤めていたコンサル会社で億単位の損失を出したという不名誉な噂もあった。
 アキがロンドンで大学院生をしていた頃、同じくロンドン市内の別の大学院で数学を専攻する日本人男性のマコトと知り合った。彼は喜んでアキの課題の数学に関係する部分を手伝い、彼女はお礼に彼をよくセント・パンクラス駅のイタリアンレストランに連れて行った。そこでラザニアを食べ、レモネードを飲むのが二人の何よりの楽しみだった。アキはピアノが得意だったので、駅のストリート・ピアノで彼のリクエスト曲を弾いたりもした。

 そんなアキの生活はコンサル就職後一年を待たずに終わった。実際の理由を話しても誰も信じなかっただろう。マコトとはうまくいっていたが、文字が読めなくなったのだ。視覚に異常はなく、彼とスマホでメッセージをやり取りできていたし、趣味で学んでいたインテリアの本も読めた。しかしオフィスで業務を始めようとすると、画面上の単語は途端に無意味な文字列と化した。夢の中で誰かの電話番号を写し取ろうとする時のように、読もうとすればするほど単語は彼女の目に捉えられまいと姿を変えた。精神科医の使った言葉では、彼女の症状は selective(選択的)に現れるので、まずは症状が出る対象から離れて解決法を考えるのが取るべき順序だろうとのことだった。

 アキは郵便局の仕事が好きだった。理由はいくつもあったが、一番気に入ったのは頭だけでなく手を動かす仕事がそこそこあるからだった。日に数度、書留郵便を受け付ける時には受付番号のシールを貼り、スタンプを押した。マウスクリックの囁くような音ではなく、「ガチャン」という音が小気味良かった。月に数度は記念切手のポスターを局内に掲示し、年に数度は季節の柄を印刷したハガキを販売するスタンドを組み立てた。情報漏洩を防ぐために一切の紙媒体が禁止され、画面だけを見つめていたロンドン時代には読めなかった業務関係の書類を、今は画面でも紙でも普通に読めるまでに回復していた。手を通しての触覚で実世界とやりとりしている感覚が好きだった。アキはロンドンより山荘で、より生きている実感を得た。

「アキちゃん、お昼食べたら、一緒に来てくれないかな? カスタムハウスに行くんだけど」

 五十を過ぎたばかりの局長は、近くにあるホームセンター、カスタムハウスが好きだ。局内の備品はカタログで業者に注文するのではなく、許される限り自分で選んで買ってくる。その日は、昔雨漏りしていた箇所の下に置いてあり、蝶番が錆びて金切り声を上げるようになったキャビネットを新調したいとのことだった。

「局長、カスタムハウスの前にお昼休みを兼ねて、『ひいらぎ』へ行きませんか? 私、久しく行ってないんですよ」

 局から車で5分ほど走ったところに、「ドライブインひいらぎ」はある。大型トラックも止められる駐車場のある食堂で、客の大半はルートドライバーや土木業者など、肉体労働の男性客だ。「ご飯大盛り」が無料な店は多いが、「ひいらぎ」では地元産のコシヒカリを、「大盛り」「山盛り」「てんこもり」すべて同料金で出している。アキはご飯こそ普通盛りしか頼まないが、「ひいらぎ」のおかずの素朴な味が好きだった。

 局長も変わった経歴の持ち主で、山荘郵便局のある隣町の出身だった。神職の家の次男として生まれたものの、小さな神社を継ぐのは長男だけで十分ということで、皇學館や國學院ではなく地元の国立大学へ進学して数学を専攻した。大学卒業後は県内の中学校の教師となり、隣町である山荘の名家の婿養子となって、この町へやってきた。アキは一度自宅を尋ねたことがあるが、玄関横には靴を脱がずに客人を通す昔ながらの土間の応接間があり、密かに気に入っていた。局長が30代はじめに教師を辞めた本当の理由を知るものは町内にはいなかったが、志半ばで最初の職を離れたことには違いない。五十過ぎの彼がアキを実の娘のように可愛がっているのは、「昔の自分の姿を見ているからだ」と町民の多くが理解していた。

「ひいらぎ」は県と大手リゾート会社が共同運営するトレッキングロード沿いにあるので、週末になれば大きなバックパックを背負った若者が続々とやってくる。その日も、11時の開店直後にアキと局長が二人で暖簾をくぐると、すでに3人組の学生が座敷に寝転がっていた。

「あらアキちゃん久しぶり、いつものご飯少なめカツ丼? ハイキングの人たちがうるさくてごめんね〜」

 二代目店主のユーリはアキの好みを覚えている。アキは一人っ子だったこともあり、勤務先からも近く、気軽にお昼を食べに来られる「ひいらぎ」は第二の家のような存在で、よろしくユーリを姉のように慕っていた。長女であるアキが現実に決して望めないもの、それは姉の存在だった。ロンドンから山荘にやってきて、アキは欲しかったものを全部一度に手に入れた気持ちになった。「あんな高給の仕事を辞めるなんて」と周囲は言ったが、アキにしてみればそれはロンドンの法外な家賃と、二日に一度は食べていた一杯3,000円以上するラーメンに消えていくだけのお金だった。山荘ではしあわせをお金で買う必要がなかった。

