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Flow into time 〜時の燈台へ〜 第12話

【前回の物語】
 デザートを食べながら、初恋の人の膝の上に座り込んだ思い出を話す七会。二人で過ごす時間が残り二日となり、翌日夜は探夏の部屋で夕食を食べることにする。現在の四人は、そんな二人のいる世界を着々と明らかにしていく。

第12話 : 七会の願いごと

第4日:土へ行く

 その日も大通りを右折すると、二人の時間が始まった。初日から、なんとはなくその交差点では七会の父親の話をすることに決まっていた。そうするとなぜか、二人の一日がうまくいく感じだっだ。その日は珍しく探夏が話を切り出した。
「最終日を迎える前に、ここしばらく思ってたことを話したいんだけど、いい?」
「もちろん、探夏さんの話なら何でも聞きますよ。話してください」
「七会さんを送り迎えしていると、七会さんは行きと帰りの二回だけど、僕は四回あるだろう?」
「……朝の行きと、朝の帰りと、夕方の行きと、夕方の帰り……」
「そう。そのうち半分は、僕一人なわけだ」
「それは、えっと、朝の帰りと、夕方の行き」
「そう。その四回この道を走っているうちで、僕がしあわせに感じる順番を当てて欲しいんだ。四回のどれが一番しあわせで、どれがその次で、そしてどれが一番悲しいか」
「多分、その答えが探夏さんの人となりを表してるんですね?」
「そうかもしれない」
 七会は左手を出して、右手でその上に何かを描くような仕草をしてから、ゆっくりと話し始めた。

「一番しあわせなのは、朝、一緒に発掘現場へ行く時……合ってますか?」
「残念ながらハズレ」
「えっ、違うんですね……じゃあ逆から攻めてみます。一番悲しいのは、夕方の帰り。それで一日が終わってしまうから」
「それもハズレ。よく考えてみて、夕方の帰りは一緒にいる時間だよ。一緒にいる時間が悲しいなんて、それこそ悲しいよ」
「確かに……じゃあ、一番悲しいのは私がいない時、つまり朝の帰りか、夕方の行きですね?」
「それは合ってる。じゃあどっち? 七会さんを発掘現場へ送って帰ってくる時と、これから七会さんを迎えに行く時、どっちが悲しいと思う?」
「それは分かります。一番悲しいのは、『朝の帰り』ですね?」
「その通り!」
「じゃあ、しあわせなのは一緒にいる時として、一番は……朝一緒に行く時でないとすると……『帰りの帰り』?」
「今の七会さんの口調だと、そうではないって分かってる感じだよね」
「はい、一緒にいられるとしても、一日が終わって、じゃあまた明日っていう時が一番しあわせっていうのも、少し不自然かな、と」
「しあわせって、『ワクワク感』とかなり表裏一体だと思うんだ。僕が一番ワクワクするのは、残りの三つのうち、どれだと思う?」
「分かりました。それは、『夕方の行き』ですね! これから一緒にいられる時間が始まるから」
「さすが七会さん、その通り! じゃあ、残りの二つは自然と分かるね」
「これで全部分かりました。しあわせな順に、『夕方の行き』『朝の行き』『夕方の帰り』『朝の帰り』ですね!」
「素晴らしい!」

「でも……今分かりました。探夏さんが一番しあわせなのは、私と一緒にいる時ではなくて、『これから一緒にいられる』ってワクワクして、でも一人な時なんですね……私は、探夏さんと一緒にいる時間の方が、絶対にしあわせ……」
 七会は下を見て、少し涙ぐんでいるようだった。
「大丈夫、まだ二日あるから」
 探夏は左手をハンドルから離して、七会の右手を強く握った。この人が、「むらさきいろの海」へ沈んでいかないように、ちゃんと守っていたい、と思った。実際には、おそらく七会の方が強く、探夏の方がぐらぐらしていたのだろうが。

