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Flow into time 〜時の燈台へ〜 第13話

【前回の物語】
 発掘現場へ向かう4日目、探夏は「これから七会に会えると一人でワクワクする時」が一番しあわせだと告げる。涙ぐむ七会。二人は探夏の部屋で七会念願のすき焼きに舌鼓を打ち、一緒にお風呂に入る約束をする。

第13話 : 猿のジントニック

「七会さん、もう湯船に入った?」
 探夏がバスルームの外から声をかけた。七会が探夏の部屋へ来たのはその日が初めてだったが、なんと一緒にお風呂に入る約束をしてしまったのだ。
「入りました。今、色を合わせているところです。赤の食紅を入れ過ぎてしまうと調整が効かなくなるので、まずは青を入れてそれにほんの少しずつ赤を足すんです。青紫から赤紫へ、あっという間に変わってしまうので、そのちょうど中間の、淡いバイオレット色で止めるのがコツなんです」
 七会は「むらさきいろ」の話になると、いつも一生懸命だ。そんなに好きな色があって羨ましい、と探夏は思ったが、探夏の青色に対する情熱も、同じようなものだった。二人にとって、色はデザインよりも何よりも大切なものだった。
「できました! 探夏さんも入ってきてください」
 七会があっけらかんとした声で答える。十九歳の七会と二十二歳の探夏が一緒にお風呂に入るのは、幼稚園児の男女が一緒にお風呂に入るのとはわけが違う。混浴温泉などでは、まだあり得るかもしれないが、ここは自宅だ。性的な意味合いをなくして大人の男女が一緒に入浴することは、普通はない。それでも、約束したからには一緒に湯船に浸かって、七会の言う「むらさきいろの海」がどんな感じなのか、一緒に体感する必要があると覚悟を決めた。
「じゃあ、入るよ。電気、消した方がいいかな?」
「何言ってるんですか……電気消したらむらさきいろが見えません」
「たしかに……」

 探夏は意を決してバスルームのドアを開け、当たり前ながら裸で湯船に浸かっている七会を見た。七会はなぜか恥ずかしがる様子もなく、朝の車の中と同じように微笑んでいた。湯船のお湯は綺麗なバイオレット色だ。これが七会の好きな「むらさきいろ」なんだな……と納得する。紫は、青紫と赤紫の間に絶妙な色が隠れていて、七会はそれを探し当てたようだった。探夏は湯船のお湯は使わず、シャワーでさっと身体を流すと、七会の身体に触れないように気をつけて、湯船に入った。七会と探夏が、浴槽の長辺に向かって横並びで入っている。七会が探夏の左側で、探夏は七会の右側にいた。
「じゃあ、鼻の下まで入ります。私がお湯を飲まないように念じていてください」
 七会が少し真剣な表情になって、少しずつ下へ下がっていく。探夏も続いた。探夏の左肩が七会の右肩に少し触れる。先に入って色を合わせていたせいか、七会の肩を暖かく感じた。
 浴槽の水面の上に、二人の鼻から上が覗いている図になった。目を半分閉じると、視界の上半分のバスルームは消え、水面のむらさきいろだけが見える。七会はこの色の中に、何を見ていたのだろう。小さい頃から彼女が愛してやまなかったこの風景……世界の海辺や湖のほとりの写真を集めた写真集を見ると、本当に海も空もむらさきいろに見えるところがあるらしい。そんなところに七会を連れて行ってあげたい、と思う反面、七会が本当に好きなのはこうやってお風呂で自分の好きな色を作ることなのかもしれない、それを外から与えようとするのは傲慢なのかもしれない、と思い直す。探夏は、一生この時間のことを忘れることはないだろう、と強く感じた。

