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Flow into time 〜時の燈台へ〜 第15話

【前回の物語】
 ジントニックで『天使の休息』をした後、七会は探夏の膝の上に座って映画『マディソン郡の橋』を見る。続きの物語を一人で盗み読みしたアキは、ユーリと二人でお風呂に並んで入り、「むらさきいろの海」の入浴シーンを再現する。

第15話 : 点は、つなぐため

 最終日五日目の朗読担当は、ユーリに回って来た。五日目をちゃんと理解するためには、どうも映画『マディソン郡の橋』を観ておいた方が良さそうだということで、一週間のうちに、四人とも映画を観て予習したのだった。探夏の膝の上で画面を眺める七会を思い描きながら、ユーリはゆっくりと朗読を始めた。

*     *     *

 映画のラストシーンで、フランチェスカの遺灰がローズマン・ブリッジに撒かれるのを見届けた後、二人は初めて一緒にベッドに入った。お風呂と同じく、七会が左側で探夏が右側、シングルベッドに二人が普通に寝るとどちらかが落ちそうになるので、探夏が七会を左腕で腕枕して、七会は探夏の「左デコルテ」を枕代わりにして寝ることにした。この体勢で話すと、お互いの声がお互いの左耳によく聞こえた。探夏が左を向くと、ちょうど七会の額だ。探夏はまず七会の額にキスをした。そして七会の顔を少し持ち上げて、唇に長いキスをした。映画ではフランチェスカは車のドアハンドルに手をかけるも雨の中に飛び出して行くことができず、結局は家族の元に留まった。自分はそのドアを開けて探夏の元へ行くのだろうか、七会はそんなことを思いながら、探夏の腕の中で眠りに落ちた。

「明日の朝ごはんは、寮の部屋で食べられそう? それとも新幹線の中になる?」
 最終日の朝食は、七会と探夏は二人で一緒に、探夏の部屋のローテーブルで食べていた。福井では、夕食用に炊いたご飯を、翌朝と翌昼のお弁当にもするつもりだと聞いていたので、朝食は洋食にした。トーストしたパンにマヨネーズを塗り、その上に四角く焼いた卵を乗せてもう一度オーブントースターで炙った「タマゴトースト」が探夏のお気に入りだった。
「朝8時過ぎのバスに乗らなきゃいけないので、新幹線の中で何か簡単なものを食べることになりそうです」
「そっか……一ヶ月も離れるのは長いね。七会さんが塾に上がってくる階段の横に貼った英会話スクールのポスター、あれを見る度にこの五日間のことを思い出すと思うよ」
「探夏さんも、八月一ヶ月が卒論の調査の勝負だって言ってましたよね。お互い九月に気持ちよく会えるようにしたいです。でも、一ヶ月会えないだなんて、私も信じられない……」
「新幹線の車内販売で、アイスクリームを買えばいいよ。昔から、辛くなったらアイスクリームを食べるといい、そうすれば気持ちが紛れる、って言うからね」
「それって、『赤毛のアン』ですか? 夜十一時のアイスクリーム!」
「知ってたんだ……そう、夜十一時のアイスクリーム。僕もアイスクリームを買ってくるよ。場所は違うけど、同じ時間に一緒に食べよう」
「いいですね、それ。後で明日の時間を調べますね」
 タマゴトーストを食べ終えてコーヒーを飲むと、二人は荷物を持って部屋を出た。今日はこれから、二人で一緒に発掘現場へ行く。今日が最終日だ。いつもの道を、七会を送っていくことは、明日以降はもうない。発掘作業が終了した後は、現地は市営墓地として造成されることが決まっているからだ。