「今日はすき焼きだから、楽しみにしててね。ジントニックもちゃんと作れるようにしておく」
「ありがとうございます。ここの発掘もあと二日、集中して刷毛を動かします。多分大丈夫……今夜のジントニックのために、昨夜から薬は飲んでないんです」
「そっか……じゃあ作業、無理せずにね。そうそう、一つ聞いておかなきゃだ。お肉は、赤身と霜降り、どっちが好み? 霜降りだとお腹にもたれるよね……」
「私は、霜降り肉が食べたいです。天上セットのあの感じを思い出したくて……」
「……了解、じゃあ奮発していい肉を買っておくよ」
 七会はいつも通り、白いワンピースの裾を揺らして発掘現場へ向かって行った。

*     *     *

 今日の朗読担当はナミだった。彼女はまるで、ラジオのパーソナリティのような声で、上手に朗読をした。職業柄、出版記念の朗読会などのイベントに出かけることも多く、朗読の持つ強い力をよく理解していた。やはり、餅は餅屋というように、本は本屋だ。
「今日の内容は深いね……探夏さんは本当のしあわせを一人でいる時に見出すと言っちゃったし、七会さんもそれは寂しいとはっきり言ったよね。この日の夜、探夏さんの部屋で、何か決定的な出来事が起こる気がする」
「私は、むしろ探夏さんの気持ち分かるな……本当のしあわせは、やっぱり人間の基本単位である一人でいる時に感じるものなような気がする」
 リンが続けた。リンとナミは、時に意見が全く異なるが、それでもちょうどアキとユーリのように、日々姉妹のように一緒にいて、「二人違って、二人でしあわせ」を地でいっていた。

第4日:街へ帰る

 五日間の中で唯一、探夏が七会を車で学生寮に送っていかない日になった。探夏の自宅は二人が働いている学習塾の近くにあったので、発掘作業の終了後は探夏の部屋に直行して、その後七会は塾の授業をこなし、その後、七会念願のすき焼きをすることになっていた。

「今日はうちへ直行でいいよね。シャワー浴びていく時間あるかな……塾、今日はどのコマ?」
「えっと、今日は2コマ目だけなので、六時四十分からで、八時十分には終わります。探夏さんの家に、八時半前には戻ってきます」
「そっか、一コマだけなんだね。どの学年?」
「中学受験の小学六年生二人の少人数クラスです」
「ああ、あの二人ね。二人とも、頑張ってるよね」
「国語が苦手だって言ってるので、最近国語を週二コマに増やしたところなんです」
「六時四十分からだと、シャワーはきついね。うちに発掘の荷物を置いたらすぐ行った方がいい感じだね」
「そうですね……今日はワンピースの裾、それほど汚れてないので、許してもらえそうです」
「じゃあ、七会さんが授業をしている間に、僕はすき焼きの準備をしておく」
「とっても楽しみです」
 七会は、勉強用に持ち帰って調べていいと言われた磁器と思われる破片を入れた箱を探夏の部屋の玄関に置き、靴を脱いで部屋に上がる間もなく塾へ出かけて行った。

*     *     *

「ただいま、って言っていいのかな。授業終えてきました」
 七会が玄関に現れた。探夏はちょうど、ワンルームの中央の小さなローテーブルにカセットコンロをセットして、台所ですき焼きの下ごしらえをしている時だった。
「おつかれさま。疲れたのとお腹すいたのと、きっと両方でしょ?」
「本当に。でも、いろいろ話せるのが楽しみです。ジントニックも、楽しみ」
「ちゃんと用意してあるよ。ジントニックは、食後にしようね。飲んだら車は無理だから、帰りはバスで送っていくよ」
「ありがとうございます。とってもお腹が空きました……」
「じゃあ、食事にしよう」
 探夏はそういうと、台所のコンロで途中まで仕込んでいたすき焼きの鍋を、布巾を二重にして取っ手を掴み、カセットコンロに移した。七会は荷物を降ろし、洗面所で顔と手を洗うと、用意されたクッションに正座した。
「正座? リラックスしてくれていいよ」
「しばらくこうしてていいですか? 実家が正座の家で、最初はこの方がホッとするんです」
「もちろん、好きなようにしてくれていいよ。じゃあ、お肉焼くね。ご要望の通り、初めて買った霜降り肉!」
 探夏は茶色い包み紙の中の肉を見せた。大学入学後、おそらく初めて買った量り売りの肉だった。
「焼きすぎないのがコツですね」
 七会は要領よく肉を裏返し、まだ少しピンク色が残っている霜降り肉を先に探夏の取り皿に入れた。同じく探夏が奮発した上等な卵をくぐらせて、二人は頬張って肉を食べた。二人とも、初めて会った夜の「天上セット」を思い出した。