「探夏さん、私のこと好きですか?」
 七会が浮かんできていきなり聞いた。昨日の食事は初デートだと二人で確認したので、探夏はすっかり気持ちを伝えたつもりでいたが、思い返してみれば言葉にして好きだと言ったわけではない。
「もちろん、七会さんのこと大好きだよ。七会さんは、僕のこと好きかい?」
 探夏も浮かんで答え、聞き返した。
「もちろん、大好きです……」
 そういう七会の顔は、なぜか悲しそうだ。
「どうしたの? 今にも泣き出しそうな顔をしているよ」
「少し怖いことがあって……」
「お湯を飲んでしまうかもしれないってこと? それなら、もう大丈夫だよ」
「違うんです。探夏さんに話してないことがあって」
「ちゃんと聞くから、よければここで話して。もちろん、お風呂から上がってからでも構わないよ」
「ここで話します。でも怖いので、探夏さん私を後から抱きしめてください」
 七会は左を向き、探夏に背中を向けた。探夏は後から七会の肩越しに腕を回し、強く抱きしめた。服の上から抱きしめるのとは違って、二人とも裸なので、七会の背中が探夏の胸に押し付けられ、心臓の鼓動が伝わってきた。

「探夏さん、私、実は彼氏がいるんです」
 七会が切り出した。
「……そうなんだ……でも今こうして一緒にいる……」
「探夏さんにも、彼女さんいらっしゃいますよね。塾の生徒が話してたんで、知ってるんです」
「……そっか……知ってたんだ……」
「月曜日に探夏さんと別れた後、映画を観に行ったのは彼とだったんです。彼は途中で寝てしまって、ずいぶんつまらなさそうでしたけど……」
「いつ、どこで知り合ったの? 大学に来て、まだ四ヶ月だよね。学生? それとも社会人?」
「同い年で同じ専攻、同じクラスです。四月に大学が始まったその日に出会って、翌週にはお互いの家に遊びに行くようになって、付き合い始めたんです。お互いのどこが好きなのかはよく分からないんですが、とにかく一緒にいるんです。そしてなぜか、漢字は違うんですけど、彼も名前は『たか』なんです」
「じゃあ、車の中で僕に話しかけている時は、とても変な気分だったね、きっと」
「そうかもしれません……」
「その彼とは、今後どうするの?」
「結婚するんだと思います。場合によっては学生結婚……」
「結婚? そんなに話が進んでるの? じゃあどうして、僕に好きだなんて言って、今こうやってお風呂で抱き合ってるわけ?」
「探夏さんも同じです……探夏さんは彼女さんと、どんな関係なんですか?」
 七会と向かい合わずに、お互い同じ方向を向きながら会話するというのは、思えば車に乗っている時と同じだった。
「言われてみれば、似ているかもしれない。お互いがお互いのどこを好きなのか、それはよく分からないけど、僕たちも、『いつか結婚するんだろうね』って話しながら、もう二年間付き合ってる」
「でも本当はそうしたくはない?」
 七会が正面から聞く。
「そうかもしれない。それは七会さんも同じ?」
「そうかもしれないです」
「付き合い始めて数ヶ月で、結婚まで意識して、でも今は僕と一緒にいて、七会さんの頭の中が知りたい。もちろん、それは僕も同じことだけど」
「今日はジントニックを飲みながら、ゆっくり話しませんか? まだ十時前だし、時間はありますよ」
「でも、バスがあるうちに送っていかないと……」
「今日は私、ここにいます。泊めてもらってもいいですか?」
「見ての通り、シングルベッドだけど、それでよければ」
「落ちないように、二人で真ん中に寄って寝なきゃですね」
「そうだね。泊まっていくなら、時間はたっぷりあるから、ジントニックで乾杯してお祝いして、それからゆっくり話を聞くよ。そろそろ上がる? 『むらさきいろの海』は堪能できた?」
「はい。やっぱり私の心象原風景です」
「心象原風景……いい言葉だね」
 二人は湯船から上がり、探夏が先に髪を洗ってバスルームから出た。七会はロングヘアでゆっくり髪を洗いたいというので、その間にジントニックを準備しておこうと思った。

