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#ピアニスト
GREAT CHOPINZEES~ショパン演奏の秘かな愉しみ(トレイラー)
前回のレコードコンサート「レシェティツキの弟子たち」から約5年。昨日4/8(土)富士レコード社さんのお招きで開催させていただきました「GREAT CHOPINZEES~ショパン演奏の秘かな愉しみ」が盛況のうちに終了いたしました。
約二時間半、2回の休憩を挟みながらの長丁場でしたが、皆様リラックスして楽しんでいただけたようで、当日の朝までムービーを作りながらレコード選定に迷った甲斐がありました。ご来 もっとみる
ピアニストと戦争〜ショパン国際ピアノコンクールと悲劇の女流ピアニスト
ショパンの祖国であるワルシャワで、第1回ショパン国際ピアノコンクールが開催されたのは1927年。
世紀の大ピアニストであるアレクサンドル・ミハウォスキ(1851-1938)をアイコンに、J.ジュラヴレフとZ.ジェビエツキの両教授が、ショパン演奏の更なる繁栄を掲げてのスタートでした。
もう一つの目論見として、ポーランド・ピアニスト達を世界に発信したい、という想いがあったはずです。しかし、実際に優勝し
アヴァンギャルドな元ベルギー王女 マリー・アントワネット・オーセナック・ド・ブロイの奏でる嫋嫋たるショパンの一部始終
マリー・アントワネット・オーセナック・ド・ブロイ王女(Princess Marie-Antoinette Aussenac de Broglie, 20 July 1883 - 31 October 1971)という、ポルトガルの貴族出身のピアニストがいた。ジャック・ド・ブロイ王子と結婚したことによって、1933年に離婚するまでのおよそ7年の結婚の間、王女となった。
オーセナック・ド・ブロイは、
日本とワルシャワのショパンの1949年
「眞木先生の音は可愛く激しく、独特な世界が聞こえる。まさに現代にピッタリ!」(綾戸智恵/ジャズシンガー)
ショパン没後100周年である1949年。戦後4年、世界は戦争の惨禍からの復興の最中にありました。ナチスの侵略によって壊滅させられたショパンの故郷ポーランドのワルシャワでは、このショパンの記念的な年に、戦後初「第4回ショパン国際ピアノコンクール」を開催し新しい時代の幕開けを行いました。(このコ
巷に雨の降る如く〜ドビュッシーのピアノ
ビュッシーのショパン演奏を聴いたことのある者たちは、ハンマーを意識させない程のビロード・タッチと、溢れ出る泉のようなその響きを生涯忘れることが無かったという。それもそのはず、ドビュッシーはショパンの弟子であったフレーヴィル夫人にピアノを習っている。ドビュッシーの才能が、この夫人からショパン演奏の秘密を多く吸収していた事は容易に想像されるのである。
確かにドビュッシーのショパン演奏なんて想像しただけ
19世紀生まれのピアニストによる歴史的名盤④ フランシス・プランテ
19世紀生まれのピアニストによる歴史的名盤④
フランシス・プランテ (1839-1934, フランス)
ショパン「練習曲 ハ長調 Op.10-7」(1928録音)
https://youtu.be/UOVs526XWJw
●ショパン自身のピアノ演奏を聴いたことがあるとされる唯一のピアニストによるショパンのレコード。この最晩年の演奏は、スイスの自宅までコロムビアが機材を運び込んだ甲斐もあり、愛用 もっとみる