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Flow into time 〜時の燈台へ〜 第7話

【前回の物語】
 七会が昔経験した「むらさきいろのお風呂」の話題を出す。発掘作業終了後、「ピザバルーン」で音楽の要素の「ソロ」と「ハーモニー」に自らの人生を重ねる二人。自分たちの根本的な違いを認識するも、二人の気持ちは近づいていった。

第7話 : Bleu de France

 アキは第2日の物語の朗読を終えた。そろそろ日が変わろうとしている。「ひいらぎ」の外の道には街灯などないので、日が落ちると外は真っ暗になる。

「ピザバルーン、実際にあるなら、行ってみたい……」
 リンが言う。
「お風呂の水の話がとても深いよ……確かに、夕焼けがとてもきれいでも、空気を一部分取り出したら無色だもんね。でも探夏さんの『色がなくなってもちゃんと傘を買って帰りたい』っていうのももっとも。この二人、人生の不可分の対岸にいるみたいだね」
 ナミのまとめは的確で、さすが編集者だ。
「うちのメニューに『ココアフロート』加えよっかな!」
 場が深刻になり過ぎないようにするのは、『道の曲がり角』調査本部長ユーリの役割だった。
「アキが一番印象に残ったのは何?」
 ユーリが尋ねる。
「私は……みんなと違うかもだけど、タブリエとジャズ。料理する時にエプロンなんてしたことないし、音楽も洋楽ロックしか聞いたことがない。でも、七会さんのタブリエ姿と、探夏さんの言うジャズの世界観にすごく惹かれる」
「じゃあ私は来週の定例会で美味しいココアフロートを出せるように準備しておくから、リンはピザバルーンがもし実在するとした場合の手がかりを、ナミは引き続き過去の他の文学賞への応募作との類似性チェック、アキはタブリエとジャズを調べなよ。具体的な曲名も出てたしね」
 ユーリはてきぱきと三人に役割を割り振った。
「ユーリさん、来週は何かお酒用意しようよ、これなんてどう、『七星』! 七会さんのためにあるような名前のお酒だと思わない?」
 アキがスマホの画面を三人に見せる。「星天航路」と同じ酒蔵の酒で、ラベルには青い星が七つ輝いている。探夏の好きな青色に近いかもしれない、と密かに思う。アキは日本にいる時はビール党だったのだが、ロンドンから帰ってきて、すっかり日本酒党になっていた。

*     *     *

 物語の舞台は1995年、11月23日に Windows 95 日本語版が発表され、「インターネット元年」と呼ばれた。日本語版 Google 検索が可能になったのは、それからしばらく後の2000年だった。七会と探夏が出会ったのは1995年7月、つまり一般庶民がインターネットを使い始める少し前の出来事だった。

「当時は無理だっただろうけど、技術の進歩で、今なら分かるよ」
 土曜日の午後、アキが独り言を言いながら自宅PCの画面で眺めていたのはタブリエの画像だった。タブリエを校内着としている学校は日本には一系列しかなく、七会の出身校はそのうちどれかだ。もし七会が実在の人物ならば、塾に通ったことがないという記述からも、大学入学と同じ年の3月に卒業しているはずなので、1995年3月卒業者の名簿を全系列校から取り寄せれば、彼女はその中にいるはずだ。逆に、今の時代名簿を取り寄せることは不可能だろうが。
 アキは学校紹介のページを閉じて輸入雑貨のウェブショップのサイトを開き、七会が着ていたと思われるデザインに一番近いタブリエを探し出した。多くのタブリエが普通のエプロンに近い「可愛い」デザインを採用している中、学校のホームページの写真にあったような被るタイプの、言うならば「あまり可愛くない」スモッグっぽいデザインのものを選び、七会と探夏の好みを思い出して、「バイオレット」と「ブルーグレー」の二色を選んで買った。

 次にアキが見つけたのは、探夏が「ソロとハーモニー」の話の説明に使った二曲、『エアジン』と『ドナ・リー』の両曲が冒頭に入っており、発売が1992年のCDだった。時間的に考えて、1995年以前に発売されたものしかあり得ないのと、何気なく二曲を話題に出す時は、特定のアルバムに入っている曲同士を話題に出すのではないだろうか、と考えたからだ。『GRP All-Star Big Band』と題されたそのCDは、発売から32年も経っているにも関わらず、人気を保っているようだった。残念ながらストリーミングはなく、CDを買って聴くしかなさそうだった。アキは躊躇わずに Bluetooth スピーカーに音を飛ばせるタイプのCDプレーヤーと一緒に買い物カゴに入れた。自分がジャズに興味を持つとは、思ってもみなかった。ジャズを聴きながらタブリエを着て、料理をするのか? ロンドンにいるマコトが聞いたら何と言うだろうか。