*     *     *

 ナミの朗読は続いていた。文字を音声にすることだけに集中せず、読むのと同時に自分でも味わうのが彼女の朗読スタイルだった。ところどころスローダウンし、時にはペースを上げながら、実に緩急のついた彼女の朗読は、聞く人を引き込む力があった。
「二人とも、今のお互いの交際相手から、離れたかったのかな……」
 ユーリが運んできたおつまみを置いて、考え込む。今日もいつもの、「ちくわの磯辺揚げ」と「厚揚げ焼き」の組み合わせだった。ナミとリンは揚げ物以外を食べたいと言ったが、ユーリとアキはどうしてもその二つにこだわった。あの日の思い出があるのだ。
「多分、七会さんは彼氏と、好きで付き合っていたわけでは本当はなくて、何かの手段だったんじゃないかな。ジントニックを飲みながら答え合わせがあるような気がする」
 リンが、「もし私が書くなら、そうするけどね」と付け加えながら言った。もしこの場にマコトがいたら、なんというだろうか。定例会で読んだ部分までは原稿のスキャンを彼に毎週送っているので、今度聞いてみよう、とアキは思った。
「じゃあ、私たちもジントニックにしますか! 実は、いつも日本酒を入れてもらっている酒屋さんおすすめのジンがあるって言うから、一本仕入れといたんだ。メニューにも『ココアフロート』と『ジントニック』が加わってるの、気がついた?」
 ユーリが茶目っ気たっぷりに言う。ユーリがそのジンのボトルを持ってきた。小ぶりの瓶に、むらさきいろの切手のようなデザインのラベルが貼ってある。なんとなく薬瓶のように見える可愛らしいボトルで、名前は「MONKEY 47」。ジンといえば普通は英国だが、このジンはドイツ産だった。使われているボタニカルは47種類、アルコール度数も47度、47という数字にこだわりがあった。ちなみに47は、50以下の最大の素数だ。関係があるのだろうか?
「このサイズで、なんと6,000円以上するのよ〜本当にジン好きな人はストレートで飲むらしいけど、度数が高いから、今日は思い切ってジントニックにしちゃう! トニックウォーターもウィルキンソンの瓶入りを用意してある。バーとかでは必ずこれってやつね。あとは、フレッシュライム切らないとね」
 ユーリが厨房へと入っていった後、アキがぽつりと言った。
「私だったらそんな高級なジン、マティーニにするなあ……もちろんシェイクではなくステアで」
 七会と探夏は乾杯して、その後二人は何を話すのだろうか。ナミは朗読をアキにバトンタッチした。

*     *     *

「七会さん念願のジントニックだよ!」
 二人は静かにグラスを合わせて乾杯した。探夏が近くに昔からある酒屋で店主に勧められて買ってきたジンは、スモーキーなウイスキーで有名なアイラ島で作られた、「THE BOTANIST」という透明な瓶に入ったジンだった。ラベルには22という数字が赤文字で記されており、これは使われているボタニカルの数だった。
「生まれて初めて飲むジントニックが、こんな特別なもので本当に嬉しい。これ、ライムもフレッシュなのを切ってくれたんですよね?」
「そうだよ。いつも行くスーパーにはライムは売ってなかったから、デパートの地下へ行ってきた。レモンだと甘い香りになってしまって、よくないらしい。ジンの香りを引き出すには、やっぱりライムだね。英語版のレシピには、「a slice or wedge of lime」とあって、wedge っていうのが、この『くさび形』の切り方のことだよ。塾や学校で教えることはなさそうな内容だけどね」
「でも、ジントニックの話と一緒にその英語の話をしてあげたら、高校生とかは喜びそう……私もついこの間まで高校生だったし、実は今、未成年飲酒だし……」
「僕は、今の彼女との関係、見直さなきゃと思ってる。七会さんはどうなの? 本当にその彼と結婚するの?」
「探夏さんから切り出してくれてありがとう。やっぱり同じだったんだ……私もそう。だから今日は、泊まることにした。明後日から私は福井に行って、そこで一ヶ月一人でよく考えてみる。九月に戻ってきてまた塾でお会いする時には、ちゃんと気持ちを決めていますね」
「僕もそうするようにする。今日は七会さんを抱きしめて眠る。いい?」
「私もそれがいいです……ちゃんと話せて、本当によかったです……私が高一の時に恋愛もののドラマがあったんですけど、ドラマのタイトルも主演の女優さんが誰だったかも忘れてしまったのに、『とりあえず飲んで、天使の休息』っていう主題歌の歌詞の一節が忘れられないんです。今まさにその気持ちかも。天使が休息するなら、こんな気分なんだろうな」
 七会はその歌のその部分を口ずさんだ。

