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開放感が魅力のショパン24の前奏曲集

SPレコード録音時代

天才的な閃きを24の調性で描いた前奏曲集は、ショパン作品の中でも高く評価されている傑作です。
短い作品が多いので、片面約4分半のSPレコード時代には、小犬のワルツやエチュードなどとの組み合わせたり、数曲を抜粋して収録される事が多くありました。
全曲録音を行った先駆的なピアニストは、コルトーロルタコチャルスキクロイツァーなどが筆頭に挙げられます。これらは1925年から1940年頃までにマイロフォンを使用して電気録音(EL録音)されており、アコースティック録音(AC録音)時代にはなかった試みでした。1925年以前には、ブゾーニのようにピアノロールを選択しています。
特筆すべきはコルトーが何度か全曲録音を行なっている事でしょう。コルトーの演奏は特濃の味わいで彼ならではの境地です。また、フレンチピアニズムのお手本としてロルタのレコードは現代でもようやく再評価されました。
ポーランド派のコチャルスキは、ショパン直系の演奏として21世紀に入ってから大分知られるようになってきたのはとても喜ばしいことです。
日本音楽界の恩人であるクロイツァー教授のレコードはまだ一部の愛好家達のみぞ知る演奏ですが、彼のストイックな美意識を理解できるリスナーにとっては滋味深いかけがえのないレコードです。

ロシアピアニズムというカテゴライズ

一時期、佐藤泰一先生とレコード会社が仕掛けた「ロシアピアニズム」は多くの話題に上りカテゴリーとして定着しました。
しかし、コンスタンチン・イグムノフ、アレキサンドル・ゴリデンヴェイゼル、ゲンリヒ・ネイガウス以降のピアニストたちは、ソビエト連邦共和国下のモダニストが殆どであり、ロシアピアニズムと呼ぶことに少々の違和感を覚えます。
やはり「ロシアピアニズム」と呼ぶならば、アントンとニコラスのルビンステイン兄弟を始祖とするロマン派の流れを継いでいる方が自然と腑に落ちます。
この流れを汲んでいるピアニストは、有名どころではヨゼフ・ホフマンラフマニノフヨゼフ・レヴィーンなどであり、もう少し遡るとチャイコフスキーの指揮でピアノ協奏曲を演奏したヴァシリー・サペルニコフや、クロイツァープロコフィエフの先生であるアネッテ・エシポヴァ(レシェティツキの弟子で何度目かの妻でもあった)、グラズーノフに習ったマルガリート・ミリマノーワイレーヌ・エネリなどが挙げられます。
しかしクロイツァーを除くと、彼らはショパンの前奏曲集録音を殆ど残していません。

ニコライ・オルロフという名ピアニスト

そんな中で、ニコライ・オルロフ(Nicolai Andreyevich Orloff, 26 Feb. 1892 - 31 Mar. 1964)のモノラルLPレコード録音は一際印象に残る演奏です。帝政ロシア生まれのオルロフはモスクワ音楽院でイグムノフとセルゲイ・タネーエフに学んだロシアのロマン派ですが1920年代以降は西側へ移住して世界的に活躍を果たした名ピアニストです。
1930年頃のSPレコード時代には英国Deccaにチャイコフスキーのピアノ協奏曲と12インチ盤3枚に、ショパンの数曲のマズルカ、ワルツ、練習曲、即興曲などを残しています。これらはライブ演奏の成功とは裏腹に、オルロフの良さを捉えているとは言えない無難な演奏です。

むしろオルロフの魅力は、1950年〜60年代にイタリアのレーベルで行った晩年のセッションを聴くのが良いでしょう。決定的な名盤とされるラフマニノフはスクリャービンなどのロシア名曲集とともに、ショパン作品もLP2〜3枚分ほど残されています。

晩年のオルロフが辿り着いた境地、ショパン「24の前奏曲集」


オルロフの晩年の演奏はとてもナチュラルで細部まで磨き上げられています。フォルテシモでも美しいタッチは保たれ、極端にドラマティックなダイナミクスとも無縁です。また、ショパンが身骨を砕いた精妙な和声をたっぷりと響かせ、決して弾き飛ばすようなことをしないのも特徴の一つです。
これはユリウス・イッサーリスによるスクリャービン「24の前奏曲集」のLPレコードに共通する芸術的アトモスフィアです。
全て調整の異なる前奏曲集は「宝石の原石」のような様々な断片を集めた賑やかな印象があります。ですので各曲のコントラストを強く打ち出そうという意図のある演奏が多いのですが、そういう思惑を一旦取っ払ったオルロフやイッサリースの演奏は清々しさに満ちています。張り詰めた緊張感のある演奏も時には良いのですが、自然な慈愛に溢れるオルロフ晩年の境地はショパンを開放するかのようです。

皆様からいただいたサポートは、ピアノ歴史的録音復刻CD専門レーベル「Sakuraphon 」の制作費用に充てさせていただき、より多くの新譜をお届けしたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。