最終日:土へ行く

 最終日も、二人の会話は大通りを右折してから始まった。
「七会さん、明日の朝出発する時は、バス停まで見送りに行っていいかな?」
「……彼が見送りに来てくれることになっていて……」
「そっか、もう一人の『たか』さんだね」
「……ごめんなさい」
「七会さんが謝ることじゃないよ……そういえば、今日の夜は塾の授業だよね?」
「はい、今日は中学一年生の英語が二クラスです。be 動詞と一般動詞がごちゃごちゃになっている生徒が多いので、福井に行く前にはっきりさせます」
「頼もしい先生だ。それで、その後は部屋でパッキング?」
「ですね。どのくらいの頻度で洗濯できるかがよく分からないので、衣類は少し多めに持っていこうかなと思っています」
「白いワンピースと、首に巻くタオルも忘れずに、ね」
「はい、今日はできるだけ裾を汚さないようにして、今着てるのも荷物に入れようと思っています」
「パッキング、手伝っていい?」
 彼氏が来るかもしれない、という予想は横に置いて、探夏が訪ねた。
「いいんですか? 今日は塾が三コマ目まで入っているので、部屋に戻れるのが十時半になっちゃうんです。それからパッキングしていると、寝るのが夜中になっちゃう」
「じゃあ、今日は夕方迎えに行った後に、七会さんの部屋に直行しよう。七会さんが塾で授業をしている間、僕が触ってもいい部分は準備しておくよ。帰って来たら、十一時にお風呂が閉まる前に行かなきゃでしょ」
「そうなんです。じゃあお願いしようかな……」
「了解。ところで、今日は何か、飲み物リクエストある?」
「じゃあ、トロピカーナ・オレンジで」
「いいね、じゃあ僕はドールのオレンジにする。ティーソーダは甘すぎてハズレだったもんね」
 二人は笑い合って、七会はいつも通り白いワンピースの裾を揺らしながら発掘現場へ向かっていった。

 探夏は自宅に戻ると、机の上に開いていた卒論の資料をわきにどけて、先週末に買ったCDを取り出した。まだ封を切っていない。七会との濃い時間が始まったのはまだたった四日前の月曜日だ。このCDを買ったのは、こんな「永遠の五日間」が始まる前のことだった。なんだかもう一ヶ月くらい前のことに感じられた。
 とは言え、そのCDは探夏が七会に聴かせようと思って買ったものでもあった。タイトルは『天上の音楽』、初めて二人が会った日に行った焼肉店の「天上セット」を連想してしまい、気付くと買っていたCDだった。探夏が以前から好きだったジャズ・ピアニストと、名前だけ聞いたことのあるジャズ・ギタリストのデュオという、ユニークな編成のアルバムだった。探夏はCDの封を切り、前夜七会を膝の上に抱いて映画を見た時と同じように、コンポーネントにCDをセットして、再生ボタンを押した。

最終日:街へ帰る

「昼休みに、明日の行程と時間をまとめました。時間も書き出したので、アイスクリーム、一緒に食べられます」
 七会はメモを取り出すと、いつも通り冷えたタオルを額に乗せて上を向いた。きっと福井でも、毎日このポーズをするのだろう。
「東海道新幹線で米原まで行って、そこから福井へ出て、その後は越美北線……」
「はい、単線で電化されていなくて、ディーゼル車が走っている路線です」
 車は発掘現場横の駐車場から動き出した。二人でここから出発するのも、今日が最後だ。
「私は明日、新幹線に乗って一段落したら、駅で買った朝ごはんを食べます。探夏さんも、同じ時間に一緒に食べてくれますか?」
「もちろん。アイスクリームは、どこで食べる?」
「時間的には、米原からの北陸本線の中がいいと思います」
「……でも、アイスクリームは新幹線の中で買うんだろう?溶けちゃわないかな?」
「新幹線のアイスクリーム、知らないんですか? あれ、とっても固くて、両手で握って一生懸命温めても、しばらく食べられないんですよ。スプーンが曲がっちゃうくらい固いんですから」
「そうだったかもしれない。じゃあ明日は、僕は自分の部屋で、同じ時間に朝ごはんとアイスクリームを食べるね」
「ありがとう」
「荷物は何を準備すればいい?」
「旅行用の大きなスーツケースが一つあるんです。そこに入れておいて欲しいものをリストにしました。見れば分かると思うんですけど、私は四月にこの街へ来たばかりなので、持って来た荷物をほぼ全部持って引っ越すような感じです。少し恥ずかしいですけど、部屋の物入れはどこも自由に見てくれて構わないので、このリストにあるものを詰め込んでおいてもらえると、お風呂から帰って来た後に少しだけでも一緒に過ごせます」
「最後の夜は、彼と一緒でなくていいの?」
「……どうしてそんなこと聞くんですか……一生懸命言い訳つけて断ったんです……」
 ちょうどその時、車は農協の角を右折して、国道に入った。探夏は左手で七会の右手を強く握った。