「決まり的には、問題はないんだけど……ここの収入じゃ足りないってことなのかな?」
 アキは優秀な局員だったので、局長がアキに業務の指示や指導をすることはほとんどなかったが、この日はアキの上司として回答せざるを得ない件があった。アキが兼業をしたいと申し出たのだ。郵便局員は「みなし公務員」ではあるものの、郵政民営化以降は民間企業なので、公務員と比べて兼業に関する規則はかなり緩い。
「違います。どうしてもそこで週一日だけ仕事をしたくて。局の仕事には決して影響が出ないようにしますし、働くのは土曜一日だけで、日曜はちゃんと休むので大丈夫です」
「それで、何をするの?」
「笑われそうです……」
「仕事を笑ったりはしないよ。いずれにせよ認めるためには勤務先を申請してもらう必要があるし、こちらが主たる勤務先として、源泉徴収の関連もあるしね」
「実は……『ひいらぎ』でユーリさんを手伝うんです」
「……オサムさん調子悪いの?」
「いえ、そういうわけではなく、ユーリさんと一緒にいる時間が必要で、それで……」
「最近は頻繁に行ってるみたいだけど?」
 田舎では、誰がどこの食堂にどのくらいの頻度で行っているか、町中が知っていたりする。だから、最初から隠し事はしないのが得策だ。
「そうなんです。共通の関心事ができて、実は、毎週金曜日閉店後に集まって、その後泊めてもらってるんです」
「救助部屋に?」
「はい。もう私の私物も結構あって、半分私の部屋みたいになってます」
「それで土曜日はそのまま手伝って、お昼をご馳走になって夕方帰るって感じ?」
「さすが局長!」
「じゃあわざわざ申請なんかせずに、知り合い同士の手伝いってことにすれば、税金も引かれないのに」
「そうも思ったんですけど、こそこそせずに堂々と行きたいのと、副勤務先として『ドライブインひいらぎ』って書類とかに書きたいんです。あそこの従業員になりたいっていうか、なんというか……」
「ずいぶんユーリさんと意気投合したんだね。まあ元から姉妹みたいだったから、いいんじゃないか? でも金曜日とはいえ、身体のためにもあまり飲みすぎないようにね。最近日本酒党みたいだから」
 アキが最近日本酒党みたいだ、なんて噂はいつどんなルートで流れたのだろう?
「ロンドンで日本酒に目覚めたなんて、変ですよね。いつか金曜夜に『ひいらぎ』で局の飲み会やりましょうよ。おすすめの日本酒用意しておきます。もちろん、厚揚げ焼きも!」
「いいねえ、おろし生姜たっぷりでお願いしたいところだ」
 五十を過ぎても、「初恋の味」を思い出しただけでこんな嬉しそうな顔をする局長を見て、アキは少し羨ましい気持ちになった。アキはそうやって、2024年に生きながら、1995年を追体験する準備を、着実に整えていった。