「なにこれ……ユーリさんがよく歌ってる曲じゃない……」
 アキが原稿を落とす。ユーリも言葉を失い、リンとナミが訳も分からず二人を見つめている。これまでは『道の曲がり角』で描かれたもの〜タブリエやジャズ〜を時間軸の進行と同じく、アキが後から追いかけていた。ユーリが自分の靴を料理に叩きつけ、その料理を食べろとアキに迫ったあの訳の分からなかった夜、その二人の緊張を解いてくれた曲が、こんなところで顔を出した。これは偶然ではない、1995年と2024年の時間軸が交わり始めている。七会も探夏も実在の人物だ、アキは理由もなく確信した。

(第14話に続く)


【前後の物語】
第1話:カスタムハウス

https://note.com/sasakitory/n/n8eeff7be3fa7
 郵便局員アキが見つけたものとは?
第2話:副塾長のハイヒール
https://note.com/sasakitory/n/n989324f8cb34
 物語はいよいよ1995年に〜七会と探夏が出会う日
第3話:ユーリのスニーカー
https://note.com/sasakitory/n/n72c9ca85f90a 
 ユーリから告げられた秘密とは?
第4話:タブリエ
https://note.com/sasakitory/n/n63098b31494b
 七会と探夏の1995年の夏の第1日
第5話:『道の曲がり角』
https://note.com/sasakitory/n/nbaf518e0f7f1
 謎の小説にタイトルがついた!
第6話:ソロとハーモニー

https://note.com/sasakitory/n/nb0b8307742cc
 七会と探夏の根本的な違いとは?
第7話:Bleu de France
https://note.com/sasakitory/n/n7012d2f47e6f
 アキが二つの時間に生きる準備を整える 
第8話:むらさきいろの海
https://note.com/sasakitory/n/ncc09fee613e2
 七会が昔から抱えていた問題とは?
第9話:サイコロではなく愛
https://note.com/sasakitory/n/n1144b10ca691
 マコトがロンドンから帰ってきた!
第10話:ロブスターと中古車
https://note.com/sasakitory/n/nf4d51f94416a
 七会と探夏の初デートの行方は?
第11話:無伴奏独奏
https://note.com/sasakitory/n/n7341fd2ddcc3
 初デートの翌日は、探夏の部屋で過ごすことに〜
第12話:七会の願いごと
https://note.com/sasakitory/n/n254b7fe00a4f
 探夏の部屋で七会がした願いごととは?
第13話:猿のジントニック
https://note.com/sasakitory/n/n13f244d4740d
 七会と探夏が湯船の中で語り合う……
第14話:永遠の4日間+1
https://note.com/sasakitory/n/n30bcbb2e1c9b
 アキとユーリが湯船の中で語り合う……
第15話:点は、つなぐため
https://note.com/sasakitory/n/n3cbc4c4f4cc0
 七会が含まれる名簿が手に入った!
第16話:七会のすべて
https://note.com/sasakitory/n/n1cd5b133e858
 変奏曲を聴き、探夏は七会の全身を受け入れる
第17話【最終話】:未来の七会へ
https://note.com/sasakitory/n/na3cc00fcda74
 
七会の所在が分かり、アキは七会へ原稿を託す✨ 


サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️