 七会が塾へ出かけていくと、探夏は部屋に一人残された。七会の部屋は彼女の言った通りがらんとしていて、まるで今日引越して来たように見えた。彼女から渡されたリストにはワンピースやTシャツ、タオルなどの枚数が記されていたが、それらを全部スーツケースに詰め込んでしまうと、この部屋には本当に何もなくなってしまうのではないかと思えた。探夏はリストを目で追いながら、部屋のどこかにある持ち物を一つずつ集めていった。七会のリストには、下着や靴下、生理用品といったものも遠慮なく記されており、リストの最後には、彼女を長年苦しめて来た多種類の薬の記述があった。探夏は一つずつ、黙々と荷物を詰めていった。

*     *     *

「七会さん、車のドアは開けて、探夏さんのところへいく覚悟を決めたんだね」
 原稿を置いてユーリが言った。
「あのシーンって、ドアを開けて外にさえ出れば、あとは彼の所に走っていくのはそんなに難しくなかったんだと思う。でも映画では、フランチェスカが家族の元に残ったことがよしとして描かれているよね」
「家族を捨てて愛人と結ばれて、不幸になった人が並行して描かれているのも、なんだかとても示唆的だった」
 リンとナミが一言ずつ感想を述べた。
「でも、最後の最後に、ロバートが出版した写真集を持って、愛人と結ばれた彼女の元に届けるシーンがあるよね。結局は二人とも……つまり家族を選んでも愛人を選んでも……しあわせになったということなんじゃないかな。途中の道が違うだけで……」
 アキがぽつんと言った。きっとこれは、自分がロンドンへ戻ることになっても、山荘に残ることになっても、自分はきっとしあわせになるという覚悟の表れだと、ユーリには分かった。

「アキさん、あのね……」
 沈黙を破るかのように、ナミが切り出した。隣にいたリンが座り直す。なにか大切なことを言おうとしているのだろう。
「私たち、こないだの土日出張だった、って言ってたでしょ……」
「うん、覚えてるよ。おつかれさま。ところで、どこまで出張してきたの? 出版社の出張で一泊するって、地方に住んでる作家先生の所へでも行ってたの?」
 アキが現実に戻って来た顔で尋ねる。
「私たち、ちょっと嘘をついてたんだ、ごめんね。実は、リンと二人で福井へ行ってきた」
「福井……それってひょっとして……」
 ユーリがことの成り行きを見守る。
「歴史書部門の先輩を通して、北陸地方の遺跡に詳しい大学教授を紹介してもらったんだ。その先生から1995年の夏の発掘の参加者名簿を見せて欲しいと現地に依頼して、先週はご挨拶も兼ねてそれを受け取りに行って来た。七会さんが作業してた遺跡の近くに、今は綺麗な博物館が建ってるよ。発掘の参加者は数百人いるけど、その中に確実に、七会さんがいる」
 ナミはカバンからクリアファイルを取り出して、アキに手渡した。アキは名簿を手に取り、一ページずつめくっていった。
「この中に、七会さんがいる……私が誰よりも会いたい人……」
 アキの手は震えていた。ユーリがそっとアキの肩を抱く。
「ナミさんきっと、この中の一人を特定するための作業、もうかなり進んでるんだよね」
「アキさん、ここで止まる? それとも進む? まだV1には達していないよ」
 離陸決心速度やポイント・オブ・ノー・リターン。そこから先へ進むと、結果はどうあれ引き返せなくなる地点。そういった概念は、航空用語に多い。
「ナミさん、実はV1、もう過ぎてるんだ。今日ここでみんなに話しておく。リンちゃんも聞いて。ユーリさんにはこの間話したんだけど、やっぱり四人全員で共有しなきゃだね」
 アキはマコトと過ごした夜について話し、自分の意思で決めるべき領域と、運命や縁のつながりに身を任せる方がいい領域を自分は区別したいと説明した。「人事を尽くして天命を待つ」という格言の本来の解釈とは少し違うかもしれないが、アキは人間が自らの意思でコントロールすべき部分と、自然に任せるべき部分はある程度明確に分かれている方が良いという考えを持っており、格言をその意味に解釈していた。
「実はあの時は、生理の翌週だったから、妊娠しやすい時期だったの。私の身体はカレンダーみたいに正確に、でも普通よりちょっとせっかちで、ぴったり二十七日目に生理が来る。そしてそれは来週……」
「じゃあ、調査進めるね。来週の定例会の日にも、七会さんが誰か、分かるかも」
 ナミの顔が引き締まる。覚悟ができた人には、覚悟で向き合うのが彼女の信条だった。
「数百人の中から、どうやって絞るの? まさか一人ずつあたるわけじゃないだろうし……」
 ユーリが心配そうに尋ねる。
「物語の最初の方の記述を思い出してみて。七会さんの大学での指導教授は、直前に大学の近くで行われていた発掘の責任者だったと書いてあったよ。数百人の発掘参加者がいても、直前まで別の現場で責任者をしていた人となると、いても数人だと思う。その先生たちを洗って、1995年の夏、研究室に大学一年生の女性がいた研究室に絞れば、七会さんに辿り着けると思って。ただ、ネットがまだほとんど使われてなかった時代だから、紙の資料をあたることになりそう……」
 ナミが今後の調査方法の詳細を説明した。
「あの時は、マコトの子どもを授かったら、『道の曲がり角』からは抜けて現在に戻ってきて、ロンドンで前の生活の続きをやろうと思っていた。でも、その考え方は間違ってた。それって、やっぱりマコトの言ったように、自分の身体や子どもの命をサイコロ扱いしている生き方だと思う。私は、ロンドンに戻ってマコトと結婚するにしても、山荘に残るにしても、七会さんが誰かを突き止める。そして未来のいつか、彼女に会う。その未来の点と、来週の結果を繋げば、その線上に私が生きるべき人生が見えてくる」
 アキが決意表明した。