一口目を飲み込んだあと、七会は探夏の部屋を見回した。始めて来る探夏の部屋、正面の窓際には大きめのデスクに、研究室で見たことのある、白くて大きい Macintosh のコンピュータ。左側には大きな JBLのスピーカーのオーディオセット、右側には赤いデジタルピアノ。
「赤いデジタルピアノって、珍しいですね。初めて見ました」
「普通は黒だよね。このモデルは、黒と白と赤の三色があって、好きなミュージシャンがこれと同じのを使っていたから、赤にしたんだ」
「普通とは違っているのが、なんだか探夏さんらしくていいですね……ご飯おかわり頂いてもいいですか?」
「もちろん」
 自宅へ来るのは初めてだというのに、七会がすっかりリラックスして過ごしているのが、探夏には嬉しかった。
「七会さんはお肉、こんな感じで少しピンクでも大丈夫な方なんだ?」
「えっ……ひょっとして探夏さん、よく火を通した方がよかったですか? ごめんなさい、聞かずに勝手に早めに上げちゃって……」
「いや、違うんだ。僕もこのくらいの方が好き……七会さんのご両親も、肉は焼きすぎずにこのくらいが好きだった?」
「そうですね、特に父は、加熱しすぎてお肉が固くなるのを嫌う人だったので……」
「ある意味、羨ましいな。うちの父は、とにかく何でも、『十分過ぎるくらい火を通せ』という人で、しゃぶしゃぶでも肉を入れて五分以上煮込むような人だったんだよ」
「それじゃ、しゃぶしゃぶじゃないですね……お父様、とても用心深い人なんですね」
「そうだね……だから何だか、一人で肉を調理する時も父に見られている気がして、ステーキとか、本当はミディアムで食べたくても、完全に色が変わるまで焼いていたよ。だから、今日はとても嬉しい」
「私が探夏さんのメンタルブロックを外したってわけですね。それはよかったです。今日は特に上等なお肉なので、外側の色がちゃんと変わっていれば、大丈夫ですよ。この肉、ちょうどいい感じです」
 七会は次の肉を探夏の皿に入れた。
「七会さん、肉ばっかり食べてるよ。野菜も食べよう、あとお豆腐も」
 探夏は七会の皿に、エノキとネギ、それにいい色になってきた豆腐を入れる。
 七会も探夏も、これまで生きてきた中でいろいろな刺激に出会い、好むと好まざるとに関わらずそれらを背負い、生きてきたのだろう。自分で荷物を降ろすことはできただろうが、そのためには、その荷物は生まれつきのものではなく、どこかで背負わされてきたものだと気づく必要があるのだ。