 隣のテーブルからは、入れ替わり立ち替わり着替えを持った若者たちがトイレへ入っていく。トイレには脱いだ衣類が置けるように小さな棚が作り込んであって、今ではトレッキングサイトでも、「着替えがしやすい昼食場所」として紹介されているほどだ。
 ユーリの夫オサムもハイカーだった。「ひいらぎ」がまだ建て替えられる前、ちょうど今座敷で寝転んでいる学生と同じように歩いてやってきて、当時大学一年生だったユーリを見初めたのだった。オサムは日本のみならず海外も歩いて旅するような人で、田舎のドライブインの娘として生まれた彼女を旅先の話題で魅了した。彼が当時勤めていたリゾート会社を通して自治体に働きかけたことで、「ひいらぎ」の前を通る道は県公認のトレッキングロードとなり、その後退職、ユーリと結婚して二人で「ひいらぎ」を継いだ。しかし厨房に引っ込んでからもやはりビジネスマンで、地元農家が作るコシヒカリを買い上げ、「てんこ盛りまで同料金」を打ち出して店を盛り上げた。座敷にはカラオケ装置も置き、町の長老たちの寄り合いにも使ってもらえるようにした。SNS を通した若者への訴求と、地元に根付くことをうまく両立していた。
 
 カスタムハウスで買い物を済ませて局に帰ると、アキは買ってきたキャビネットの組み立てに取りかかった。彼女はロンドンで体調を崩す前から、イケアのグリニッジ店がお気に入りで、組み立て式の家具をよく買った。画面を見るだけではない、「物理的な現実との接点」が欲しいのかもしれないということには、薄々気づいていた。日本から新しい留学生がやってくると、一緒に行って買い物をし、家具を組み立ててあげたりもした。そんなことを局長に話した覚えはないが、局長はいつも、「アキちゃん、組み立てるの好きでしょ」といって、仕事時間中に大好きな家具の組み立てをやらせてくれる。
 新しい金属製のキャビネットは重いので、完成させてから所定の位置に運ぶのは大変だ。そう考えたアキは、まず錆だらけの古い方を動して、最終的な設置場所で組み立てようと計画を立てた。「組み立てが済んだら、古い方には廃棄ラベルを貼って、倉庫裏に出しておいてね」と局長には言われていた。

*     *     *

 しかし、アキは古いキャビネットの一番下の引き出しの中に、昔よく見た紐を巻いて閉じるタイプの大きな封筒を見つけた。局長は実家の神社で週末に行われる催しで兄を手伝うためにすでに帰宅していた。

 恐る恐る紐を解くと、中には「宛先不明かつ還付不能」と1996年4月付のメモ書きが添えられた郵便物が入っていた。切手が貼られ、赤いマジックで「原稿在中」と記されている。宛先から判断するに、文学賞へ応募しようとした小説の原稿のようだった。2センチほどの厚みがある。1996年といえば、アキが生まれる3年前のことだ。あれから何人がここ山荘郵便局で局長の職にあったのかは知らないが、この封筒の中の小説は、錆びたキャビネットの中で、誰にも読まれることなく四半世紀以上にわたって保管されてきたようだ。
 法律により、このような場合は局内で郵便物を開封して、配達先あるいは還付先の手がかりがないかを調べることが許されている。調査開封を示す付箋も添えられていた。手がかりがない場合の保管期間は通常3カ月と定められているが、その期間が過ぎた後にいざ処分するとなると、手続きが煩雑だ。処分はシュレッダーにかける決まりだが、小説の原稿を切ってしまうのは誰も気が進まず、歴代局長が放置してきたに違いない。

 アキはふと、本当は数学者ではなく小説家になりたかったと話していたマコトのことを思い出した。彼は今もロンドンにおり、時々オンラインで話している。彼もこうやって原稿を書いて、文学賞に応募したりしていたのだろうか?この原稿の主は、何か理由があってどこにも差出人名を書かなかったのだろう。そしてアキは、ある決心をした。
 郵便局員はいわゆる「みなし公務員」だ。小説の原稿は信書とみなされうる。局員が配達あるいは還付以外の目的で信書の内容を見ることは、郵便法第77条違反で、一般人が他人宛ての郵便物を開封した場合の「信書開封罪」より重い罪が定められている。それでもアキはその時決めた。

「この小説、私が最初に読むよ」

カスタムハウスの新しいキャビネットは、四半世紀越しの還付不能郵便物を引き継ぐことなく、その任についた。

(第2話へ続く)


【この後の物語】
第2話:副塾長のハイヒール

https://note.com/sasakitory/n/n989324f8cb34
 物語はいよいよ1995年に〜七会と探夏が出会う日
第3話:ユーリのスニーカー
https://note.com/sasakitory/n/n72c9ca85f90a 
 ユーリから告げられた秘密とは?
第4話:タブリエ
https://note.com/sasakitory/n/n63098b31494b
 七会と探夏の1995年の夏の第1日
第5話:『道の曲がり角』
https://note.com/sasakitory/n/nbaf518e0f7f1
 謎の小説にタイトルがついた!
第6話:ソロとハーモニー

https://note.com/sasakitory/n/nb0b8307742cc
 七会と探夏の根本的な違いとは?
第7話:6月24日(月)公開予定〜お楽しみに!


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️