「点は、つなぐためにある」
 リンが涙交じりの声で、三人に言い聞かせた。

(第16話に続く)


【前後の物語】
第1話:カスタムハウス

https://note.com/sasakitory/n/n8eeff7be3fa7
 郵便局員アキが見つけたものとは?
第2話:副塾長のハイヒール
https://note.com/sasakitory/n/n989324f8cb34
 物語はいよいよ1995年に〜七会と探夏が出会う日
第3話:ユーリのスニーカー
https://note.com/sasakitory/n/n72c9ca85f90a 
 ユーリから告げられた秘密とは?
第4話:タブリエ
https://note.com/sasakitory/n/n63098b31494b
 七会と探夏の1995年の夏の第1日
第5話:『道の曲がり角』
https://note.com/sasakitory/n/nbaf518e0f7f1
 謎の小説にタイトルがついた!
第6話:ソロとハーモニー

https://note.com/sasakitory/n/nb0b8307742cc
 七会と探夏の根本的な違いとは?
第7話:Bleu de France
https://note.com/sasakitory/n/n7012d2f47e6f
 アキが二つの時間に生きる準備を整える 
第8話:むらさきいろの海
https://note.com/sasakitory/n/ncc09fee613e2
 七会が昔から抱えていた問題とは?
第9話:サイコロではなく愛
https://note.com/sasakitory/n/n1144b10ca691
 マコトがロンドンから帰ってきた!
第10話:ロブスターと中古車
https://note.com/sasakitory/n/nf4d51f94416a
 七会と探夏の初デートの行方は?
第11話:無伴奏独奏
https://note.com/sasakitory/n/n7341fd2ddcc3
 初デートの翌日は、探夏の部屋で過ごすことに〜
第12話:七会の願いごと
https://note.com/sasakitory/n/n254b7fe00a4f
 探夏の部屋で七会がした願いごととは?
第13話:猿のジントニック
https://note.com/sasakitory/n/n13f244d4740d
 七会と探夏が湯船の中で語り合う……
第14話:永遠の4日間+1
https://note.com/sasakitory/n/n30bcbb2e1c9b
 アキとユーリが湯船の中で語り合う……
第15話:点は、つなぐため
https://note.com/sasakitory/n/n3cbc4c4f4cc0
 七会が含まれる名簿が手に入った!
第16話:七会のすべて
https://note.com/sasakitory/n/n1cd5b133e858
 変奏曲を聴き、探夏は七会の全身を受け入れる
第17話【最終話】:未来の七会へ
https://note.com/sasakitory/n/na3cc00fcda74
 
七会の所在が分かり、アキは七会へ原稿を託す✨ 


サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️