 厨房で、「ひいらぎ」一番人気のカツ丼に使うカツを仕込んでいるオサムに、ユーリが話しかけた。
「アキちゃん、土曜日うちで働くのはいいんだけど、あの子がどんどん小説の時代に入り込んでいってしまうの、少し怖い気もする」
 四人はオサムにも小説のことを話していた。女四人の『道の曲がり角』調査本部とは言え、厨房の主であるオサムが知らないのは不自然だと思ったからだ。
「そう? 僕は、むしろ自然だと思うんだけど」
 普段口数の少ないオサムが珍しく意見を述べた。
「自然? どういうところを自然だと思うの?」
「アキちゃんの治療が進みつつあるんじゃないかな、って思うんだ」
「治療?」
「アキちゃんがロンドンを離れた時の症状、知ってるよね。特定の内容の文字だけ読めなくなったんだよね」
「そんなことって、本当にあるの?」
 ユーリはアキのロンドンでの症状を、完全には信じていなかった。
「ある。というのも、知り合いのお嬢さんが、似た症状だったんだよ。その子の場合は、読んで理解まではできたけど、書くことができなくなった。もちろん脳や手の神経や筋肉にも、問題はなかったんだ」
「残る理由は精神的なものだけ、ってこと?」
「今の医学ではそう考えるしかない。我々が思ってるより、人間の心の力は強いんだよ」
「強いって言うと?」
「その子はおそらく、書く活動からしばらく離れるべきだったんだ。だから脳が、書けなくした。症状がもっと強く現れる場合には、精神的理由でいきなり歩けなくなる人もいるんだ。『転換性歩行障害』っていう名前がついてる」
 オサムはユーリからアキのロンドンでの症状の話を聞いて、こっそり勉強したのだった。
「アキちゃんの場合も、アキちゃんが意識的にどう思ってたかは別として、脳の潜在的な部分が彼女に『ロンドンから離れろ』って命じたってこと?」
「そういうことになるね」
「山荘に来て平穏に暮らしてたのは、アキにとって『治療』に近い意味があった」
「僕はそう思ってる。だから、土曜日ウチを手伝ってもらうことにも、大賛成だ」
「でも、もうその期間は終わりつつあるってこと?」
「まだもう少しかかると思う。でも、彼女の本質は、探求者だよ。人生を楽に過ごしたい人じゃない。自分が求めるものを探し続ける人だ。だから、よく様子を見ながらだけど、好きなだけあの小説を追いかけて、1995年を味わうといいと思ってる。その中で、きっと彼女は山荘に残るか、また別の土地へいくかを自分で見つけるよ」
「オサムさん、私よりアキのこと考えてくれてたんだね……」
「アキちゃんは、ユーリの大切な妹だからね」
 話している間中ずっと仕込んでいた大量のトンカツは、おそらく明日も開店後二時間、午後一時頃には売り切れてしまうのだろう。

*     *     *

「七会さん、あなたならどれがいい? むらさきいろ、いっぱいあるよ」
 アキは日曜日、一人でハンズ渋谷店にいた。買いたいものは、二つあった。ベージュ色をしている自宅の浴槽で「むらさきいろのお風呂」を再現するための入浴剤と、あとは青い傘だった。当初はジャズを聴きながらタブリエを着て自宅で料理をしようと思っていたが、結局は「ひいらぎ」で土曜日ユーリと一緒にホール係をする時の二人の制服となった。アキがブルーグレーを、ユーリがバイオレットを着て、客からは、「姉妹でエプロン可愛いね」と評判だった。アキもユーリも必ず、「エプロンっていうより、幼稚園児のスモッグですけどね」と返した。

「探夏さん、青色って意外とないね。日本人にとって、青は水色と紺色や藍色なのかな……探夏さんが好きなのは、きっとフランスのロイヤルブルーみたいな色だよね」
 アキは一人でいる時、七会と探夏に話しかける癖がついた。探夏の好きな色を探しているうちに、Bleu de France と呼ばれる色があることを知り、カラーコードの「#318ce7」まですぐに覚えてしまった。アキの脳は、興味があるものは砂漠に水が染み込むように吸収し、避けるべきものに出会うと機能不全を起こす。そして、探夏が好きだったのはこの色だったことにして、一番近い色の傘を買った。レジで支払いを済ませても、きれいな青色はそのままだった。買ったのはこの色だけでも、売り場で見た他の多くの色が頭の中に残っているから、傘を開くと全ての色が見えるようだった。

 アキは思った。家に帰ったら、湯船にたっぷりお湯を張って買ってきた入浴剤を入れ、「むらさきいろのお風呂」を再現してみよう。鼻の下までお湯に浸かって、小学生の頃の七会の気持ちになってみよう。

(第8話に続く)


【前後の物語】
第1話:カスタムハウス

https://note.com/sasakitory/n/n8eeff7be3fa7
 郵便局員アキが見つけたものとは?
第2話:副塾長のハイヒール
https://note.com/sasakitory/n/n989324f8cb34
 物語はいよいよ1995年に〜七会と探夏が出会う日
第3話:ユーリのスニーカー
https://note.com/sasakitory/n/n72c9ca85f90a 
 ユーリから告げられた秘密とは?
第4話:タブリエ
https://note.com/sasakitory/n/n63098b31494b
 七会と探夏の1995年の夏の第1日
第5話:『道の曲がり角』
https://note.com/sasakitory/n/nbaf518e0f7f1
 謎の小説にタイトルがついた!
第6話:ソロとハーモニー

https://note.com/sasakitory/n/nb0b8307742cc
 七会と探夏の根本的な違いとは?
第7話:いまここです!
第8話:6月26日(水)公開予定〜お楽しみに!


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