「探夏さん、一つお願いがあります」
 豆腐を食べ終えた七会がいつもより小さめの声で話す。
「何? 七会さんのお願いなら何でも聞くよ」
「私、四月に大学生になってから、お風呂はずっと寮の共同浴場だったんです」
「そうだね、あの寮、トイレとお風呂は共同だからね。でも、大きな湯船は温泉みたいで気持ちいいよね。僕も大学一年の頃のことを思い出すよ」
「もちろん、大きなお風呂は気持ちいいので好きですよ。でも、『むらさきいろの海』を再現できないんです」
 やはり七会の中には、「むらさきいろの海」が根付いている。彼女が幼少期から一緒に過ごしてきたものとはいえ、探夏は七会をその独特な風景から解放したいと思う気持ちがあった。
「再現するってのは、どういうこと?」
 少し腰が引けるのを感じながら、探夏が尋ねた。
「赤と青の食紅を、持ってきたんです。両方入れると、綺麗なむらさきいろが作れます。家のお風呂なら、自分の好きな色にして、あの時みたいに『むらさきいろの海』に囲まれることができる」
「うちのお風呂で高校時代ぶりに、それをやりたいってことだね」
「分かってくれてありがとう……」
 探夏は少し気が進まなかったが、本人を求めるものから遠ざけるのは心理的にも逆効果だろう。
「じゃあ、お風呂を張っておくから、食べたら入っておいで。好きな色にしてくれて構わないよ。僕もあとからその『むらさきいろの海』に入ってみる……」
「ありがとうございます。でも怖いんです」
「怖い?」
「また実家のお風呂に戻った感覚になって……私、今、薬を中断しているので……またお風呂のお湯を飲んじゃうんじゃないかって……そしてまた病院に……」
 七会は少し取り乱した。
「七会さん、もう大丈夫だよ。それは小学校に入ったばかりの頃の話だよね。あれから十年以上が経って、七会さんはもう十九歳だ。鼻の下までゆっくりお風呂につかって、大好きな色をちゃんと楽しむことができるよ」
 探夏は遮って言った。肩を抱いて安心させたかったが、身体に触れるのは気が引けた。
「ありがとうございます。でもやっぱり怖いんです。実家のお風呂を思い出しそうで……探夏さん、一緒に入ってください」
「……お願いは何でも聞く、と約束したから、分かった。じゃあ一緒に入ろう。七会さんがお湯を飲まないように側にいるよ。一緒に鼻の下までお湯につかって、大好きな色に包まれよう。それでいい?」
「ありがとう。じゃあ、元気出してもう少し食べます。私はやっぱりお肉が食べたい。お風呂から上がったら、お祝いにジントニック、作ってくださいね」
「もちろん、そのためにジンもトニックウォーターも、ライムもちゃんと買ってあるよ」
 念願を叶える算段を整えて、七会の表情が少し明るくなった。探夏は「何のお祝いだろう?」と思ったが、七会にとって、「むらさきいろの海」は何よりも大切なものなのだろうと自分に言い聞かせた。

(第13話に続く)


【前後の物語】
第1話:カスタムハウス

https://note.com/sasakitory/n/n8eeff7be3fa7
 郵便局員アキが見つけたものとは?
第2話:副塾長のハイヒール
https://note.com/sasakitory/n/n989324f8cb34
 物語はいよいよ1995年に〜七会と探夏が出会う日
第3話:ユーリのスニーカー
https://note.com/sasakitory/n/n72c9ca85f90a 
 ユーリから告げられた秘密とは?
第4話:タブリエ
https://note.com/sasakitory/n/n63098b31494b
 七会と探夏の1995年の夏の第1日
第5話:『道の曲がり角』
https://note.com/sasakitory/n/nbaf518e0f7f1
 謎の小説にタイトルがついた!
第6話:ソロとハーモニー

https://note.com/sasakitory/n/nb0b8307742cc
 七会と探夏の根本的な違いとは?
第7話:Bleu de France
https://note.com/sasakitory/n/n7012d2f47e6f
 アキが二つの時間に生きる準備を整える 
第8話:むらさきいろの海
https://note.com/sasakitory/n/ncc09fee613e2
 七会が昔から抱えていた問題とは?
第9話:サイコロではなく愛
https://note.com/sasakitory/n/n1144b10ca691
 マコトがロンドンから帰ってきた!
第10話:ロブスターと中古車
https://note.com/sasakitory/n/nf4d51f94416a
 七会と探夏の初デートの行方は?
第11話:無伴奏独奏
https://note.com/sasakitory/n/n7341fd2ddcc3
 初デートの翌日は、探夏の部屋で過ごすことに〜
第12話:七会の願いごと
https://note.com/sasakitory/n/n254b7fe00a4f
 探夏の部屋で七会がした願いごととは?
第13話:猿のジントニック
https://note.com/sasakitory/n/n13f244d4740d
 七会と探夏が湯船の中で語り合う……
第14話:永遠の4日間+1
https://note.com/sasakitory/n/n30bcbb2e1c9b
 アキとユーリが湯船の中で語り合う……
第15話:点は、つなぐため
https://note.com/sasakitory/n/n3cbc4c4f4cc0
 七会が含まれる名簿が手に入った!
第16話:七会のすべて
https://note.com/sasakitory/n/n1cd5b133e858
 変奏曲を聴き、探夏は七会の全身を受け入れる
第17話【最終話】:未来の七会へ
https://note.com/sasakitory/n/na3cc00fcda74
 
七会の所在が分かり、アキは七会へ原稿を託す✨ 


サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️