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震災と町での記憶

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東日本大震災関連と震災前の記憶の記事
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#原発事故

忘備録⑧

忘備録⑧

早いものでもう2月も中頃。

2024年は災いから始まってしまいましたね。

能登沖地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。

惜しくも亡くなられてしまった方々のご冥福をお祈りいたします。

発災後、人命救助、医療支援など様々な支援活動に尽力されている自衛隊、消防、警察、医療従事者等の皆様に、心から敬意を表します。

フラッシュバックに襲われて怖かったと話す知人がたくさんいました。

私は、

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私はいつになったら帰れるのでしょうか?

私はいつになったら帰れるのでしょうか?

この話題に触れるか迷ってましたが、帰りたいので触れます。

新聞のトップページに載っていましたね。

正直、
「あぁ、やっぱりな…。」
という感想です。

帰還意向調査に
「一刻も早い帰還を希望します。」
と書いて送ったハズなのだが、、、。

空間線量も、割と低めな場所ですよ?

『帰りません宣言』

とやらが影響しているのならば、言わせてください。

「あれ、聞いてません。ニュースで知りました。

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蘇る思い出

蘇る思い出

保育所の解体に伴い、荷物の持ち出しの立ち入り案内状が
届いたので、娘と行って来ました。

あいにくの雨でした。
雨女の娘、本領発揮でしたね。

子供たちが通った保育所。
中に入るのは12年ぶり。
当時の所長先生がいらしてました。
所長先生に会うのは何年ぶりだろうか?
震災後に何回かお会いしたけど、私が事故に遭って引きこもり始めてからは誰にも会ってないから10年近く経つかなぁ、、、。

中庭にあった

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12年ぶり

12年ぶり

大熊町で3月11日を迎えた。

仕事は休んで、町民のつどいに参加した。
準備から参加させてもらった。

本当に久しぶりに、
『好きな事をやっている』
と思えた。

顔見知りの皆さんと鶴を飾り、黙祷する。
そして花を配り、片付ける。

穏やかな一日だった。

ここに両親がいない事が残念でならなかった。

野上の家ではなく、楢葉町の家に帰るのがとても寂しく感じた。
(楢葉町、いい所です。間違いなくいい

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忘備録として、、、①

忘備録として、、、①

noteを始めてから、震災の話ってあんまりちゃんと書いてなかったなぁ、、、。
と思い、間もなく3/11もやってくるので忘備録代わりに書いていこうかと思います。

2011年3月11日のあの時間、私は富岡町夜ノ森地区にある某電力会社の社宅の看板前に愛車のクロネコ号を停めて、伝票に書いてある部屋番号を探して看板を見ていました。

地鳴りの音がして
「何事?」
と思ったら地震発生。

エンジン停止状態に

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忘備録、、、②

忘備録、、、②

3月12日。
午前6時ちょっと前。

町の防災無線から『全町避難』という放送が流れて布団から出た。
まぁ、起きてはいたけど子供たちの寝顔を見ながら1日の流れを頭の中で組んでいた最中だった。

子供たちを起こして着替えをさせ、とりあえず朝ごはんを食べさせる。

その間に、父と避難についての情報を集めるも、電話は未だ混線状態。
とりあえず集会所に行こうという事で、私はヤマトの格好から普段着に着替えて出

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忘備録、、、③

忘備録、、、③

私が1号機の水素爆発を知ったのは、13日。
12日は移動と諸々でニュースを観る余裕などなく。
しかし、1号機は12日に爆発していた訳で、、、。

13日の午前中、ロビーから悲鳴の様な声が複数聞こえたので駆けつけると、そこには1台だけあったTVに1号機の爆発が映し出されていて、、、。

13日早朝、父は
「ちょっと様子を見て来る。」
と、車で大熊町方面に向かっていた。

血の気が引いた。
思考が停止

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忘備録、、、④

忘備録、、、④

3月14日以降は怒涛の日々だった。

所持金も少なく、貯金も少ないシングルマザーの私が親子3人で暮らしていくにはどうすればいいか、、、。

慣れない都会で右往左往する毎日。

周囲の人が普通に生活している事への違和感を感じ続けながら、本当にここでやっていけるのか?と自問自答する毎日。

時間はどんどん経過していくも、何も解決出来ないまま姉の家にいる事で精神的に追い込まれ始める。
それに同調するかの

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忘備録、、、⑤

忘備録、、、⑤

4月に入っても、住む場所も仕事も見つからない。

しかし、東京では新学期は通常通りやってきた。

息子は小学生。
『通わせない』
という選択肢を選べなかった事を今でも後悔している。

「言わないで下さい。」
そうお願いしたのに、
「福島県の原発事故から避難してきた」
そう紹介されてしまった息子。

好奇の目が全集中で向けられる。
小学校低学年に罪はない、、、などと呑気な事は言っていられなかった。

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忘備録、、、⑥

忘備録、、、⑥

旅館で過呼吸を起こしてから、しばらくは順調にこなしていた。

最悪の事態が訪れたのは6月。
職場で昼に配達から戻り、事務所でご飯を食べようとしたら襲ってきた。

過呼吸、、、。

どうにも治らない。
そもそも治し方を知らない。
必死になればなるほど呼吸が苦しくなり、意識が遠のいていく。

小1時間経過しても治らず、救急車を呼ばれる事に。
店長が母に連絡する。
母は全く土地勘がない。

会津坂下町の

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忘備録⑦

忘備録⑦

⑥からだいぶ時間が経ち、続きを書いてみようかと思い始めたので、、

道を歩いていたハズなのに、気が付いたらよくわからない状況になっていた
しかも、動けない、、、

「分かりますかー⁉︎〇〇(私の旧姓)さ〜ん!分かりますか〜⁉︎」

よく見えないが、誰かに呼ばれている
しかし、返事が出来ない。

意識がハッキリするまでどれくらいかかったのか、一度戻ってまた失ってを多分何度か繰り返していたんだと思う、

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